中日ドラゴンズを30年応援し続けている僕が読んだ「嫌われた監督」

0歳から中日スポーツを読み聞かせしてもらい(嘘)
燃えよドラゴンズを子守唄に眠り(嘘)
産まれた瞬間から背中に10.8のタトゥーが入っており(嘘)
当時9歳だった10.8決戦の試合後は巨人ファンの家族に隠れてひとり泣き(本当)
助っ人外国人のパウエルの出身校をみて「僕も将来は短大に行く」と親を困らせ(本当)
今中のサインボールを持って遠足に行き(本当)
2011年中日が横浜スタジアムで優勝決めた試合で、酔っ払ってダブルピースしながら中京テレビのインタビューに応えたのが放送されて地元の親から電話かかってきた(本当)僕は、当然読んでいたわけですが、Twitterでもずおさんとメンさんがおすすめしているのを見て、僕も書かねばなるまいと思い筆を取りました。

落合博満という存在

この本を読んだ感想を語る前に、30年以上中日ドラゴンズを応援しているファンにとっての落合博満がどういう存在なのかを話す必要があります。

プロ入りまでの異色の経歴はWikipediaにでも譲るとして、ロッテで二度の三冠王を獲った落合博満は、僕が物心がついて野球を見始めた頃は既に中日ドラゴンズの主軸打者で、89年に自身三度目の三冠王となった年の契約更改の「いちろくごー」は、小渕恵三の「平成」と同じくらいのインパクトで映像として頭に残っています。
三冠を獲った年以外も安定した成績で毎年打撃タイトル争いに当然のように食い込む落合は、中日ドラゴンズにとって間違いなくこの30年で最高の日本人打者でした。

今の万年Bクラスの中日ドラゴンズしか知らない方は信じられないかもしれませんが、80年代後半から90年代にかけての星野仙一率いる中日ドラゴンズは、球界の盟主である巨人を強くライバル視する優勝争いの常連チームでした。
そんな中で落合が当時導入されたばかりのフリーエージェント制度で巨人に移籍すると分かった時、当時フリーエージェントの意味もよくわかっていなかった小学生の僕が初めて「嫉妬」を感じた瞬間だったと思います。

そして、その翌年94年があの伝説の10.8決戦になるわけです。プロ野球史上かつてないドラマチックな試合で敵として出てきた落合博満が、中日のエース今中からホームランを打つ光景、落合なら打つだろうなという予感と、それでも信じられない気持ちがないまぜになって、声も出せずにテレビを見ていました。

そんな愛憎入り組んだ存在である落合が2004年、監督として中日に帰ってくるのです。

大島派と小山派

前置きが長くなってしまうのですが、中日ドラゴンズという球団の話をする上で、話しておかなければならないのが、親会社であり、中部圏のメディアを牛耳る中日新聞の成り立ちに大きく関わる派閥争いのことです。

中日新聞社はそもそも昭和17年に新愛知新聞(小山家)と名古屋新聞(大島家)が統合して出来た新聞社で、小山派と大島派が交代で中日ドラゴンズのオーナー・球団社長を務めている関係で、中日ドラゴンズの監督人事もこの二派がお互いに足を引っ張り合うというなんともしょうもない状態が長く続いています。
少し話が飛んでしまいますが、ミスタードラゴンズと呼ばれながら09年に引退後一度もユニフォームを着なかった立浪が、昨年の小山派の白井オーナー退任、大島オーナー就任を経て、今年監督に就任したのはまさにそれです。

8年にわたる政権で黄金期を築いた落合が何故監督を辞めるに至ったか、しかも最終年は球団史上初のリーグ連覇を成し遂げながら。

「坂井 ガッツポーズ」でググってもらえたらと思いますが、こんな球団運営で長い目線で強いチームを作るなんて不可能です。

去年の祖父江の年俸交渉で出てきた、球団代表の「過去の実績を評価して欲しければ早くFAを取れ」という発言も話題になりましたが、中日ドラゴンズというのはそういう球団です。

