モグラ駅は照らされて
<モグラなどいない駅(イラスト題名)>
群馬県利根郡みなかみ町にあるJR上越線の土合駅。日本一のモグラ駅として知られる同駅を筆者が好んで訪れる理由などについて書きました。
普段、大勢のお客様と接する生活をしているためか、一人の時間が愛おしく思えることがある。いわゆる気分転換のために仕事帰りに喫茶店で甘いものを食べたり、高層ビルの屋上から模型のような都市景観を眺めたり。そんな私が年に一度か二度、好んで訪れる場所がある。それは「モグラ駅」、群馬県利根郡みなかみ町にあるJR上越線の土合(どあい)駅……ここは「日本一のモグラ駅」の異名を持つ駅である。最近では登山をする女子高生が主人公のアニメに谷川岳の玄関口として登場したこともあり、ご存じの向きもあるだろう。
モグラ駅と呼ばれるゆえんは、上りホームが地上から顔を出す一方、下りホームはトンネルの中にあり、その高低差が実に70メートル以上もあることから。では、なぜこのような構造になっているのだろうか。話は国鉄時代にさかのぼる。
元々、単線だった上越線が複線化するに当たり、従来の清水トンネルとは別に、新清水トンネルを掘った。清水トンネルはらせん状のループ線を併用しながら高低差を克服するのに対し、新清水トンネルは技術の進歩によって直線的に山を貫くルートで造られた。その結果、土合駅では上りホームが清水トンネルの地上出口付近に、下りホームは地下深い新清水トンネル内に、という標高差が生じたのである。
早朝から夕方までの仕事を終え、都内を午後4時台に出発した私は新幹線で越後湯沢まで行き、普通電車で6時台に土合駅地上ホームに到着する。これから9時前の下り電車で地下ホームを離れるまで、モグラ駅を堪能することになる。
お気付きだろうか。都内から土合駅までは高崎駅で乗り換える方が距離は近いが、時間帯によっては新幹線で新潟県まで乗り越して戻る方が早い場合がある。それほど土合駅を発着する電車の本数は少ないのだ。
地上ホームは周囲を山に囲まれ、何の変哲もない地方鉄道の趣きである。電車が去ると付近は静寂に包まれ、小さな待合室の明かりだけが希望の象徴となる。冬の午後6時。一人の時間を楽しみに訪れたとは言え、闇に包まれると寂しさが募る。雪が降るとかなり積もるらしい。除雪は誰がやるのだろう。素朴な疑問が頭をよぎる。ホームから続く廊下を渡り、駅舎に入ると、ほどなく改札口がある。無人駅なので、当然誰もいないのだが。
帰りの精算のための乗車証明書を発行する機械のボタンを押し、メーンイベントの始まりである。再び改札口を通り、廊下を先ほどとは逆方向へ進み、24段の階段を下りると、「お疲れさまでした。(階段数462段)」と書かれた扉が見える。これは地下ホームから上って来た勇者をねぎらうための文字。つまり、今から462段を下りる必要があるのだ。
最上段からホームを見下ろし、つばを飲み込む。さて歩くか。462段の内訳は、数段下りて平坦に、そして再び階段に、の繰り返し。途中、軍手が片手だけ落ちていたりして、ぎょっとする。階段の片側に、大人2人分の幅がある斜面がホームまで続いている。かつてこの空間にエスカレーターを設置する計画があったらしい。
改札口から地下ホームまでは、これでもか、という数の蛍光灯で照らされており、数えたら100本を超えていた。さらに、ホームを照らすトンネル内の蛍光灯は70本以上。その日、土合駅に滞在した3時間の間、誰ともすれ違わなかった。つまり、改札口からホームまでのおびただしい数の蛍光灯は私一人のためだけに使用されていたのだ。結果的にとは言え、その無駄なぜいたくさに(安全性の確保という意味では無駄ではないのだが)、何だか楽しい気分になってきた。
夕方に都内を出発できる可能性がない。交通費がかさむ。家族に反対される……。土合駅へ行くハードルは実際には低くない。しかし、このような気分転換スポットを心の中に確保しておくことで、気持ちが軽くなる時もある。
あなたにとってのモグラ駅はどこですか。
※都政新報(2016年2月9日号) 都政新報社の許可を得て転載
※文中の列車時刻は執筆当時のものです。ダイヤ改正により現在は異なる場合がありますので、来訪の際には、念のため最新の情報をご確認ください。