環境問題を解決するのは科学なんだろうか

太宰府天満宮の宮司というのは千年以上続く家であって、そんなに続く家というは世界中探しても日本くらいではないかとのことだ。この1000年続く家の継承という感覚は、資本主義ドリブンで動いて目先の利益に走る今の経済社会とは随分違っているように思った。100年200年先バトンを繋ぐ、たとえそれが自分の代に実るものではなくとも、それにプライドを持って実行できる。

理系の研究職とかやってると、SDGsだという話題はもう日常的になってきた。そういう環境問題とかはまさに千年の継承の感覚でないと解決してないのではないせいかと思った。今出ているエコな新製品とか、サービスとか、その環境に優しい的な価値観は、ヨーロッパの生み出した資本主義社会で戦うための新しい価値で、それはそれでとても大事なことだと思うんだけど、結局儲からないと意味ないことになる。人々がそこに価値を見出す必要がある。そのようにブランディングして、資源の乏しいヨーロッパは資源を使わないという価値を生み出しているように感じてしまうわけで、環境問題のためにエコな製品を開発する感覚は、100年先を考えて太宰府天満宮を継承する感覚とは、違うんじゃないかと思う。仮にアラブ諸国にある石油と、中国にあるレアメタル、レアアースが全部ヨーロッパから産出するようになって、ヨーロッパ諸国の人たちがめちゃめちゃ豊かになって、アラブ諸国と中国が落ちぶれたとして、同じようにヨーロッパの人たちはSDGsを打ち出すのか、全員が生活レベルを落としてエコに暮らすのかと言ったら、私の想像ではあんまりそうは思えない。でも、人類全員が何千年と続いた人類の歴史を次の千年に繋ぐのだ、私達はそのバトンを託されているのだ、という責任感みたいなものを感じることができればできると思う。太宰府天満宮の宮司ともなると、これくらいの感覚なのではないか、と思ったのだ。
そう思うと環境問題を解決するのは科学なんだろうか、とふと疑問になった。

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