本編

ただ僕は中日ドラゴンズがめちゃくちゃ好きです。中日ドラゴンズのユニフォームを着ている選手は誰でも好きだし、アホみたいなフロントのこともそれなりに好きです。極論、中日ドラゴンズが来年からクリケットのチームになったとしてもクリケットのルールから勉強しようかなと思うくらいは中日ドラゴンズが好きです。

そんな僕がこの書籍を手に取って最初に思ったことは、「嫌われた」はいったい誰から嫌われたのか?ということです。

ガチガチの勝利至上主義で面白くない野球を見せられたファンから?
時に非情な采配を下される選手から?
徹底的に統制されて情報が上がってこないフロントから?
「分からないならそれでも結構」とばかりにたった一言でコメントを済ませられる記者から?

当時の中日ドラゴンズをリアルタイムで見てきた中で、確かに落合に対する批判的な声もたくさん見てきました。当時はSNSも今ほど流行ってなくて(僕がTwitterのアカウントを作ったのは2012年でした)、当時のなんJではオチアン(アンチ落合の方々)が、主に

・若手を使わない(みんな最初は若手だったね…)
・成績が振るわない外国人選手にこだわる(セサルの悪口やめて)
・ファンサービスしない(ファンサービスって何?)
・記者をバカにしている(「見くびるなよ」とか「よかったね、おめでとう」とかで各自検索してください)
・「自分の成績を超えてみろ」と無茶を言う(無茶だよね)

というような内容で落合を批判していたような気がします。
言葉少なに語る落合の起用や采配の真意が伝わらないから何となく嫌だという空気はあったような気もします。
ただそういった空気も、落合が監督として残した圧倒的な成績を否定できるものではなく、一部のアンチからも「強いけどクソ」とかいう褒めてるんだか貶してるんだかわからない言われ様で、全体としてのプロ野球ファンからの監督・落合の評価は高いものだったと思います。

強いて言うなら、本当に落合のことを嫌いだったのは全く相手にされなかった中日OBくらいなもので、あとはみんな別に嫌いではなかったんじゃないかな。好きではないかもしれないけど。

本著では記者であった鈴木さんの丁寧な取材を通して、当時落合と共に戦ったコーチ・選手の思いが克明に描かれています。中日ファンとしては非常に興味深い内容でした。特にあの日本シリーズの継投の場面に関して岡本の視点から描いた部分は本当に本当に秀逸でした。あの章を読むだけでも2,000円の価値がある内容です。ありがとうございました。

この本を読み終えた時、今まで自分の中にあった落合像の輪郭が少しだけハッキリしたような気がしました。
球団と交わした契約書に書かれた「ドラゴンズを強くし、優勝、日本一を目指すこと」その一点のみを守るために、組織を作り、任せるべきを任せて、責任を取り、情報を管理し、その日その時の勝利に必要だと思う選手を起用して結果を出した落合はシンプルで合理的な監督だったんだと思います。

余談:これからの中日ドラゴンズ

いよいよ来シーズンからは立浪監督体制になり、中村紀洋が打撃コーチになり、「京田トリプルスリー狙える」「石川打撃覚醒」など威勢の良いニュースが飛び交っていますが、この10年、毎年ボジョレーばりに「今年の中日は強い」と聞かされてきた僕ら中日ファンはそんなことでは全然浮かれていません。

落合が監督就任初年度で優勝した2004年も前年2位、前々年3位と、もちろん落合の作った組織や監督としての手腕の影響はあれど、中日ドラゴンズは地力のあったチームでした。

かたや現在の中日ドラゴンズ、コロナ禍の影響で短縮シーズンだった一昨年の3位を除けば8年連続Bクラスで既に5位が実家のような安心感。
監督やコーチが代わって優勝できるとは思っていません。

贅沢は言いません。勝っても負けても応援するので夏までは夢見させてください。

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