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都営バス草64系統の小旅行

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 始発停留所にバスを着けると、車椅子のお客様と介助者が待っていた。車椅子には還暦を過ぎたぐらいの女性、介助者は30歳前後の、やはり女性である。実の親子か嫁姑か、実際のところは分からないけれど、母娘ということにしておこう。それだけなら何の変哲もない光景であるのだが、2人とも満面の笑みを浮かべているものだから、私までつられて笑顔になる。
 座席を二つに畳んで車椅子スペースを作り、バスと地面との間にスロープを渡して車内の所定の位置までお客様を慎重にご案内し、行き先を聞く。すると、2人そろって爽やかな声で「浅草雷門までお願いします」。寒い冬が終わり、桜の春、そして新緑の季節になると、観光目的での車椅子のお客様のご乗車が増える……そう、2人の笑顔は、これから始まる「バス旅行」への期待感に由来していたのである。

          * * *

 都営バス「草64系統」は、池袋駅東口から王子駅、尾久駅を経由して浅草雷門に至る片道1時間弱の路線である。バスは池袋駅を発車後、明治通りをなぞっていく。
 「お母さん、すごい下り坂。ほら都電が前を走っているよ」
 飛鳥山から王子駅前までの都電との併走区間。
「この坂道、実はあの碓氷峠と同じ勾配なんですよ」などと私も会話に加わりたい気分だが、乗務中なので我慢。その後も、車窓の風景が流れるたびに、娘が母に話し掛けている。
 「見て、ツツジがきれい」。王子駅の先、溝田橋交差点を右折し、明治通りの歩道のツツジ。娘が言葉を発する度に、母は「まあ」「素敵」などと相づちを打っている。言葉は少ないが、和やかな語り口調が、穏やかな時間の流れを物語る。
 「あっ。スカイツリーが見えてきたよ」。興奮を隠さず、まるで子供のような無邪気さで、娘はそれを母に伝える。
 明治通りから土手通りに入る三ノ輪二丁目あたりから東京スカイツリーが姿を表し、東浅草一丁目の辺り、紙洗橋交差点の先で最接近の時を迎えるのだ。母親も目で追う。そのままふもとまで到達すれば、めでたしめでたしとなるのだが、バスは無情にも右斜めに向きを変え、次の瞬間その塔は視界から消えてしまう。

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 ここからは私の妄想。「切ないですよねえ。『墨東綺譚』の中で、小説家大江と玉ノ井の娼婦お雪とは、スカイツリーとこのバスの関係みたいに一度は近づき、やがて遠ざかるんですが、結ばれない恋だからこそ美しいのかもしれませんねえ」
 安全運転を保ちつつも、いつの間にか2人の会話に入っている。もちろん、実際に話し掛けるわけではなく、あくまでも想像の世界である。
 「紙洗橋は『墨東綺譚』の中にも『髪洗橋』として登場するので、ここをバスで通ると、ついついスカイツリーと結び付けたくなるんですよ」。私の心の叫びは続く。
 「今度時間がありましたら、東浅草一丁目で降りて一本向こうの細道に入り、スカイツリーを見ながら紙洗橋、山谷堀橋、正法寺橋……今戸橋まで散歩してみてください。橋の架かっていた山谷堀は埋め立てられて公園になっていますけど、今はなき(正確には地下に潜った)せせらぎの音に思いをはせながらのんびりと旅をするのも乙なものですよ。スカイツリーの姿もバス通りから一本入るとまた違って見えますし、バリアフリーにもなっているので、車椅子でも通行できます。ちなみに江戸時代、この辺りは浅草紙という今でいう再生トイレットペーパーの生産が盛んでして、紙洗橋の『紙を洗う』とは、浅草紙の製造過程のことだったそうですよ。トイレットペーパーだけにウンチク話。これはお粗末さまでした」
 私の心の中の妄想観光案内(?)などもちろん2人に聞こえるはずもなく、バスは馬道通りから雷門通りへと右折し、終点浅草雷門に到着。降車ドアを開け、車体から歩道へスロープを渡して降車のお手伝いをし、私の任務はここで終了となるのだが、別れ際、お2人からご乗車の時と同じ笑顔で、「ありがとうございました」のお言葉をいただく。
 この瞬間の喜びと言ったら、たとえようがない。一気に疲れが吹き飛んでしまう。「こちらこそ、ありがとうございました。どうぞお気をつけて」と私も答える。そして爽やかな余韻を胸に秘めつつ、私は再び池袋駅東口を目指し、バスを走らせるのだ。

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 車椅子であるか否か、または観光であるか否かにかかわらず、全てのお客様に対しては平等に接しなければならないのは、職務上当然のことである。
 季節や天候とは関係なく、心身にハンディを持ったお客様も、通院や買い物などの必要に迫られてバスを利用することもあるだろう。むしろ、それが公共交通機関としての本来の姿である。
 とはいえ、誤解を恐れずに書くならば、暖かい時期になり、車椅子利用者をはじめ、そのような方々が「自らの楽しみのために」バスを利用してくださる場面に接する機会が増えると、運転する側としても張り合いがあるし、気持ちも明るくなる。
 日々の生活のための「義務的な移動」とはまた違った「非日常的な移動」に、都営バスというツールを通して関与することができた時、私は何だかものすごく得をしたような心境になるのだ。(イラストも筆者)

【注】墨東綺譚……正確には、墨はサンズイに墨の「濹」。(濹東綺譚)

※都政新報(2011年6月24日号) 都政新報社の許可を得て転載