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初音ミクシンフォニー2022サントリーホール公演、期待を超えた「期待通り」だった

去る2022年7月2日、初音ミクシンフォニー サントリーホール公演(昼)を鑑賞した。始まるやいなや演奏に圧倒され、感動することの連続だった。あっという間の2時間。そして公演後、得も言われぬ満足感や充足感で心が満たされた。普段はライブやイベントに参加してもTwitterで数行の感想をつぶやいて終わってしまうのだが、あの感動を何とか言語化したい。そう思い至りnoteを書いてみることにした。

とはいえ私には特段、音楽の素養がある訳ではない。小中高で音楽の評定(内申点)は5段階中いつも3だった。演奏の技術的なことは分からないし、クラシックの文脈がどうとか、ボカロ史においては云々といった(高尚な)文化論への解像度も低い。それでも、初音ミクの1ファンとして、あの日感じたことを書き留めたいと思う。

私と初音ミクシンフォニー

(オタクの長い自分語りです!興味が無ければ読み飛ばしてください!)

振り返れば2016年、ボカロ史上初のフルオーケストラコンサートが開催されるとのニュース記事に私はひどく心惹かれた。

初音ミクを中心とした名曲たちの、史上初となる単独フルオーケストラコンサート【初音ミクシンフォニー】が、2016年8月26日に東京国際フォーラム・ホールAで開催される。
(中略)
本公演では、来年10周年を迎える初音ミクを彩ってきたボカロPたちの楽曲が、豪華で贅沢な東京フィルハーモニー交響楽団の演奏によって蘇る。インターネットから発信し、幾度となく奇跡を紡いできた楽曲たちが、オーケストラという生演奏スタイルで奏でたとき、どのような化学反応を起こすのか。また、初音ミクが歌ってきたメロディを、生楽器で演奏したときに、どのような感動が待っているのか。本コンサートは、このような音楽の新たな価値を創造し、その世界を体感する実験の場となる。

billboard-JAPANより引用

初音ミクらボーカロイドを使用した、機械音声ありきで作られた楽曲を、フルオーケストラに合わせて再解釈・再構成するとどうなるか。到底想像はつかなかったが、単なるオーケストラアレンジに留まらない何かがある予感がした。上に挙げた記事の煽りもあって期待は高まり、その化学反応を、感動を、新たな価値を是が非でも体感したかった。

が、受験生だった当時は親の許しが得られず、残念ながら現地参加は叶わなかった。後に公開されたセトリを羨望の眼差しで眺め、CDの発売を一日千秋の思いで待ちわびたのを今でも覚えている。 そしてCDを入手してからは、楽曲の展開を覚えてしまうほどに何度も何度も聴き込んだ。DIVAで聴き馴染んだ楽曲たちがオーケストラの構成で奏でられるのが心地よかった。安物のイヤホンから聞こえる音質はそれなりで、「生楽器の感動」は正直希薄であったが、それも気にならなかった。

期待していた楽曲の再解釈・再構成といった観点では、主旋律を楽器が担う楽曲では種々の音色が活かされていた反面、ボーカロイドが歌唱する楽曲ではオーケストラが背景と化してしまっているように感じた。実験の場とは言い得て妙で、機械音声(の歌唱)とオーケストラのバランスを取る難しさに思いを馳せつつ、今後に期待したいな、などと生意気にも思った。

それから時は流れ2019年、パシフィコ横浜・国立大ホールでの公演で、念願だった現地での鑑賞を果たした。だが、かねてより抱いていた期待とは裏腹に、何とも後味の悪い思い出となってしまった。

最も期待していた音に関しては、フルオーケストラの演奏がPAによって作られた音としてスピーカーから流れ、さらに演奏を上塗りする大音量の機械音声が耳に刺さる有様。無音時のホワイトノイズも耳についた。観客のマナーも問題で、雑多な手拍子や曲が終わる前のフライング拍手、更にはビニール袋や痛バの缶バッチの雑音、前奏から曲が判ったときの独り言などノイズだらけ。演奏は良かったはずなのに、鑑賞中はストレスフルだった。

