テンドン

ふと日常の中で昔起きた嫌なことを思い出すことがある。嫌なことと言うよりか、失態と言ったほうがより理解してもらえるだろうか。小学生の頃の失態を今も鮮明に覚えている。私以外の誰もきっと覚えていないのに。叫びたくなるくらい自己嫌悪に陥るが、どうにか堪える。あまりにもその発作がひどい時は「しんどい」だとか「死にたい」だとかぽつりと独り言を言う。独り言を言うような人間にはなりたくないと思っていた。今も思っている。

みんなはどうしているのだろうか。このどうしようもない衝動を。どうやって堪えているのだろうか。そもそも堪える必要がないのだろうか。失態が許容量を超えたらどうなってしまうのだろうか。その前に忘れるように、人間はプログラムされているのだろうか。


昔好きだった人や、仲が良かったが今は疎遠になってしまった友人への気持ちはどうすればいい。会わずに数年以上経っているともなれば、お互い全く知らない人間へと成長を遂げていることだろう。少なくとも私は、彼らと親しくしていた頃よりも、卑屈な人間になっている。今になって会ったところで、それぞれが違和感を覚えるだけだ。彼らへの思慕の念はどうすればいい。どうしたら報われるのだ。

みんなはどうしているのだろうか。このやるせない気持ちを。どうやって救えるのだろうか。そもそも救われる必要がないのだろうか。思いが許容量を超えたらどうなってしまうのだろうか。その前に忘れるように、人間はプログラムされているのだろうか。


いつ頃からか、人から「可哀想」と思われることがとてつもなく悔しくなった。決して悟られないように注意するが、「こちら側の事情も知らない癖に分かった気しやがって、ナメるな」と思ってしまう。「人から同情されるのを嫌がる人、(心に余裕が無くて)可哀想」なんて思われてたら、ぐちゃぐちゃに呪い殺してやりたい。「可哀想」が優しさから生じる場合は特に、行き場の無い怒りだけが私の中に残る。

みんなはどうしているのだろうか。この詮方ない憤りを。どうやって解消しているのだろうか。そもそも必要がないのだろうか。怒りが許容量を超えたらどうなってしまうのだろうか。その前に忘れるように、人間はプログラムされているのだろうか。


久しぶりに自分の考えを文章化してすっきりした。オチなど無い。


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