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夢の鉄道体験

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<体験運転に使用された養老鉄道D03編成600系ク503号車 その後、2016年4月にこの車両によるさよなら臨時列車が運転された>
【おことわり】内容は掲載当時(2013年10月)のものであり、文中の交通機関の運用状況などが現在とは異なる場合があります。実際に現地に行かれる際には、事前に最新情報をお調べになることをお勧めします。なお、臨時快速ムーンライトながらは2020年3月をもって運休となり、以後再開されることなく2021年1月に正式に運行終了の発表がありました。

 2013年8月の夜、私は臨時快速ムーンライトながらに乗り、岐阜県の大垣を目指していた。都内から大垣方面へ行くのなら他にも手段はあるが、あえて鉄道を選ぶというのが、気分であった。子供の頃に夢見ていた職業は、鉄道関係。保育園時代のアルバムには、園の催しで車掌になりきり、発車の合図をしている私が写っている。実は今回の旅の目的は、電車の運転士と車掌業務を体験すること。目的が鉄道にあるならば、往復の手段も鉄道に統一したい。というわけで、旅の「気分」なのである。電車を運転……サラッと書いたが、無免許で電車の運転などできるのだろうか。実は、特別な条件の下では可能なのである。
 岐阜県西部と三重県北部とを結ぶ養老線を運営する養老鉄道。この会社では、一般の鉄道ファンを対象にした運転体験という有料イベントを春・夏・冬の年に3回開催している。これは、本社に隣接する車庫内の線路を現役運転士の指導の下、約100メートル走行できるというもので、昨年春に初めて開催し、今回が5回目とのこと。動力車操縦者運転免許証(電車の運転免許)を持たない一般人が電車を運転するなど、通常ならばご法度である。しかし、十分な安全策を講じた上で車庫内(道路でいえば私道)を走行することや、万が一の事態が起こらないよう現役運転士が脇にいて指導にあたることなどで、イベントの開催を可能にしている。毎回好評で、応募数が定員を下回ったことはないらしい。私自身も事前に取材申し込みという形を取らず、抽選という関門をくぐり抜け、参加するに至った。参加資格は中学生以上。実際に中学生の参加者もいるようで、驚きである。
 ところで、本職の電車運転士になるためには通常どれほどの期間がかかるのだろうか。養老鉄道総務企画課に聞いてみたところ、通常5年以上という答えが返ってきた。流れとして、まずは駅員を1年以上経験し、車掌登用試験に合格して車掌を1年以上経験する必要がある。その後運転士登用試験を突破し、学科教育3カ月を経て、修了試験。さらに実技教育6カ月を経て最後に国家試験に合格しなければならない。もちろん会社によって多少の違いはあるのだろうが、実際なら乗務までに年単位の期間が必要とされる運転士に、体験とはいえ、すぐに「なれて」しまうのだから、これほどすてきな話はない。
 実際に電車の運転を体験した感想は……難しい、の一言に尽きた。バスの場合、アクセルとブレーキを操作するのは足である。対して電車では、アクセルにあたるマスコンと、ブレーキ弁を手で操作する。言いわけのようだが、普段とは違う、手だけで乗り物を動かす感覚に戸惑い、結果的に非常ブレーキを作動させてしまった。この運転体験、リピーターが多く、私以外の参加者のほとんどは滑らかに加速し、ショックなく停車していた。
 続いて、車掌体験。運転体験自体は他の鉄道会社でも行われているが、車掌もできるというのは興味深い。養老鉄道ではイベントに付加価値を付けるため、過去には電車の屋根上や床下の見学を日程に組み入れたという。今回は、その代わりに車掌体験というわけである。乗務員室の窓から顔を出して側面の安全確認をした上でドア開閉操作をするなどの動作が体験できるのはもちろんのこと、何と言ってもメインは車内アナウンスである。参加者の中には、自らが用意した台本を用いて他社路線の停車駅案内をする人や、ワールドカップ予選の時に話題になったDJポリスばりのユニークな内容を披露する人もいて、普段はバス運転手(兼車掌)をしている私のアナウンスなどかすんでしまった。
 ベテランの懇切丁寧な指導のおかげで無事に課程が修了し、写真付きの立派な運転体験証明書を頂いた。そして芽生えた向上心。次こそは少しでも滑らかに運転したい。夢をかなえて終わりではなく、さらに次回を意識する……それほど楽しく充実した体験であった。

都政新報 2013年10月15日付 都政新報社の許可を得て掲載
【取材協力】養老鉄道株式会社鉄道営業部総務企画課