Stay Gold

人には色んな癖がある。
かくいう自分は、人の特徴的な喋り方や口癖が移ってしまう癖がある。
だから自分の喋り方をなんらかの形で見れば、その時期を一緒に過ごしていた人がわかる。
方言とかは不思議と移らないんだけど。

半年前の、今年の5月。
20歳になる前からお世話になっていた先輩が亡くなった。
病気だったそうだ。全く知らなかった。
あまり何かを自分から話す人じゃなかったけど、その少し前に結婚したと聞いていたのもあって、近々会える機会はないかなと思っていたところだった。
自分の周りの友達も、動揺しきっていた。

お通夜と告別式に呼んでもらったけど、俺は行けなかった。
けど、別にそれは後悔していない。
前までみたいに大阪に住んでいたら絶対行っていたけど、色んな事情があったし、上京してくる時に、きっと戻りたくても戻れない日が来るというのは覚悟していた。
だから、何かできることをと思って手紙を書いた。

そこにしたためた内容と重複するけど、自分は、あまり先輩という人種に甘えるということができない性格だった。というか、今もそうだ。
昔から年上、先輩に囲まれて生きてきたけど、小生意気な後輩なんだと思う。
「明らかに自分がガキだからこそ弱みを見せちゃダメだ」「しっかりと自分の力でやらなきゃ」みたいな思考が強いせいで、変に肩肘張らなくていい場所でも張ってしまって「奢ってくださいよ〜」とか「〇〇して欲しいです〜!」みたいな、うまい甘え方ができなかった。というか、今もやっぱりうまくはやれない。
周りのそういう「うまい後輩」としての立ち回りができる友達を見ては、どうやったらあんな風に違和感なく甘えられるんだろう…。先輩後輩って感じがしていいなあ、と羨ましく思っていた。

けど、亡くなったその先輩は、頭の回転が早くて、出てくるワードがいちいち面白くて、器も大きくて…年の離れ方的に被ってはいないけれど、同じ大学の先輩でもあって、なんだか素直に甘えられた。
酒が大好きな人だったけど、俺は酒は飲めないから「ゆうせいは何するんや!」と言ってくれて、たこ焼きやらジュースやら、なんだか会うたびに色々ご馳走してくれた。可愛がってくれていたんだと思う。

色んな音楽を教えてもらった。バカみたいなバンドのCDを借りた。
そして、スケートやストリートのカルチャー・ファッションにも詳しかった。
先輩がよく着ていた有名なスケートアート、スクリーミングハンドの手書きのラフ?みたいなTシャツがまたカッコよくて「それ下さいよ〜」なんて言っていたら「最近就活頑張ってるらしいやんけ!じゃあ内定出たらこれやるわ!」と約束してくれた。適当に言ったのかもしれないけど、あれは先輩なりの悩む後輩へのエールだったんだろうな。
俺はその約束がなんだか嬉しくて、本当に悩み抜いたけど、自分の進路に1つの答えを出して、内定をもらうことができた。けど、そのTシャツはといえば、その後会うたびに忘れ続けて「また今度な」を繰り返すまま、亡くなってしまった。

後悔せずに生きて生きたいと思っている。
できる限り、毎日毎日を人生最後の日になるかもしれないと思いながら過ごしている。
それに、たらればは嫌いだ。
だから、決断の際は色んなことをよく考えて、もし仮に未来の自分がこの分岐点に戻ってきても、きっとこの道を選ぶだろうと思える選択を必ずするようにしている。

だけど先輩の訃報を聞いて、後悔せず生きるなんて無理だと悟った。

会いたかった。生きている先輩と話したかった。
こんなことになるなんて思ってもいなかったから、最後に会った記憶も曖昧なままだ。
自分は今、どんなことをして生きているか、ちゃんと話せなかった。

同年代のみんながハマるような音楽にハマれず、独特な音楽を好きになった。
よくわからない流行り物にただただ流されるのは好きじゃなかったけど、別に「みんなが聴いてる音楽は聴きたくない!」ってタイプではない。ただ単純に好きになれなかったのだ。なんで俺は、みんなが好きなものを好きになれないんだろうなと考えたことがあった。