初音ミクシンフォニーが純然たるオーケストラコンサートではなく、映像等を併せたエンタメ性の高いものである以上、音質に関しては過度な期待だったのだろう。だがそれでも、音量のバランスが酷く、ミクさん頼むからちょっと黙ってくれ、と内心思ってしまったのは我ながらショックだったし、(私の周囲の)観客のマナーに関しては論外だった。マジミラに比べれば観客の年齢層も高かっただろうに。
Bad ∞ End ∞ Nightシリーズメドレーなど素晴らしい編曲もあっただけに、チケット代を払ってこんな思いをするくらいなら、その現実を知らず理想は理想のまま、静かな自宅でCDを聴く方が良かったとさえ思ってしまった。

それからは、現地公演とは距離を起き、毎年通販でCDを買うようになった。5周年記念のサントリーホール公演が決まり、どうやらこれまでのシンフォニーとは別物らしいと耳にしたときも、どうしても現地に行く気になれなかった。また期待を裏切られ、今度こそミクさん(のコンテンツ)を嫌いになってしまうのが怖かった。だが後になって本当に、サントリーホール公演は格別だったらしいと知る。公演後にTwitterのTLを流れた感想を読むにつれ、行かなかったことを少しだけ後悔した。

そして今年、シンフォニー5周年を逃し、当分の間は無いだろうと思っていたサントリーホール公演が開催されると知ったとき、一度は捨てたつもりでいた期待が再び湧き上がった。かつて羨望し、そして得られなかった感動が、今度こそ、サントリーホールでなら得られるのではないか。純粋なフルオーケストラのために再解釈・再構成されたボーカロイド楽曲を、至上の音響で聴けるのではないか。そんな期待と19年の不安を綯い交ぜにして、3年ぶりの初音ミクシンフォニーに赴いた。

求めていたもの、得られたもの

前置きが長くなったが、私がサントリーホール公演に期待していたもの、求めていたものは、次の4つ。

  1. ボーカロイド楽曲がフルオーケストラで演奏されるに際して、どのように再解釈・再構成されたかを聴き、個々の楽曲やボーカロイドの有り様への解像度を高めたい

  2. あわよくば私にとって未知の価値感や感動に触れたい

  3. 純粋に芸術鑑賞として良い音を聴きたい

  4. それらの受容において、種々のノイズに煩わされたくない

そして今、公演を思い返せば、これら当初の期待を優に上回る素晴らしい体験をさせてもらったと思う。

ボカロのいないボカロ曲

サントリーホール公演では全曲がボーカロイド歌唱無しのインスト曲として演奏された。ボカロがいなくなること自体は、歌ってみた・演奏してみた等の二次創作では当然の事象であり、目新しさは無いはずなのだが、その過程において原曲を再解釈・再構成することの完成度が別次元であった。

原曲の雰囲気は保ちつつも、歌詞のフレーズが内包するメッセージを巧みに汲み取り、それをはまり役の楽器で表現してくる。その主旋律に、効果的な対旋律を当ててくる。目立たせることと立たせることの違いを踏まえた、プロフェッショナルの仕事だった。編曲者らがオーケストラの楽器に精通しているのは当然として、種々の楽曲に対する解像度が、理解度がものすごく高いことが伺えた。

個別の楽曲に注目すると、方方で絶賛されている「悪ノ娘」~「悪ノ召使」のメドレーなどは言わずもがな素晴らしかったが、私にブッ刺さったのは「初めての恋が終わる時」、そして「メルト」の2曲だ。

今年でデビュー15周年を迎える初音ミクは、これまでバーチャルシンガーとして千変万化、どんな歌でも歌ってきたが、その実16歳の女の子(という設定)は忘れられがちに思う。そんな中で、彼女が年相応の、等身大の想いを歌っているようで、私が大好きな楽曲が「初めての恋が終わる時」だ。
ドラマチックな歌い出しに始まり、情景描写と対比的な片思いの心情、内心の揺れ動き、想いを吐露することの葛藤を経て、切なさと爽やかさの相俟った終わりに至る。一少女の繊細な恋心をミクさんが歌い上げる名曲である。

