もし明日突然死んでしまったら、血の繋がりのある人らにこれまでの人生の軌跡を覗き見される気がして、記事を全部削除した。まだ寒いころだった。

「死の講義」という本を読んだ。易しい本だと帯に書いてあったが、普段読む類の書物ではないので、難しく、読むのにかなり時間がかかってしまった。著者は「どう死ぬか」は「どう生きるか」に結びついていると述べていた。(私にとっては)恐ろしいことも書かれていたが、「死」ひいては「生」について少しは理解が深まった。

新世紀エヴァンゲリオンを見た。この素晴らしきアニメを今まで見てこなかったことは非常に後悔していると同時に、大人になってから触れて良かったと思っている。監督のドキュメンタリーを見た。自身の死への衝動を踏みとどまった事について「死ぬのは構わないけど、死ぬ前に痛いのは嫌だから。」と言っていた。とても共感した。

忙しいという字は心を亡くすと書く。たくさん本を読みたいのに、最近はあまり時間がとれない。私にとって本を読めないということは心が死ぬということだ。漫画や映画も好きだが、画だけでは脳が死んでしまう。最近流行りのアプリでは、十数秒の動画が次々と際限なく流れてくる。しかも自分の好みの傾向を勝手に判断してお勧めしてくるお節介付き。インプットの易しさに身を委ねて、思考を放棄するような人間にはなりたくない。

「葬送のフリーレン」という漫画が気になっている。なろう系のファンタジー作品は自分で集めるほど今まで好きになった事が無い。こんな私でも好きになれるだろうか。

自分でも記憶に残っているほど、私は幼少期から「死」について考えている子供だったが、大人になっても同じことばかりを考えている。

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