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人類生取り大作戦

法王の宣旨背きがたければ経文に任せて権実二教のいくさを起し~(中略)~生取られし者は我が弟子となる、~(中略)~法華折伏・破権門理の金言なれば終に権教権門の輩を一人もなく・せめをとして法王の家人となし天下万民・諸乗一仏乗と成つて妙法独り繁昌せん時、万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば吹く風枝をならさず雨壤を砕かず、代は羲農の世となりて今生には不祥の災難を払ひ長生の術を得、人法共に不老不死の理顕れん時を各各御覧ぜよ現世安穏の証文疑い有る可からざる者なり。

2023年明けましておめでとうございます。
令和も五年目になりました。

長らく、体調悪く、SNSから離れていたのですが、去年の夏、父が逝去し
時が来たというか、時代の潮目も感じ、そして、SNSの中には、福運もない人(御本仏日蓮大聖人生誕の国に生まれて南無妙法蓮華経を聞けるのは福運だけど)、心を病んでいる人が多いこと。
また日本人の三十歳以下の死亡原因の一位が自殺だというようなことを聞いて、何かしなくてはと
使命感を感じて、また自分自身のためにも日蓮大聖人の南無妙法蓮華経の仏法を知らない人に伝えていかなければなという思いです。

「只妙法蓮華経の七字五字を日本国の一切衆生の口に入れんとはげむ計りなり、此れ即母の赤子の口にを入れんとはげむ慈悲なり
日本国民並びに世界中の人類が早く南無妙法蓮華経を信じて唱える時代にしたいものです。

『只南無妙法蓮華経とだにも唱へ奉らば滅せぬ罪やあるべき来らぬ福や有るべき、真実なり甚深なり是を信受すべし』

時は、お正月だが、日本の多くの人が無神論、無宗教と言いながらも初詣という年に一回の神頼み行為を行う。彼らがその拝む対象の本尊がなんであるか知って、その神社に行っているのだろうか?

本尊とは勝れたるを用うべし

諸宗は本尊にまどえり

日本人のメンタリティは
どうせ、初詣は、「近所にあるし、みんなが行くから、」そんなもんだろう。何も考えていないのだろう。
私曰く、日本人は他人の目気にし教、みんなとおんなじことしないと村八分する教という低級宗教の信者が多い。ほんと賢くないのだ。

だいたい日本人の七割は、マスコミの報道を信じているというおめでたいw
人々なので、宮台さんではないけれど、徹底的に騙されて、徹底的に痛い目に合わないと日本人は目覚めないのではないのか?

最近コロナ騒動でこの星は喧しいが、どっちにしろ生きている者は、遅かれ早かれ例外なく全員死んでしまうのだ。
だったら、死の問題を解決せずして、真の自由はあり得ない。心の平穏もないであろう。

言いたいことは沢山あるのですがまとまらないので、一番わかりやすい
うちの二代が(戸田城聖)、1951年に発表した「青年訓」がわかりやすいと思うので
載せておきます。
それでは。

青年訓

昭和二十六年十一月一日(1951年) 大白蓮華  巻頭言

新しき世紀を創るものは、青年の熱と力である。
吾人らは、政治を論じ、教育を勘がうる者ではないが、世界大哲・東洋の救世主・日本出世の末法御本仏たる日蓮大聖人の教えを奉じ、最高唯一の宗教によって、人間革命を行い、人世の苦を救って、各個人の幸福境涯を建設し、ひいては、楽土日本を現出せしめんことを願う者である。

