貧血老人よりブロンドのドイツ人 ~諷喩のチカラ

何事も原書にあたれ、って学生の頃、よく言われた。伝言ゲームのうちに本来の意味が捻れることってよくあることだから、中途半端な解釈は不要だ、っていう教えだ。

でも逆に、誰かの考えを知るとき、ある人の解釈を通すとより理解しやすい不思議もある。


寺田寅彦氏が「老子」を読んだときのこんなお話しがある。

あるとき、寺田氏が、ふと手にしたドイツ人著者の「老子」。今までかび臭いイメージだった老子が、格段に理解しやすかったことを、こんな風に語られるのだ。

 ─────────────────────────────
 不思議なことには、このドイツ語で紹介された老子はもはや薄汚
 い唐人服を着たにがにがと怖い顔した貧血老人ではなくて、さっ
 ぱりとした明るい色の背広に暖かそうなオーバーを着た童顔でブ
 ロンドのドイツ人である。

   『変わった話 ~電車で老子に会った話~』 寺田寅彦
   https://ux.nu/RxcKD
 ─────────────────────────────

そう。

にがにがとした貧血老人が、今までの老子本。

童顔でブロンドのドイツ人が、今回出会ったドイツ本。

そしてこのドイツ人が電車のとなりにいあわせて、寺田氏に語る様子を描き続けることで、老子のことをすっと理解していく様子がとても面白く伝わってくる。

ここでのお話し、とてもメタファーが効いている。
活用しているメタファーは諷喩(ふうゆ)だ。


 ─────────────────────────────
 諷喩(アレゴリー;allegory)とは、一貫したメタファーの連続
 からなる文章(テクスト)。動物などを擬人化した寓話(fable)
 は、その一種である。
   『日本語のレトリック』 瀬戸賢一
   https://ux.nu/Yt7gj
 ─────────────────────────────


メタファーは、効く。
人に何かを伝えるときに、とても入りやすい。

そのままでは伝えられにくいメッセージも、諷喩となることで、喩えられた何かを自分をかさね、「確かにそんなもんかもしれない」と思わせてくれる力がある。


おまけに、寺田氏が中学校のとき、隣の教室にいた漢学者のK先生の話も加えておられるのだけど、これもなかなかの寓話っぷりだ。K先生は、”老子の教え”を説明するのに、こんな風にされたそうな。

 ─────────────────────────────
 K先生はまず富士山の絵を描き、麓に亀、頂上の少し上に鶴を描き、
 また鶴の上に横線を引く。そして、
 「孔子の教えではここにこういう天井がある。それで麓の亀もよ
 ちよち登っていけばいつかは鶴と同じ高さまで登れる。しかしこ
 の天井を取り払うと鶴はたちまち天に舞い上がる。すると亀はも
 うとても追いつく望みはないと、やけくそになって呑めや歌えで
 下界のどん底に止まる。その天井を取っ払ったのが老子の教えで
 ある」
   『変わった話 ~電車で老子に会った話~』 寺田寅彦
   https://ux.nu/RxcKD
 ─────────────────────────────

なんのこっちゃ、とはぐらかされた・・・、という気がしないでもないが、でもなんとなく伝わってくるものもある。やたら真面目に哲学的に語られるより、よっぽど老子っぽさが感じられると思うんだけど、どうだろう。

そう、「っぽさ」は原書や原点を越えてくることもあるんだ。そんな気の利いた解釈なら、隣に座っていくらでもききたくなるもんです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?