見出し画像

雑談をしてから寝ようライラック②


私、そもそも俳人ってどうなの?
と思うことがありまして。

俳句のことしか考えていない人が俳人になって、
親が俳人だとか、大会で若くして賞を取ったとかいう人だけが俳人となって、
俳句の理想を追い求めているわけですよね。

私、心が合わないんです。

私は、どんな人を見ても、まずは受け止めたくなる気持ちが先に来ます。
どんな思いで発信をしたんだろう。
いい句だなぁと受け止めたくなる気持ちがあります。

表現の順番や助詞選択の巧拙はあれど、
思いを綺麗に表現していたらそれだけで抱きしめたくなります。

良い句をたくさん褒めて、
みんなの人生が豊かになればいいなぁと思います。


でも、ある有名な俳人の方たちが、ある句集を読んだ感想は、

「季語が合わないのでは~」
「もう少し推敲出来そうな句があった~」

などの感想だったんです。

多分、私が合わないのは、「俳句至上主義」の方々なのだと思います。
私は、作者の表現しようとしていることを読み解こうとする読みではないなと思いました。

それでいて、
そういう方々は若くして賞を取ってその立場に立っていることが多いですので、
自分の作品は大事にされる体験しかしない人生を歩んでいってしまい続けるんです。
(プロになると、批判的な読みをされなくなる)

こういう人たちが上にいるんだな、と思っています。

俳句至上主義で、上の人に気に入られるために頑張って、
今は自分が権威となって今までの俳句界での流れで生きている感じです。

JPOPみたいに、人気の面で消えることがないから、
ずっと俳人の偉い立場というのは、善し悪しですね。

俳人って、「自分が一番」っていう人が多いと思います。

リアルな友達に、
相手の生き方(表現)にまで踏み込んでいくスタイルの生き方の人を入れたくないですよね。
それなら自分の句で表現すればいいだけの話ですよね。

カウンセリングマインドで生きていたら、
俳句という文化とは合いません。

それに気づかされる日々でした。

私自身の俳人としての目標があるとしたら、
周りの人と一緒に楽しんでいる姿・
仲間の姿が思い浮かぶ作品を世に出し続けることですかね。
感謝しています。優しい先生方、仲間。

あとは、褒めるのが上手い人、という俳人ではだめなんだろうか、
とも思います。

みんなの俳句大会からでも、
ストイックに頑張っている人がいたら、
私を越えていく人もいてもいいと思います。
もう越えたと思っている人もいるでしょうか?

はじめはみんな先輩のことが上手く感じるじゃないですか。

私自身のことが上手いと感じる人がいたら、
どのような種類の上手さか、弱さがあるか、分析できるようになったら、
俳人としてどう進むかどうかの分岐点になると思います。


なぜこの場所(みんなの俳句大会)に入れ込んだかというと、

今、私も、
俳句人口が人口の50パーセント以上なら何も言わないですけど、

俳句ってマイナーで愛好家のためのものですよね。

最初、どの俳句がいいとか、やっぱり分からなかったですよね。

今、俳句を文芸として頑張る人しか
読み解けない作品ばかりの俳句界だと思っています。


そして、効率のために、
初心者の選句(句会形式)は上達に無駄だとして、
教えている指導者の方がいるのも知っています。


それって俳句至上主義ですよね。
俳句を愛する人のためだけの俳句ですよね。

私は、人間が一番で、俳句が二番だなぁと改めて思いました。


だからこういう、いろんな分野が好きな方が集まって、
本当の意味でみんなの俳句ができるのはこの場所だけなのではないでしょうか。

俳句でお金をもらっている人、俳句に掛ける時間が長い人の方が、
助詞や動詞、構造の組み立てが上手いのは当たり前じゃないですか。

俳句に時間をかけた時間競争からはもう降りようかなと思ってきました。


で、その方々相手に、仮にお金をかけて投句しても、

数秒で読み解いて審査をされているわけですけど、
それで満足ですか?

私は一生懸命読んでくれる人がいるこの場所を大事にしたいです。
もう、競技俳句の世界から降りようかなと思っています。

みんなが日常から作った俳句を一生懸命鑑賞して、
いいなぁと抱きしめている俳句がたくさんある俳人の方が、
なんか素敵だなぁと思ってきました。

だからこのnoteの俳句大会は守っていきたいですね。

で、最後に、
私自身、実は本体は肩書が全く無いわけではないです。

多分、話したら、それすごい!ほしい!って思う人がいると思うんです。

でも、俳句ってマイナーだな。
もっと普通の人にいいね!
(現実の話で言うと旅行友達にいいね!)って言われたくて、
文芸としての俳句と俳句との間の葛藤をずっと抱えていて、

そういう過去の経歴も関係なくこの場所に来たので、
普通に勝ち負けで遊べるのが怖いし楽しいです。

だから、最初にいくこさんとめろさんに褒められたのはかなり嬉しかったですね。肩書じゃないので。


ここは私の分岐点です。

私は、俳句を通して優しい世界が作れるのなら、行動したい。

他の自分中心の俳人には任せていられないという感情がふつふつと湧いてきている。

うつになった経歴を公表するかどうか、
カウンセリングマインドで生きていて、
みんなの俳句を楽しんで受け入れる、
褒めるコメントが上手い、
(腕はまぁぼちぼちかもしれないけど、笑)
面白いことをして俳句を愛好していない人にも楽しんでもらえるような
日常の句を好む俳人。

として、活動できるかは、ちょっと考え中というのが現実です。

実績がないと話は聞いてもらえないじゃないですか、
だから、日常の句であるおーいお茶俳句は取りたいと試行錯誤しています。

褒めてもらえるのが嬉しいと思ってもらうために
→賞を取りたいというモチベーションはあります。

自分が認められるための俳句とはちょっと違う部分もあります。


この辺の話は、自分の思考をまとめるために書いています。

体力がない。時間がない。悔しい。でもできることをやっていきます。


なんらかの進路選択の参考になれば幸いです。

本当にみんなの俳句大会はすごい大会ですからね、忘れないでいきましょう!

いいですか、プロで素人の選句を否定する流派が主流だから、
(どの大会にも全句審査の自由なスキをできる大会はないでしょう?)
お金を稼ぐためにピラミッド型の構造であり続ける方が得をし続ける人たちが今の俳句界にたくさんいますから。

みんなのスキが溢れるのが本当の令和以降の俳句になったらいいですよね。

いつから、俳句はみんなで囲んで出来るものじゃなくなったんでしょうね。

ギネスはダメだったけど世界一素敵なことをしていると確信しています!

愛を込めて。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?