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パレスチナ情勢とイスラエル国内事情――「分離(ハフラダ)」の先に安定はあるのか【前編】/鈴木啓之

深刻さを増すパレスチナ紛争を、どう理解すればよいのか。『蜂起<インティファーダ>――占領下のパレスチナ1967–1993』著者の鈴木啓之先生に広報誌「UP」にご寄稿いただいたコラムを公開いたします。第1弾は2021年におこった紛争をうけて書かれた585号(2021年7月)掲載のコラム前半になります。現在の大規模紛争にもつながる2年前の状況を知る一助としてお読みください。

パレスチナ/イスラエル情勢が、近年稀に見るほど緊迫した。今年(2021年)4月からエルサレムで断続的に続いていた衝突が、ガザ地区とその周辺での軍事衝突に発展したのは、5月10日のことだった。パレスチナ人組織ハマースがロケット弾を放ち、イスラエル軍は軍用機による空爆を行った。5月21日の停戦までに、死者はイスラエル側で外国人労働者を含めて12名、パレスチナ側でおよそ250名となった。衝突の激しさは、2014年の「ガザ侵攻」以来のものだ。この事態について、この数年のあいだに現地留学をしていた研究者に呼びかけ、「エルサレムを起点にパレスチナ/イスラエルの現在を考える」というタイトルの緊急ウェビナーを実施したのは5月19日のことだった(1)。

ガザ空爆が続くさなかに、なぜ「エルサレムを起点に」なのかと、不思議に感じられる方も多いと思う。それには、もちろん事態の推移が私の企画力を大きく凌駕していたこともあるのだが、より根源的な狙いがあった。「停戦が実現されたとしても、それが終わりではない」―、そのことをパネリストで確認し、参加者にも共有したかったのだ。実際に、ガザ停戦後にも現地報道では、「安定」とは言い難い状況が報じられている。おそらく、今後を展望するための鍵は、イスラエル対パレスチナ、またはユダヤ対アラブ(または、「イスラム」でも構わない)といった二項対立的な理解から脱することだ。

イスラエル社会が直面する危機

イスラエル国内には人口の二割を占めるアラブ系住民が暮らしている。彼らはイスラエル国籍を持ち、ヘブライ語も達者だ。その呼び名はさまざまで、「1948年に建国されたイスラエルに残ったパレスチナ人」ということで、「48年パレスチナ人」と呼ばれることもある。今回、停戦までに死亡した12人のうち、ハマースのロケット弾によってイスラエル中部の街ロッドで殺害された父娘、ハリール・アワドとナーディーンは、その名が示すとおりイスラエル国籍アラブ人であった。イスラエル外務省のWebサイトには、彼らの名前もテロ犠牲者として掲載されている。

この父娘が命を奪われた5月12日は、しかしながらユダヤ系住民とアラブ系住民のあいだの分断を示す日になった。この日の夕刻、ロッドからそう遠くない街バト・ヤムで、ユダヤ系住民の群衆によってアラブ系住民1人が集団暴行(リンチ)される事件が起きた。イスラエルのテレビ局KANが中継するさなかに起きたこの出来事は、イスラエル社会に衝撃を与えた。事件を受けて、イスラエルのネタニヤフ首相は襲撃者を非難し、市民として節度ある行動をとるように警告した。事件後、イスラエル警察と司法当局は、事件に関わったイスラエル人青年らを拘束し、テロと殺人未遂の容疑で立件している。ただし、20名ほどいると見積もられている容疑者のうち、起訴に到ったのは、現在(2021年6月7日)までのところ6名に過ぎない。

