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不安定型と回避型と愛情

さてやってまいりました自己分析のお時間です。


前回記事にした「考えすぎて動けない」に少し関わる文面だと思う。


こんな自分のことをばっかり考えてどうするんだとは思うが、何故自分がこうで、他人と違うのかを知りたい欲が頭を巡らせる、なんてかっこよく言ってみる。

そうでないと、自分が自分でいられなくなる気がする。


さて、最近仕事で「愛着障害」について学ぶ機会があった。本番前なこともあり、自身の演奏と仕事で浮上してくる自分自身の課題や問題点に頭を抱えながら必死に過ごすこの頃だが、そんな時である。


愛着障害に関した実験の話を聞いて引っかかり、色々と調べてみた。

内容は2,3歳の子供と親がおもちゃのある部屋にいて、親が少しの間退出した時の反応をみるというもので、愛着障害のタイプにも親子共に数種類のタイプがあって、聞いた話では、やっかいなのは「不安定型(親)」の「回避型(子)」である様だった。

「回避型」とは聞いた限り、親が自分を置いて退出した現実を受け入れられず、ひたすらにおもちゃで遊び、帰ってきても黙々と遊んでいるといった様子だそうだ。外見だけ見れば「良い子ちゃん」である可能性もある。

つまりここでの回避は「おもちゃで黙々と遊ぶ」点である。親が安定型で信頼関係が気づけている場合(つまり子も「安定型」)では、親がいない事にショックを受けるも、必ず帰ってくる事を信じておもちゃを触り、親が帰ってくると抱き着くとか、泣き出すとか、安心感を感じる様子が見られるそうだ。

もう一つのパターンは子の「不安型」で、パニックを起こしたり不安が抑えきれない状態であるらしい。親が帰ってくるか分からない不安が勝つ。つまり、「帰ってくる」という親子の信頼は構築されていないといった見解だった。(若干説明に自信がなく・・ズレてたらすみません)

ここで何が引っかかったかと言うと、自分は必ずしも「安定型ではない」と何だか分からないが確信して聞いていたしまった事である。

おそらく、子どもの私も心で葛藤しながら「良い子ちゃん」になりきって黙々と遊んだり、何かしているだろうと思ったからだ。

そう、その時点では自分は「不安定型(親)」の「回避型(子)」なんじゃないかと思った。自分は、特に小学生の頃はしんどくても親に頼ろうなんてまず思う事はなかったし、マイナスは話に共感しにくい。自分の意見を言っても良い事はなかったし、悪口を言おうもんなら裏切られて嫌な時もあったし、口合わせとしてでも話しても良いものかさえ考えていた。(本当は悪口そのものがよくないはず)一番しんどかった作品を壊された時さえ、先生に言って、解決されないまま終わっただけだったし、泣く事は良くない事だと思っていたし、泣いたら怒られた。

あと、こじつけで言うのであれば父親は明確な回避型人間である。

つまり自分は一番やっかいなまま社会人になってしまったのではないかと思ったのだ。人間関係が難しいと感じるのは今に始まったことじゃない。今だって後悔しっぱなしで後から脳内反省会を開く日々である。


・・・にしても、調べてみた回避型の行動の特徴に完全に当てはまる訳でもない。おかしいぞ、いや、これはこれで良いんだけどさ・・


色々考えたり調べると少しずつズレが生じる。育った環境や出会った人で変わっていくとはいえ、あれ?と思ったのは、

親密な関係を避ける・否定的な意見が多い・共感が難しい・・・


などである。否定的は・・あるかもしれないが、ヘタクソだなと思いつつも個人的に人とは仲良くしたい気持ちはあるので、他者に興味ない訳ではないし、傷つけたくない(傷つきたくもない)とか考えていくと、「問題に直面すると逃げたい気持ちになる」以は回避にあたるとしてそれ以外はどうなんだ・・・?


と、そこで目に入ったのは「不安定型の不安型」である。

調べてみた所の特徴は

・いつも人に気を遣う

・相手の顔色を伺う

・人に合わせる自分を自己嫌悪する

・拒絶をおそれている


といったものだったが、これは結局の所、「自己肯定感の低さ」であると思っている。私の見解からすると、他人軸で「人に嫌われて傷つく自分」を極端に恐れるタイプである。

・・・・・・・あれっこの話、新郎としたな??????????????


と思うと同時に、以前同じ様な事で悩んだ際に自分が考えついた「母も自己肯定感があまり高い人ではないんだろうなあ」という結論と結びついた。


きっと、母も自信がないのだ。いつも心もとない挙動で、せわしない。

母になるのは、勿論初めての人もそうでなくても不安が沢山あるだろう。自分の問題、子どもの問題、きっといっぱい悩むはずだ。

でも、おそらく母の不安はそこじゃない。漠然とした不安と、上手く言えないけれど積み重ねられなかった「大丈夫な経験」があるのだと思う。


私も自信がない。きっと、じいちゃんが大丈夫って言ってくれてなかったら、やってこれなかったくらい不安でいっぱいだ。私達はきっと「大丈夫」と実感する経験を圧倒的に積んでこなかったのだろうと思う。