この事業は、過去においては、釈迦の教団が実行し、近くは、日蓮大聖人の教団が、勇ましく戦ったのである。釈迦教団の中心人物たる舎利弗(しゃりほつ)にせよ、阿難にせよ、みな若き学徒であった。
日蓮大聖人の門下もまた、みな若き学徒によって、固められていたのである。日興上人は、大聖人より二十四歳も若く、日朗もまた、二十一歳の年のひらきを持っていた。西より東に向かった仏教も、青年によって伝承せられ、東より西に向かう大聖人の仏法も、青年によって基礎づけられたのである。
吾人らは、この偉大なる青年学徒の教団を尊仰(そんぎょう)し、同じく最高唯一の宗教に従って、人間苦の解決・真の幸福生活確立・日本民族の真の平和・苦に沒在(もつざい)せる東洋の浄土化を、弘宣(ぐせん)せんとする者である。

諸兄らは、この偉大なる過去の青年学徒群と同じ目的、同じ道程にあることを自覚し、これに劣らぬ覚悟がなくてはならぬ。霊鷲山会に、共々座を同じうしたとき、「末法の青年は、だらしがないな」と舎利弗尊者や、大聖人門下の上人方に笑われては、地涌の菩薩の肩書きが泣くことを知らなくてはならない。
奮起せよ!青年諸氏よ。闘おうではないか!青年諸氏よ。

しからば、だれ人と、いかなるいくさを、吾人らは、なすものであろうか。
第一は、無智の者に永遠の生命を教え、日蓮正宗の本尊の絶対無二なる尊貴を知らしめて、功徳の大海に思うがままに遊戯(ゆうげ)する、自在の境涯を会得せしむるために、忍辱(にんにく)のよろいを著(き)、慈悲の利剣をひっさげて戦うのである。
第二は、邪智、邪宗の者に、立正安国論の根本義たる、邪宗、邪義は一切この世のなかの不幸の原因であり、それがために、諸天善神は国を捨て去り、聖人は所を去って、世はみな乱れるなりと教え、邪智、邪宗をひるがえすよう、智慧の鎧を身にまとい、かれらが執着の片意地(かたいじ)を、精進勇気の利剣をもって、断ち切る戦いである。

第三は、衆生を愛さなくてはならぬ戦いである。しかるに、青年は、親をも愛さぬような者も多いのに、どうして他人が愛せようか。その無慈悲の自分を乗り越えて、仏の慈悲の境涯を会得する、人間革命の戦いである。

しこうして、吾人はさらに、諸兄らの行動について、望むところをもつものである。
第一に、絶対的確信にみちたる信仰の境地立脚し、信行において微動だにすることなく、唯一無二の御本尊を、主・師・親と仰ぎ、日蓮大聖人と共にいますのありがたさにあふれて、地涌の菩薩の後身(こうしん)を確信することである。

第二に、行学に励み、御書を心肝にそめ、大聖人の仏法に通達して迷いなく、今はいかなる時かを凝視して、大聖人のみ心を心とし、日興上人のご遺誡をわが命(めい)として、努むべきである。

第三に、その行動の態度たるや、真摯にして暴言を用いず、理をつくして指導の任に当たり、威厳と寛容の姿の中に、邪義、邪宗、邪師に対しては、一歩も退かぬ勇気あるべきことである。

第四に、部隊長および班長の命を奉じて、学会精神を会得して、同志の士気を鼓舞し、広宣流布大願の中心人物たることを、自覚されたきことである。しかも、広宣流布の時は近く、日蓮正宗の御本尊流布の機は、今まさにこのときである。
ゆえに、三類の強敵は、まさに現れんとし、三障四魔は勢いを増し、外には邪宗、邪義に憎まれ、内には誹謗の声ようやく高し。驚くことなかれ、この世相を。これは、聖師の金言なり。

されば諸君よ、心を一にして難を乗り越え、同信退転の徒の屍を踏み越えて、末法濁世の法戦に、若き花の若武者として、大聖人の御おぼえにめでたからんと願うべきである。

愚人にほむらるるは、智者の恥辱なり。

大聖にほむるるは、一生の名誉なり。
心して御本尊の馬前に、屍をさらさんことを。


注)今の日蓮正宗は、僭称増上慢となっていることに注意!



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