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『世界建築史ノート』/中川 武 編

6月新刊『世界建築史ノート 「人類の夢」を巡歴する』は、世界13の地域の建築研究者が偏愛してやまない都市・建築を精選し、豊富なカラー写真とともに紹介する、読んだら出かけたくなる本です。
執筆者たちに受け継がれている、建築を見ることの秘けつが明かされる本書巻末の座談を公開します。


中川武(編者、「11 日本の建築」執筆者)
中谷礼仁(「12 日本の近代建築」執筆者)
奥田耕一郎(「9 ヨーロッパの建築(アルプス以南)」執筆者)

中川 本書のきっかけとなったのは、2015年の私の最終講義です。世界の建築を訪れて見る、ということの重要性をテーマにしました。
早稲田大学建築史研究室には、世界中の建築を研究している人たちがいて、「世界にはこんなにおもしろい建築があるんだ」といって、最終講義にあわせて一枚のポスターにまとめてくれました。それがたいへん好評だったこともあり、この書籍版『世界建築史ノート』に結びついていきました。
建築には、場所の総合性ということが大きな意味を持ちます。どこか地上の一点にある、世界のなかのひとつの建築にどうやって行くのか、という難しさはいまも変わらずにあります。そこに具体的に出かけていく。そして、見にいったからといって、「世界の建築」という意味にアプローチすることができるのか、精神的にもたいへん難しい問題です。
本書のねらいは、執筆者らの研究成果を発表することにもありますが、本書にふれて建築に出かけていってほしい、世界の建築にふれてほしいという思いがあります。
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私はこれまで、研究プロジェクトで、エジプト、アンコール、ベトナムをはじめ、世界のさまざまな地域を何度も訪れて、建築を見てきました。現地に足をはこび、建築を実測して図面を書くことを繰り返してきました。建築史研究者とは、建築を見ることが仕事と言えるでしょう。
本書の締めくくりに、中谷礼仁さんと奥田耕一郎さんとともに、この「建築を見ること」について話してみたいと考えています。
中谷さんは近年、ユーラシア大陸のプレート境界を旅して、地球環境という視点から建築や建築史を捉え直そうとされています。奥田さんはイタリア建築史が専門で、ミラノ工科大学に留学の経験があります。中谷さんの「旅」、奥田さんの「留学」、そして私のプロジェクト研究という異なる視角から迫ってみたいと思います。

建築の総合性にふれる

中川 私は長らく建築を見てきましたが、「ひとことで言うとこの建築は何か」ということを問い続けてきました。例えば、平等院鳳凰堂を見て、この建築は何かと問うても、なかなか言えるものではありません。それでも、そういう問いを自分に強いて、いろいろな側面についてのひとことを繰り返し重ねていくと、その建築がもつ総合性や歴史に少しずつ近づいていける気がします。
中谷 中川先生は学生を引率した京都建築旅行をずっと続けて来られました。その際におっしゃっていた「全体重をかけて見る」という言葉をまず思い出しました。じっさいに「全体重」をかけるわけではありませんが、見学の際に、その言葉の意味するところはよく理解することができる、ほんとうにいい言葉だと思います。
中川 「全体重をかけて見る」とは、その建築を初めて見たときに、「ひとことで言うとこの建築は何か」と自らに問いかけることです。例えば、それが日本建築ならば、ごく普通の日本人の伝統的な感性で見てしまいますが、それでいいのか。なおかつ、それをひとことで言えばどういうことなのか。
外国の建築であっても、何も知らなくても感じるものがあるはずです。私たちからすると、不思議で、よくわからない建築だとしても、この建築はここの人たちにとって何なのだろう、いま生きている日本人である私にとって何だろう、と問いかけることによって、もしかしたら近づいていけるかもしれません。それは、建築史の研究者として必要なだけではなく、一般論としても、人間にとって建築の文化とは何かを考えていくときに大切な問いかけです。初めて建築に対面したときには、このような問いかけがないと、建築がもつ私たちが大切だと思っているものに近づいていけません。
例えば、平等院鳳凰堂は、日本建築の特徴といえるものを十分に備えていますが、それだけではわからない面もあります。「アジア的古代性」というものの中心を築いていった中国的なるものとどこが異なるのか、それとどういう関係があるのかという問いにたどりつかないと、理解できないこともあります。
しかし、そういうことをまったく知らずに平等院鳳凰堂を見たらダメなのかといったら、そんなことはありません。私がここで問いかけたいのは、初めて、一回しか見ていないのだけれど、そういう問題に近づける可能性はあるのか、そして建築とどのような関係をもつのかということです。

