新しさの行方 広瀬比沙雄
戦後のいけばなの変化は眼をみはるものがあった。観る側からいえば一作一作が奇想天外であり、活ける側でいえば全く世を驚かす為の冒険のくりかえしであったように思う。
自由な表現―これ程魅力に満ちた言葉はなかった。戦前「いけばなのお稽古」をした人であればそれがわかろう。長短から右向き左向き、花材にまで制限が加えられ、決められたものを、決められたように活けたあの不自由さ、その故に、いけばなは今日のように活発な動きを示したともいえるだろう。
ところで戦後もすでに十五年である。「新しいいけばな」という語もピッタリしなくなってきた。いろいろな流派を見渡して、自由な表現をとり入れていない流派はあるだろうか。新しいいけばなの旗印「草月流」をひっさげて、開拓精神というか燃えるような情熱を注いだ時代はすでに過ぎたといってよかろう。ほとんどが形式から脱皮したようなこのいけばな世紀の大転換のときに、しいて背を向けていた流派は今日誰が問題にしよう。すっかりズレを暴露して時代の波に押し流されてしまった観がある。
そしてかつて新しさを唱えた私達は同化された"いけばな"の中で何を考え、何を唱えたらいいのだろうか。「いけばな美術」という。下駄箱の上に一輪の花で「いけばな美術」でもあるまい。しからば制作日数三ヶ月、鉄と木材を組み合わせここに精巧なオブジェを作りあげたとする。それが今後の「いけばな」と誰がいえよう。
おそろしいことは新しいワクがいけばなにできつつあることである。形式化した類型的作品ができつつあることは、一つは権威におもねる定見のない作家がいること、一つは時間的なもので世間の要求から一種の流れ作業で、できあがるからである。そして一番大切なことは「いけばな」を軸にしてつまり主題を常に「いけばな」において、その表現のあり方を考えなければいけないのだ。いけばなは絵画でも彫刻でも、アクセサリーでもない。いけばなが次の世代にもやはり「いけばな」であるように引き次ぎたい、それが私達の願望である。伝統のある遺産として受けつがせたいものだと思う。(うつぎ会報30号1961年4月掲載)
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