「不安定型」の「不安型」「回避型」が、私達の形なのだろう。



愛着障害なんて大層な名前から導きだした様な結論だったが、言葉に当てはめると似た様な問題点があっただけで、多分他の人達も沢山そういうのがあるんだろう。


そもそも愛情とはなんだろう。調べれば出るんだろうが、個人的に自分は母から「愛情」を受けた覚えがあまりない。というのも、不安な時に意見は聞いても、母からの安心感はない。なんというか、今言語化するのであれば「母の愛情は、家族一緒に常にいて、母が思った事を率先してやり、良しとする事をして人に恥ずかしくない様に、母が自慢できるように、ピアノを続け良い成績を残し、子として誇れる事をしなければいけない。」事だと思う。

逆に、物は飛ぶが手はあまり出ないタイプだったのが救いとして感情の起伏が激しかったので母がしんどそうな時は口調がキツくなってあたられるのが嫌だった。家族一緒の時は輪を乱すと不機嫌になるから、行きたくなくても行く事にした。比べられるのは嫌だったし、人前でピアノを弾けてなくても良いから、と聞かせるように言われるのも自慢してるみたいで嫌だった。


個人的に、ピアノを他人の前で弾けるよ、と言うのも嫌だった。弾けるなんて思ってなかったしあまり良い思い出がない。卒業式や合唱で万年伴奏をしていたが、クラスの子が推薦してくれる傍らで弾きたいっぽい子に泣かれたり、疎まれたりした。レッスンでは上手い・出来るなんて言われないし、家族も褒めるのを止められていたから身内から、色んな人から褒められても受け取る事が出来なかった。(これは多分一定の方面に同感が得られる気もする)


愛情とは、ただ、今の私にとっては何があっても「大丈夫」と受け止めて貰う事でしかないのだと思う。


母は自信がないにしても、母の自信がなければ私にも自信は生まれない。仮初でも良かった。心のよりどころも、安全地帯もどこにも作られないから、せめて自分のマイナス面を見るだけでもしてほしかったなあと思う。その上で、それでも大丈夫だと言って欲しかった。

結局は、自分は自分の母親から愛情を実感できないまま成長したのである。


私が回避しているもっとも大きなものに、「母」は該当するだろう。

彼女が受け入れられる様に少しずつ話をしようと自分も準備を整えたり話の中で切り出そうとはしているが、今は絶賛過去の話を繰り返している様子が多い。過去の話を繰り返す姿に、今は不安定な精神や寂しさが感じられる。最悪思い詰めてケガをされると困るので(マジである)、様子を見ている。


正直、こちらとしては思いやる場面も必要なのかもしれないが、限界と思える程に早くピアノを回収して帰りたくない程度には一気に距離を置きたい。回避したいのかもしれない。親子での時間は貴重な時間かもしれないが旅行も行きたくない。気疲れするのが目に見えているしそうなると不機嫌になるのは察知した彼女であるのも分かっている。もしくは変に気を遣われてめんどくさい。


愛着障害は、特定の人に、つまり、大抵は親に対して問題点や症状が出現する。

愛着の形成はとても早く、幼少期には確立する。そこで何故、児童に対する職につきながらも私がこう思ってしまうのか、それは分からない。私はそれを感じにくいのかもしれないし、原因は分からない。ただ、小さい頃から自分は漠然と慣れた環境でないと不安で不安で仕方なかったのを覚えている。


ただ、自分は母の都合の良い人間になる事で安心感を得ていたにすぎない。と思う。


話は戻ってしまうが、愛着障害の治療というか、克服法にこんなのがある。

・愛情をパートナーや友達から獲得し直す。信頼できると感じる事のできる身近な人達とのコミュニケーションやスキンシップを通して、幼少期に得られなかった愛情を得ていくことです。

・自分の存在価値を認められる環境(正当な評価が下される職場など)に身を置くことです。愛着障害を抱える人は自尊心や自己評価が低い傾向にあるので、他者が自分の存在価値を認めてくれる事で大きく改善する。


といったのがある(参考貼れてるかな・・)​


「代わりを探す」といった所だろうか。おそらく以前に話をした事があって、沢山の人と関係を持ったり、寂しさが埋まらない人はここなんかなあ。と思ったりするが、絶対それという訳ではないので言い切るのもどうかと思っている。


多分自分の場合は、新郎がその代わりになって愛情を獲得出来たし、今の職場が正当な評価をしてくれるから変われたな、と思える様になったのだと思う。その間付き合ってくれた友達の存在も死ぬほど大きい。


なんだか分からない書き殴りの様な文章になったが、結局自分が何の特性があろうがどんな生き方をしようが、根本は「親の愛情」「親子関係」が第一になってくると気づいた。


以上、「しんどかったら離れても良いんじゃない?」と言われ離れてみた結果、やっと自分に反抗期が来たっぽいうつぼの呟きでした。(ヤバイ位遅すぎる)

家族だって他人だからな、しんどい時は離れれる環境なら離れたって大丈夫だ。ましてや私もうそっちの人間じゃないし社会人だしな・・・。


成長したい。

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