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よもやま語らいゼミ開催後記⑥「性別で困ったことってある?」

 よもやま語らいゼミとは東大生を対象に、あるテーマについて自由に話し合いをするイベントです。3月18日開催の今回は「性別で困ったことある?」をテーマとしました。運営側と参加者を合わせて11名が話し合いました。性という少しセンシティブな話題でありましたが、参加者全員がオープンに話し合い、それぞれが日頃から感じている疑問を投げかけたり、自分の思いをぶつけたりなど、非常に活発な議論でした。🐢

 もしよろしければ、今回のよぜみで面白かった点をいくつか紹介してもよろしいでしょうか?🐖

①そもそも性規範は必要なのか?
 性規範といえば、「男は強くあるべき」「女は謙虚で優しくあるべき」「男は力仕事をするべき」「女は雑務をやるべき」などです。男性の皆さんは「男なんだから泣くな」と言われたことないですか?でも男でも泣きたいですよね。同じような悩みは女性にもあるようです。ある女性の参加者からは「女は泣けば許されるとでも思っているのか」と心ない言葉を言われたことがあるようです。でも本当に許してほしいから泣いているのでしょうか?男は強くあるべきだから泣いてはいけないのでしょうか?誰だって泣きたいときがある。性規範に縛られて泣きたくても泣けない世の中よりも、泣きたいときに好きなだけ泣ける世の中であってほしいですよね。私だって泣きたい!泣きたいときに泣けない大人なんかになりたくない!🐡
 一方で「性規範の枠自体がなくなってしまったら、自分はどうすればいいかわからなくなる」という意見もありました。いや、確かに。性規範というのは人が行動する上での一つの指針になりますよね。その指針が正しいかどうかは別として、指針があることで人は安心できる。指針がなければ、人はどう行動するか、どの道に進めばいいか自分で判断しないといけないし、自分で責任を取らないといけない。確かに性規範という指針があることで人は安心できるけど、他人とこの指針を共有していないことに不安を感じる人は他人に性規範を押し付けてしまうこともある。でも自分が性規範を守ることと、他人に性規範を押し付けるのは別の話です。男が「男は強くあるべき」とか、女が「女は謙虚であるべき」と自分で思うのは勝手です。ただそれを人に押し付けてはいけない。人には人それぞれの「規範」があるから。🕊

②セクハラって被害者が気をつけないといけないの?
 参加者の声で「昔はセクハラと、それに対するツッコミがある種のコミュニケーションとして成り立っていた。でもそれにうまく言い返せない人が辛い思いをして、セクハラが問題視されるようになった」とありました。昔はセクハラが一種のコミュニケーションだったことはなんとなく想像できます。女性側も男性側もそれをある程度受容していたかもしれません。でも今は違う。もう時代は変わった。「セクハラはコミュニケーション」というのは前時代的な価値観となりました。🐭
 ところで、世の中のセクハラ対策って、大抵は被害者側が意識するべきこととか、被害者側が気をつけないといけない風潮になっていませんか?「それはおかしい!」という声が多く上がりました。間違っているのは明らかに加害者側である。正すべきなのは加害者側であるのに、どうして被害者が気をつけたり対策を取ったりしないといけないのでしょうか?セクハラに対して、被害者ではなく加害者が負担を強いられる世の中でなければいけない。そうでないとセクハラはいつまでたってもなくならない。🐧

 以上の点が今回のよぜみで私が面白いと感じた話でした。「もっと面白かった話聞かせて!」なんて声も聞こえてきますが、ここからは私が今日のよぜみを通じて感じたことをお話ししますね。🐱

 社会において性別やジェンダー(社会的な意味合いから見た性差のこと)による格差・差別の問題があるといわれています。そのような問題を解決する際、一部の性別だけではなく、どのような性別であっても同等の権利や自由が保障されるためにはどうしたら良いか、という観点から考えることが必要だと思います。また、格差がある場合、下の方ではなく、上の方に合わせて平等を実現していく考えが大切だと思いました。
 全ての性別における権利や自由の保障を考えていくことは、人間一人ひとりの権利と自由を重要視することです。そう考えると、性別やジェンダーという観点にとらわれ過ぎないことも大切かもしれません。世界には様々な形の性があり、様々な形の家族があり、様々な形の愛があります。様々な形があることを尊重し、自分の形はあくまでも「そのうちの一つ」であることを認めることが大事ではないでしょうか?人には人それぞれの形があります。あなたの形はなんですか?🐦

ぴーえす
 今回のよぜみは今年度最後の開催となりました。今回をもって代表担当者を含め5名の方が社会に旅立ちます。残された人たち(私を含め)は寂しいですね。よぜみであの人たちの笑顔がもう見れなくなると思うと寂しいです。でもまたお会いできますよね。よぜみは来年度もきっとまた多くの新しい仲間を迎えて和気藹々と活動を行っていくと思います。旅立って行かれる方々、どうか幸せでいてください。よぜみで学んだことを忘れないでください。辛いときはよぜみで学んだことやよぜみで出会った人たちのことを思い出してください。そういう私は普通に留年します(すみません)。でも皆さんのことは本当に応援しています。これからの苦難の道もきっと乗り越えられると思います。どうかお幸せに!どうか皆さんのこれからの人生に佐倉が咲き誇りますように!

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