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ライオンバスの最終便

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【おことわり】内容は掲載当時(2014年2月)のものです。表現上、実際よりもライオンとの距離を縮めて描いています。なお多摩動物公園のライオンバスは発着場の耐震化に伴う工事のため2016年4月1日から2021年7月2日まで運休し、現在は再開しておりますが、再開後の最終便の運用が文中と同一であるのかに関しては、筆者は確認しておりません。

 日野市にある多摩動物公園。ここには世界で最初のライオンバスが走っている。ライオンバスとは、放し飼いされたライオンのいるエリアを運行し、車内からライオンを間近に見ることの出来る専用のバスのことである。 
 同様の試みを行う施設は今では全国に点在するが、一般入場者が自動車で動物のいる場所へ入り込み生態を観察することのできる施設としては、1964年に運行を開始したライオンバスが世界で最初なのだという。日本ではなく、世界で最初というのがすごい。
 ライオンバスの乗り場は「アフリカ園」の一角にある。ケニア共和国のナイロビにある回教寺院を参考にしたというその建物は、白い塔とその先端にある金色の玉ねぎのような装飾が特徴的だ。 
 自動券売機で乗車券を購入し、地下通路経由で乗り場へ向かう。ライオンバスが地上とは隔離された一段低い場所を走るためだが、動物を観察する目的でいったん地下に潜るという非日常感が面白い(乗り場は地下だが、バスが発車すれば空が見える)。
 乗車したのは平日の最終便。しかも雨天とあって、乗客は私一人であった。学校が休みの時期には親子連れで乗り待ちの行列が出来るというから、貸切状態というのはある意味貴重な体験である。鉄道駅のような改札口を通り、バスの指定された座席に乗車。
 「走行中は歩かない」「立ち上がらない」といった安全上の注意を係員から一通り受ける。この辺りは普通の路線バスと同じだ。違うのは、運転席の先にゲートがあること。発車準備が整うとゲートが開く。金属製のゲート、つまり檻だ。檻が開き、バスは慎重にライオンの待ち受ける平原を進んでいく。駆け抜ける感じではなく、「お邪魔します」といった風情で。
 「ライオンが飛び出してきて急ブレーキをかけることがありますので、立ち上がったりしないでください」。先ほどと同じような注意が、今度は自動音声で流れてきた。自動なのはそこだけで、それ以降は運転手の肉声アナウンス。
 「前方に見えます2匹は兄弟です」「あ、木に登っているライオンさんがいますね。これ、珍しいんですよ」。乗客は私一人だというのに、運転手はライオンについて丁寧に解説をしながら安全にバスを走らせる。
 やがて、木で出来た朝礼台のような構造物の横に停車。台の上には、示し合わせたように1頭のライオンがいた。バスに取り付けられた馬肉を食べるために待っているのだ。ガラス越しに、百獣の王の迫力満点のご尊顔。乗客に子供がいたら、最も盛り上がる場面なのだろう。
 しかし、私が最も興味を持っていたのはその後の展開であった。ライオンバスの最終便はクラクションを鳴らすという話を以前耳にし、実際に確認してみたかったのである。
 その時は、来た。運転手がバスを停め、「これからクラクションを鳴らします。クラクションを鳴らしますと、ライオンさんたちがおうちに帰っていきます」とアナウンス。長い長い吹鳴(すいめい)が辺りに響いた。
 その音を合図にライオンたちが同じ方向を向き、静々と歩き始めるのである。いつの間にか、ねぐらへと通じる柵が上がっていた。
 唐突だが、ロシアの人気人形アニメ、チェブラーシカにこのような場面がある。ワニがワニとして動物園に勤務し、定時になると檻から出てスーツに着替え、動物園の守衛にあいさつし自宅アパートに帰る。チェブラーシカの話になぞらえ、ライオンたちはクラクションを合図に勤務を解放され、翌朝開園前にラジオ体操をしてから定位置に着く……そんな妄想が頭に浮かんだ。
 多摩動物公園のライオンバス。最終便はクラクションでライオンたちを誘導するという話は本当だった。ライオンたちに、「今日も一日お疲れ様でした」と声を掛けたくなった。

都政新報 2014年2月7日付 都政新報社の許可を得て掲載