この曲中の少女の心の機微を、原曲の初音ミク以上にありありと表現する演奏だった。恐るべきは編曲か、指揮か、東京フィルか、はたまたその全てか。生まれて初めて、楽器の音を聴いて情景が浮かんできた。原曲の歌詞を知っていたとはいえ、小中学校の授業でやらされた音楽鑑賞で何も感じ取れず、空白のプリントを提出して音楽教師に詰められた私にすれば目から鱗。比喩でも何でも無く、楽器が持つ表現力の、無限の可能性を示してくれた演奏であった。

そして「メルト」は、ボカロ史にその名を刻む初音ミクの代表曲であるとともに、16年公演から演奏される初音ミクシンフォニーの伝統曲とも言える楽曲であろう。ファンにとっておなじみの原曲はもちろんのこと、CD収録のシンフォニー16年アンコール版、17年メドレー版、20年5th Anniversary Ver.のいずれも私はよく聴き込んだ。この曲に限ったことではないが、同じ曲を何度も聴いているうちに、先の展開を覚えてしまうことは珍しくないだろう。一度覚えてからは、オンタイムで音を聴きつつも、ここでこの楽器が入ってきて、更にそこからこう盛り上がって、といった具合に次に来る音を予期しながら鑑賞することとなる。

今回の公演における最終曲、これまでに聴いたあらゆる「メルト」の中で、最も美しい音色で始まったイントロ。それを聴き取った瞬間から、脳内では次に続く音が呼び起こされる。そして記憶の中の歌声を、旋律をなぞるように、求めていたものが予定調和を満たして、すっと入ってくる。期待を遥かに超えたクオリティで、期待した通りの音が次々と私の内に収まっていくのが心地よかった。あっという間に曲はラスサビへ。このままずっと続けば良いのにと思わずにはいられない、正に上質で贅沢な時間であった。

マナーとリスペクト

今回の公演では、観客のマナーの良さに恵まれた。基本的な鑑賞マナーをわきまえた観客が多く、19年のようなノイズに煩わされることなく公演を楽しめた。これには公式サイト等における鑑賞マナーの事前掲示や、有志のファンらによるSNSでの呼びかけ、更には当日場内でのアナウンスが寄与したのだろうか。サントリーホール以外の公演でも、この民度が維持されてくれればと思う。
また、拍手のタイミングや大きさは申し分なく、演者へのリスペクトが良く表れていた。アンコール後のスタンディングオベーションは、正直いつまで続けるのだろうかと思ったが、パート毎それぞれに拍手を贈れて良かった。

ただ1点気になったのは、ホール内での写真撮影。今回は公演開始前でも場内の撮影は禁止されていたはずだが、舞台や壁面のパイプオルガンにカメラを向ける観客が見受けられた。他にも撮ってる人はいる、誰にも迷惑はかけていない、などと反論されればそれ以上言えることは無いが、少なくとも私は、ルールを守る善きミク廃でありたいと思う。

最後に

「世界一美しい響き」を掲げた、格式あるホールでの初音ミクシンフォニーは、他会場での公演とは明確に棲み分けされた、別格の公演であった。

初音ミクシンフォニーとしてフルオーケストラが紡ぐ、ボーカロイド楽曲の新たな可能性に期待して幾年。本公演は、期待を遥かに超えていて、それでいて正にこれを求めていたんだと思わせる「期待通り」の出来だった。
かつての私のように他会場で公演を鑑賞して、期待外れだと感じた人が、もし本noteを読んでくださったのならば。ぜひ11月のザ・シンフォニーホール公演や、次のサントリーホール公演へ足を運んでみてほしい。失望して、見限ってしまうにはあまりにも惜しい、至極の体験がそこにあるだろうから。

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