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『忍者学大全』はじめに

山田雄司編・三重大学国際忍者研究センター監修『忍者学大全』がまもなく刊行となります。忍者の修行法から忍者マンガまで、硬軟自在に描いた死角なしの研究集成である本書の「はじめに――忍者・忍術学とは何か」(山田先生執筆)の冒頭部分を公開いたします。ぜひお読みください。

忍者といえば、これまでは映画や忍者ショーから形成された、奇抜な戦いをする集団としてのイメージが強かったと思う。しかし、17世紀後半に成立したと考えられている『万川集海』をはじめとした忍術書を紐解いてみると、
忍者の心構えから始まって、侵入術・破壊術・武術・変装術・交際術・対話術・記憶術・伝達術・呪術など奇抜という言葉では片づけられない、さまざまな術について記述されていることがわかる。また、医学・薬学・食物・天文・気象・遁甲・火薬など広範囲にわたる知識が記されている。つまり、忍術とは総合的知識に基づくサバイバル術とも考えられる。だからこそ、ひとつの学問分野から研究を把握することは困難であり、さまざまな方面からの研究が求められるのである。自己を押し殺して何事にも耐え忍ぶ忍者には、過去・現在・未来を通して困難を生き抜くための技が凝縮されているといってよいだろう。

地球温暖化、気候変動、疫病、戦争、食料危機等々、現在地球全体で人類の存亡に関わる諸問題が相次いで巻き起こっている。こうした状況に対して、私たちはいかに対処し、持続可能な社会を構築していくことができるのだろうか。その答えのひとつが忍者にあると私は考えている。なぜなら、忍者は14世紀初頭、日本の歴史・文化のなかで登場して活動した存在で、その教えである「忍術」の中には、日本の風土の中で培われてきた先人の知恵が凝縮されているからである。

忍術の多くは修験道に由来している。修験道とは日本古来の山岳信仰が仏教と結びつくことによって生まれた日本独特の宗教である。修験道は緑生い茂る山が生み出した宗教であり、忍者は修験者に学んで多くの術を発展させた。九字護身法、火術、薬草の知恵などはそうした術の一部である。忍者は自然を克服することによって忍術を身につけたのではなく、動物・植物との関わりから体得していった。

また、忍者は太陽や月の運行を知り、星を見、天気を見極め、臭いや音にも敏感であったため、わずかな天地の異変も感知した。物事が起きる前にそれを未然に察知し、ことが大きくなる前に主君に伝えることが忍者の任務だった。そのことは、松本藩主戸田氏に仕えた忍者・芥川氏の史料の中にも記されている。そのため、忍者にとっては些細なことであっても、見詰め、聞き詰めることが大切だった。

江戸時代初期にあって、忍術書のようにさまざまな知恵がまとまって書かれている書物は他にはないだろう。忍術は当時最先端の「科学」であり、そこからは当時の日本人が何を大切にしていたかがよくわかる。そして、忍術は古くさくて役立たない過去の怪しい術などではなく、現代社会にも大いに役立つ実践的な術なのである。それは人間関係から始まって医学・薬学、またその精神性に到るまでさまざまな内容が含まれている。

忍者のもつ精神性

そうした忍者には、「正心」という心持ちが求められた。正心とは仁義忠信を守ることであり、仁義忠信を守らなければ、強く勇猛なことをなすことができないばかりか、さまざまな行動を起こすことができないとされる。私利私欲のためでなく、主君や親兄弟、配偶者や親友など、大切な人のために行動することを指針とするそのあり方は、とかく自己の利益追求に走りがちな現代社会において、共同体に和をもたらし、さらには世界平和にも繋がっていくのではないだろうか。

「忍」の漢字がまさに忍者のあり方をよく表している。刃の下に心という字を書くのは、どのような状況であっても動じずに耐え忍ぶ心、すなわち不動心を表しているとされる。また、それと同時に、怒りや邪欲などの念が巻き起こったときに、心の上にある刃によってその悪念を切断して元の心に戻すことも意味しているという。忍者は長い間地道な鍛練を積むことによって、強靱な精神力である不動心を身につけ、あらゆる困難に打ち勝って生き延びることを可能にした。耐え忍んで自らの怒りや怨みを鎮めることによってはじめて他者を理解することができる。自らの主張だけしていては決して平和な世界は訪れず、「怨」の感情は「怨」の連鎖を生み出す。一人ひとりが少しずつ「忍」を実践していけば、「和」が生まれ、平和がもたらされるのではないだろうか。こうした「忍」の心持ちが日本および日本人を形成してきたものと私は考えている。

『万川集海』に、「音もなく、臭いもなく、知名もなく、勇名もなし、その功天地造化の如し」と記されるように、音をたてることなく、臭いを残すこともなく、自分の名前を残さず、誇らしげに語ることもないけれど、天地を造るほどの大きな仕事を成し遂げる存在、それが忍者だった。こうした姿は、自己主張せず、黙々と働いてきた日本人の姿と重なり合う。他者から評価されることを求めるのではなく、自分自身納得いくものを作ろうとするそのあり方は、まさに忍者の精神といえよう。忍者は「忍」の心持ちを体現した存在なのである。

忍者研究の射程

このように、忍者・忍術は多岐にわたり、とても一人で網羅して研究することが不可能なほど奥深く、広がりを見せている。忍者は一体どのような存在なのか。三重大学で忍者研究を開始してちょうど10年経つが、その正体はい
まだにわからない。そして、永遠にわからないかもしれない。

忍者の正体がわからないからこそ、これまで、歌舞伎、浮世絵、講談、小説、映画、マンガ、ゲームなど、さまざまな媒体で忍者を表現した作品が次々と創造されていったのではないだろうか。江戸時代以来さまざまに描かれ続け、愛されている存在は、忍者以外にないと言ってもよいのではないだろうか。それほど忍者は日本人にとって魅力的で、なくてはならない存在となっているのである。

忍者の魅力は尽きない。そしてそれだけでなく、実は人類の救世主となる鍵を握っているのではないだろうか。そのためにも研究を着実に積み重ねていくことが求められ、今その試みが開始されたのである。


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