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地蔵堀と2尊の地蔵【東京のりもの散歩~いちょうマークの車窓から28】

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 所用のため荒川郵便局に足を運んだ。バスの仕事では週に何回も通過する場所だが降りるのは初めてで、所用を終えて明治通りの歩道へ出ると、隣接する荒川警察署との間に、とある空間があることに気がついた。バスの運転席からは目に入らなかったが、「交通安全地蔵尊」と書かれた石の標柱の奥に、台石に乗った石地蔵が鎮座していたのだ。
 『荒川区史跡散歩』によると、石地蔵は「地蔵堀の石地蔵」と呼ばれており、その高さは台石ともに約1丈(約3メートル)ほどあるそうである。1740(元文5年)年に浄正寺の住職が当時の三河島村内の平和と家内安全を祈願して建立し、もとは明治通りを隔てた現在のサンパール荒川の位置にあったが、大正時代の道路改正の時に移設されたとのこと。現在は道路になっているが、石地蔵の前には石神井用水の一分水路が流れていたことから、用水路は地蔵堀と呼ばれるようになった。
 石地蔵の前にはかつて2間(1間は約1.82メートル)足らずの道があり、この狭隘な道が交通上の要路となっていた。三河島村の村人が旅立つ時、村の東はずれにあった石地蔵の前で人々は道中の安全を願って旅人を見送り、帰還した折には無事を喜び合っていたという。旅をすることが現代よりもきわめてリスクが高かった時代、三河島村の村人にとって、地蔵堀の石地蔵は心強い存在だったことが想像できる。
 それでは地蔵堀の石地蔵が標柱の「交通安全地蔵尊」なのかというと、どうやら違うようで、前述の『荒川史跡散歩』によると、1960年春、もとからあった石地蔵の傍らに地元の印刷業者が建てた小さな地蔵を指しているとのこと。確かに地蔵堀の石地蔵の向かって右手に小さな地蔵があり、台石には「交通安全地蔵尊」の文字が刻まれている。文献が少ないので断言はできないが、1740年に「交通安全」という言葉が存在したとも思えないことから、小さい地蔵が交通安全地蔵尊である可能性が高いということが分かる。いずれにしても、社会の安寧を願い、建立された地蔵の表情はそれぞれ穏やかで、交通安全地蔵尊がどれを指すのかなど小さな問題なのかもしれない。
 付近には都電が走り、都バスや一般車両も交錯する、そんな交通の要所に佇む2尊の地蔵。子育て延命地蔵もあるので正確には3尊。訪れるには都営交通が便利である。

都政新報 2021年12月3日付 都政新報社の許可を得て掲載
【参考資料】
・荒川区史跡散歩 東京史跡ガイド18 高田 隆成・荒川史談会(学生社  1992)
・自警 45巻3号 警視庁警務部教養課(自警会 1963年)