Aruku

昨日見た夢や日々考えたことを気の向くままに

Aruku

昨日見た夢や日々考えたことを気の向くままに

最近の記事

ハレ

友人に感化されて始めた、月の数だけ更新しようキャンペーンは未達成で終了した。また気ままに更新していこうと思う。 日本には「ハレとケ」という概念がある。「ハレ」は冠婚葬祭などの非日常、「ケ」は日常生活を表し、日本人の伝統的な世界観を表現するため、柳田國男によって定義された。 倫理の授業で先生の話を聞きながら「なんて当たり前のことを言っているんだろう」と思い赤ペンで印をつけたことを覚えている。 先日、訪れた展覧会にて「ハレ」をテーマとした「祝彩風祭」という作品が展示されていた

    • ユメ

      大学時代の友人からポストカードが届いた。 女の子2人が優しい色合いで描かれていて、とても綺麗だった。 送り主の友人はずっと外国で生活をすることが夢で、今まさに夢を叶えている真っ最中だ。彼女を見ていると、自分も好きなことに挑戦しようと、意欲が湧いてくる。 夢と呼べるほどの代物ではないかもしれないが、私にも挑戦したいことがある。だが、それを叶えるにはまだ時間が必要で、今は準備段階だ。とはいえ、うかうかしていたら徒に時間を消費してしまうのではないか、と焦りもある。もどかしい気持

      • トウソウ

        目標回数まであと7回もあるのに、8月も残すところあと9日あまり…間に合うのか?! 今までは書きたいテーマを温めていたけど、あまり推敲せず更新していくのも良いかと思ってきた。新陳代謝を高めていきたい。 昨今何かと注目されている「ジェンダー」について書いておこう。 私は偶然にも、身体的な性と精神的な性にそれほど乖離はないが、ジェンダーに関心がある。冷たい言い方をすれば、自分には関係の無い問題なのに、不思議なほど考えさせられることが多い。 ジェンダーは「らしさ」との闘争だ。思

        • ウミ

          私にとってnoteを更新することは、とてもエネルギーを必要とするので、1年以上も先延ばしにしてしまった。 再び書き出すきっかけを探して、探すのにも疲れて、noteのnの字すら思い浮かばなくなった頃、友人がnoteを始めたという知らせを聞いた。彼女と一緒に今月は8回更新を目標にしようと思う。すでに8月も後半にさしかかるというのに無謀だろうか。 社会に出て数年経ち、それなりにうまくやっていると思う。死や善悪について頭を悩ませ鬱屈としていた学生時代に別れを告げ、社会の歯車となっ

          タクシー

          浪人時代の数少ない友人(職業:高校教師)が、嘆いていた。最近の高校生は芸術についてすぐに"正解"を知りたがり、誰かの答えを求めてしまう傾向にあると。彼の持論は、別の誰かの尺度で作品の価値を決めるのは馬鹿げているし、己がどう感じたか以外は不要だというものだ。要は他人のレビューなどクソくらえだと。 私も概ね同意だった。「タクシードライバー」という映画を観るまでは。 「タクシードライバー」は1976年公開のアメリカ映画だ。監督はマーティン・スコセッシ、主演はロバート・デニーロ。

          タクシー

          イブンカ

          洋画を見ていると、しばしば母親を侮辱する台詞を耳にする。侮辱された側は大抵激昂する。私が日本人だからかこの表現がどれだけの屈辱なのか、よく分からない。日本で言うならば「お前の母ちゃんでべそ」などが当てはまるのだろうか。なんとなくニュアンスが違うような気がする。「ママのおっぱいでもしゃぶってな」だろうか。合っているのか分からない。 母親だけではない。不朽の名作「Stand by Me」では、いくら自分を馬鹿にされても怒らなかったテディが、父親を侮辱した大人を殴ろうとする描写が

          イブンカ

          テンドン

          ふと日常の中で昔起きた嫌なことを思い出すことがある。嫌なことと言うよりか、失態と言ったほうがより理解してもらえるだろうか。小学生の頃の失態を今も鮮明に覚えている。私以外の誰もきっと覚えていないのに。叫びたくなるくらい自己嫌悪に陥るが、どうにか堪える。あまりにもその発作がひどい時は「しんどい」だとか「死にたい」だとかぽつりと独り言を言う。独り言を言うような人間にはなりたくないと思っていた。今も思っている。 みんなはどうしているのだろうか。このどうしようもない衝動を。どうやって

          テンドン

          もし明日突然死んでしまったら、血の繋がりのある人らにこれまでの人生の軌跡を覗き見される気がして、記事を全部削除した。まだ寒いころだった。 「死の講義」という本を読んだ。易しい本だと帯に書いてあったが、普段読む類の書物ではないので、難しく、読むのにかなり時間がかかってしまった。著者は「どう死ぬか」は「どう生きるか」に結びついていると述べていた。(私にとっては)恐ろしいことも書かれていたが、「死」ひいては「生」について少しは理解が深まった。 新世紀エヴァンゲリオンを見た。この