ガザ地区に対するイスラエル軍の大規模攻撃は、今回のものを含めて過去に4回あった。最初のものは2008年12月から2009年1月にかけての「ガザ戦争」と呼ばれているもので、停戦時点でイスラエル側死者13名(うち兵士が10名)、パレスチナ側の死者およそ1400名であった。イスラエル軍は地上部隊を展開し、そこで兵士の犠牲が増えた。次の攻撃は2012年11月のもので、一週間ほど続いた衝突でイスラエル側死者6名(うち兵士が2名)、パレスチナ側死者およそ160名となった。そして、今回の攻撃以前において最大のものが、2014年7月から8月にかけて起きた攻撃で、こちらは「ガザ侵攻」と呼ばれることが多い。停戦までの犠牲者はイスラエル側73名(うち兵士が67名)、パレスチナ側およそ2100名であった。2008年の「ガザ戦争」と同様に、地上部隊の展開がイスラエル側の犠牲者を増やすことになった。

こうしたガザ地区に対する過去の攻撃と、今回の事態を比較したときに、浮かび上がる特徴がある。それは、市民によるSNSを通した煽情的な動画の拡散、そして場合によってはヘイト的言説の流布であった。特に動画の影響力は大きく、4月15日頃(2021年)にはパレスチナ人青年がユダヤ人青年の頬を叩く様子がSNSを通して広がった。これに触発されたユダヤ人愛国主義者団体が、ラマダーン(イスラムの断食月)で賑わうエルサレム旧市街に繰り出し、イスラエル治安当局者も交えた衝突に発展した。さらに、この一連の衝突のなかでは、イスラエル治安要員がパレスチナ人の頬を叩く動画――4月15日の動画と鏡映しになっている点に注目して欲しい――も拡散された。イスラエル紙『ハアレツ』は、一連のエルサレムでの出来事を「Tiktokから神殿の丘での衝突へ」と題して報じている(2)。5月10日には、旧市街の聖域(神殿の丘)で、イスラエルの治安部隊とパレスチナ人が衝突し、300人ちかくが負傷する事態に陥った。ハマースによるロケット弾発射が始まるのは、この日の夕刻のことである。イスラエルによるガザ空爆が始まってからは、出典が不確かな映像や、場合によっては意図的に加工された画像の転載、拡散などで、SNSはさながら「情報戦」の場と化した。詳しくは『世界』(2021年7月号)で論じたが、イスラエルの官邸報道官ですら、Facebookの個人アカウントに掲載されていた映像をTwitterに転載し、ハマースの軍事行動を非難する言葉を付した。その映像が過去にシリアで撮影されたものである可能性が高いと報じられるのは、それから数日後のことである。

このSNSでの動きは、イスラエル国内でのユダヤ系住民とアラブ系住民のあいだの亀裂、さらには実際の暴力と連動していた。特にイスラエル中部や北部に集住するアラブ系住民のあいだには、街区での自警団を結成するような動きも見られた。ガザ攻撃のさなか、イスラエル社会ではそれほどに緊張が高まっていたのだ。社会に広がった分断や、場合によってはヘイト的言説を取り除くことは容易ではない。停戦後の5月29日には、ロッドの市議会議員が、武装したユダヤ系愛国主義活動家らに警護を求めたという報道もあった。前日にユダヤ系住民の家屋に火焔瓶が投げ込まれたことを受けての発言だったが、同日には北部でアラブ系治安関係者がユダヤ系住民の暴徒に襲われる事件も起きている。イスラエル社会に、取り返しのつかない亀裂が生じているのではないか――、そのように感じざるを得ない事態が停戦後も続いている。

鈴木啓之(地域研究[中東地域]、中東近現代史)

(1) 緊急ウェビナー「エルサレムを起点にパレスチナ/イスラエルの現在を考える」の記録動画は、千葉大学「グローバル関係学」のWebサイトで公開されている(2021年5月28日時点)。
(2) Haaretz, “From TikTok to Temple Mount Clashes: 28 Days of Violence in Jerusalem,” 10 May. 2021 〈https://www.haaretz.com/israel-news/.premium.HIGHLIGHT.TIMELINE-from-tiktok-to-riots-a-timeline-of-recent-israeli-palestinian-violence-1.9787700〉(Accessed: 29 May. 2021).

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