そんな時に先輩とちょうど話をしていて、ふとした拍子に「馴染めないんですよねえ」と何気なく弱音を漏らした。その時「でも、お前が好きになったそのバンドからこの世界に入ってきたやつ、俺は本物やと思ってるで。」と言ってくれた。
あまりにも抽象的な「本物」という言葉。目の付け所が良かったってことかな?と当時は思っていたけど、きっと色んな意味がこもっている。
今、自分は先輩が「本物」と言った先の世界で働いている。
それを、ちゃんと伝えることもできなかった。

先輩が、突然いなくなるなんて思えない。想像できない。
毎日が人生最後の日だと思って生きているつもりだったけど「毎日が人生最後の日かもしれない」=「毎日が誰かに会える最後の日かもしれない」ということに俺は気づいていなかった。そして気づいてしまった今、それはとてもとても難しいことのように思える。

だけど、それでも、俺は後悔しないように生きていきたい。
毎日を人生最後の日かもしれないと思いながら過ごしたい。
きっとそれでも、手のひらからまた何かを取りこぼす日は訪れる。その時また後悔するんだろうけど、それでも「後悔しない」と強く気持ちを持って生きていくことが大事なんだと信じる。
これは先輩が亡くなった直後に感じたことなので、あの人が最後に教えてくれたことだな。

半年が経った今も、不意に「もう会えないのか」とか、亡くなったこと自体忘れて「あ、あの話したいな」とか考える。忘れられた時に人は二度死ぬと何かで読んだけど、忘れるわけないだろうが、と思う。

昨日、いつも行く銭湯へ行った。こっちで仲良くなった、やっぱり貴重な甘えさせてくれる先輩と。
そしたら、浴室に最近知り合った常連さんがたまたま来ていたので挨拶をした。
実は、一緒に行っていた先輩とその常連さんは、お互いに面識はなかったけれど、Twitter上では長いこと知り合いで、直接会うのは今日が初めてという、ちょっとしたXdayだった。

二人をそれぞれ紹介するとお互いに挨拶を交わし、自然な流れで会話が始まる。
俺は、ついにこの二人が直接!なんだか面白いな〜と思いながらその様子を見ていた。
すると、会話の中で「いや〜あの、アレではほんと長いから…」と、一瞬Twitterの名前が出ない瞬間があった。
その時、俺はすかさず「電脳の世界ではね!」と言った。

「電脳の世界」というのは、亡くなった先輩のTwitterの呼び方だった。
4,5年前のハロウィン、大阪にはじわじわと波が来出した頃で、どんなもんだとばかりにアメ村へ繰り出すと、なんかの仮装をした先輩も来ていた。
夜も更けてきたので「そろそろ僕ら先帰りますわ〜」というと「ではまた電脳の世界で会おう!」と先輩はミナミの夜に消えていったのだ。たぶん、Twitterを教えてもらってフォローした後だったんだろうな。
そのワードがなんだか面白くて、未だに不意に出て来てしまう。

そう、俺には喋り方や口癖が移ってしまう癖がある。
変な口癖が移ったら浮気とか疑われそうだし、なんか嫌だな〜と思っていたけれど、その癖の中でも先輩は生きている。ちなみにこれだけじゃなく何個かある。
そう思うと、この癖も悪くないかもなと思える。

「バンドが死んでも曲は死なない」ってあなたが「本物」と言った人が話していたけど、あなたが死んでも言葉は死なないし、あなたの思いも死なない。ずっと輝き続けてるよ。

今日、昼間の天気がすごく良くて、ご飯を買いに行ってそのまま外で食べた。
そこで見上げた空は、神戸の街に仕事で行った時「あ、いい飯屋知らないか先輩に聞いてみよ〜」と連絡した日そっくりの空だった。

やっぱり、忘れるわけないだろうが、と思う。

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