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残された時間を繰り返す

 晴れやかな待遇を受けて、入社式に臨むスーツをまとう若者たち。企業が期待する社員像は、長く続けてくれることに尽きる。景気が良くなった実感はないが、人材不足がいたる所で起きている。働き手と雇用側、互いに求める内容が近ければよい。そこが真逆を向くと、離職率が高くなる。求めるものと、新人のスタイルが違うのだから二者の関係は短命に終わる。

 企業経営の大義は利益を追求し、株主に還元すること。そのために、人材を中心に投資を繰り返す。不幸にも離職者があれば、新たに人材を求め育ててゆく。そうして、大きな企業は体裁を維持してきた。これが永遠に続くのではないかと思えるほど、その企業は活動の手足を休めることがない。経営が続くってことは、朝になれば東から日が昇るのと同じなのだ。その営みに不自然さを感じないほど、企業は毎朝目を覚ましてきた。

 田舎の俵山にも企業はある。当法人は地域活動の維持と発展を目的に設立された。江戸時代から続く温泉の町であるから、旅館や土産物屋などが軒を連ねる。農業法人もいくつかある。そのどれもが維持に困窮している。人材不足ではない。人材がいれば続くほど易しい課題は見当たらない。「何をどうすれば」を毎日考え、あーでもこーでもないが繰り返される。年老いて経営者の体力は衰え、経営空き家が増えてゆく。

新しい道路が造られるとか、政策に依ることもある

 人が集まらないの理由のひとつがタイトルに込めた思い。未来が描けないのだ。高齢化によって人口減少はいたるところで起こる。俵山だけの現象とは違う。地方で暮らす場合、大きな会社が林立し、働く世代が多いロケーションを理想とした市政に頼るとしっぺ返しを食らう。社会の構造が違うのだよ。異次元の子育て政策は空回りする。極端な物言いだが、田舎は「太く短く生きる」を何度も何度も繰り返してきた。

 なだらかに右肩上がりの線を引くことが難しい。永遠に続くような幻惑の構図はない。だから、そこに魅力がある。大きなことができる余白が残されている。数年前、俵山ビレッジを創設したmurabitoたちが、途絶えることなくやってくる。朧気ながら目的と理由があり、田舎で暮らしたい人は増えてゆく。残された時間は減らず、増やすとも違う。残された時間は多くない。今の俵山はヒトの交流によって、それが繰り返されている。

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