タクシー

浪人時代の数少ない友人(職業:高校教師)が、嘆いていた。最近の高校生は芸術についてすぐに"正解"を知りたがり、誰かの答えを求めてしまう傾向にあると。彼の持論は、別の誰かの尺度で作品の価値を決めるのは馬鹿げているし、己がどう感じたか以外は不要だというものだ。要は他人のレビューなどクソくらえだと。

私も概ね同意だった。「タクシードライバー」という映画を観るまでは。

「タクシードライバー」は1976年公開のアメリカ映画だ。監督はマーティン・スコセッシ、主演はロバート・デニーロ。パルム・ドールを受賞しているようだ。ストーリーは、タクシードライバーとして働く帰還兵のトラヴィスが、汚れた街への嫌悪感や失恋、孤独から過激な行動へ走る、というものだ。

感想としては、非常に印象的な映画だった。詳細を述べると、上映時間の114分のうち最初の90分程度は少し退屈だった。しかし、残りの約30分は斬新で惹きつけられるシーンが多く、息をするのも忘れてしまいそうだった。つまり、30分のために撮られた映画だった(ように私は感じた)。しかし、こんなに分かりづらく、好みの分かれそうなこの映画がどうして人気が高かったのか、理由が分からなかった。調べてみることにした。

Filmarksの感想やいくつかの考察サイトを読んだりするうちに、時代背景のことを知った。作中では全く語られてはいないが、「ベトナム戦争」が大きく関係しているようだった。当時の人々の心境を知るうちに、この映画の当時の反響にかなり合点がいった。

私は普段、美術館でも自分が作品を咀嚼するまではキャプションを読まないように意識しているし、小説などはレビューを見るより本屋さんで手に取って選んでいる。だが、映画は鑑賞後にこうしてFilmarksでの他人の感想や作品のWikipediaを読むのが好きだった。お気に入りの映画は特に。何故なら、監督や俳優自身のバックボーンや撮影中のエピソードについて記載してあることが多いからだ。全部を真に受けているわけではないが、監督の幼少期の体験から着想を得た、有名なシーンが俳優のアドリブから生まれたなどのエピソードを目にすると、とてもワクワクする。すぐにでも再生ボタンを押して確認してみたくなる。

今回の出来事を通して、自分の中には無かった知識を得たり、他人の感想や考察から自分の解釈を深めたり、また、それを足掛かりにして作品の新たな側面を知ったり、そういったことは、デジタル世代の特権なのではないかと感じた。せっかく指先一つで何でも情報が手に入る時代なのだから、利用しないのはもったいない。もちろん考察を真に受けすぎるのは良くない。考察系YouTuberの動画を見て分かった気になっているのなんてもってのほかだ。

冒頭の話に戻るが、彼の主張に対する私の考えはこうだ。

「他人の尺度を利用するのは大いに結構だが、
己の解釈を持つ気がない人間に映画ひいては芸術を楽しむ権利は無い」


最近は「ODD TAXI」というアニメを観ている。偶然にもタクシードライバーが主人公のお話だが、偏屈な人間やお笑い好きにはぜひおすすめしたい。

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