「でもそれでいいのか」という見かた

中谷 中川先生の建築の解説のしかたには、ひとつのパターンがあります。まずは一般的なまとめをきちんとしてくれます。その建築が現代においてどのような意味をもっているかもお話ししてくれます。しかしそこで終わらずに、「でもそれでいいのか」と必ず付け加えます。そこからが中川先生のライブの始まりです。「でもそれでいいのか」と話し始めたあとは、そのときどき違う内容になっていって、それこそがすごくおもしろいんです。実はそのことは、中川先生の建築の見かたに通じているのだと思います。
私たちはガイドブックなどから基本的な情報を仕入れますが、「でも果たしてそうなのか」というふうに建築をとらえなおします。そうしないと建築を体験することはできません。さきの問いかけは、建築を見るときに必ずつきまとうとても重要なものです。
そのときに、さきほど先生がおっしゃっていた「全体重をかけて見る」という言葉が効いてくるような気がします。
中川 「全体重」とはもちろん比喩的な言葉遣いです。私たちは「いま・ここ」にいて、建築という長い時間を生きながらえて、広がりをもったものの一部が残っていて、それに対面しています。建築のもつ時間の長さや広がりにどうしたら太刀打ちできるかといったときに、瞬間的な存在である「私」に集中するということです。
中谷 無数に現れてくる可能性はあるが、瞬間瞬間に関しては、一回しかない自分とその建築との出会いをきっちりと、ひとつの結果として言葉にしていくということでしょうか。
中川 そのとおりです。それしかできないのと同時に、そうしないと普遍的な建築のもつ可能性に気づけないし、それを取り出すこともできません。
奥田 留学は、ひと目見るにも苦労するような異世界の名建築が、ある日突然毎日見られる状態になることでもあります。当地に着いて間もない、熱気に溢れてそれを眺めていた時期が過ぎると、その建築と自分との間にも関係性が芽生えてきたような気がしてきます。ある限られた期間でしかないのですが、ミラノの大聖堂をはじめ、いくつかの建築を身近な鏡として、その時々の自分を確認するようなことがありました。このような距離感の建築に対して、中川先生はどのように向き合ってこられたのでしょうか。持続的な「全体重のかけ方」はあり得るものでしょうか。例えば、先生の最終講義が行われた大隈講堂はそのような建築のひとつではないかと思うのですが。
中川 私は利休の待庵を50回以上、50年にわたって、それなりに、その都度、全体重をかけて見てきたと思います。奥田さんがミラノの大聖堂を50回以上見たとして、当然体重のかけ方が違うわけで、要は、そこから何を見いだすか、だと思います。大隈講堂は、近代の古典のひとつですが、加えて、私にとって早稲田の建築はどの方向へ、と考えるときに大切なので、体重のかけかたが違ってくるのだと思います。

時代を底上げする建築

中谷 日本建築は洗練の極みにあるので、勉強していかないと背後にあるものが見えにくいところがあります。しかし、その洗練の過程を知っていくと、日本建築ははるか古代につながっていることもわかってきます。その場合の古代というのは建築をつくるときの共同的なありかたの始まりです。そんなイメージが私にはあります。そんな建築の古代性と比較して、現代建築や洗練された日本建築を見るということが、比較の方法として重要だと思います。
中川 中世や近世の建築を見るときに、古代というものなしにはその建築がもっている意義や価値はわかりません。同時に、日本の古代建築を、例えば中国との関係のように広げてみていかないと、日本の古代から近世までの建築が近代にどう結びついて、さらに現代(現代というのはそのまま世界につながっていますが)にどうなるのかという問いに広がっていきません。
私もたくさんの建築を見ることによって、そのように問いかけるようになりました。日本建築で重要な、例えば江戸前期の寛永くらいまでのすばらしい建築は、ひとつの建築だけでなくその背景に技術的、美学的、組織的な厚みがあります。それと同時に、ひとつのすばらしい建築が、その建築の背景をも豊かにしていくような関係の循環性をもっています。
古代の建築は、東アジアであれば東アジアにおける世界の循環性、すなわち同時的な世界性をもっていました。その循環性はしだいに閉じられていきますが、近代になってふたたび開放的になっていくような面があります。しかし古代がもっていた循環性を知らずして、近代における循環性を考えることは絶対にできないだろうと思います。そういうことが比較建築史に必要な見かたです。
日本の中世や近世の建築をすばらしいと言っているだけではなく、そのすばらしさは何を意味するのかを考えていくことは、建築を見ることから出てくるひとつの方法だと思います。私たち建築史研究者は、その成果をバックボーンにして発言しています。
例えば西本願寺黒書院(江戸前期/1657年)を見ると、まさにいまお話しした意味がわかるでしょう。同時期の桂離宮ももちろんすばらしい建築ですが、黒書院のすばらしさとはその背景にあります。黒書院ができたことによって、その時代の建築の技術・文化が底上げされていきます。このことが、建築が文化であるとか、総合的なものであると言うことのひとつの証左なのです。
この循環性は古代にもありました。古代にはこれほどの洗練さはありませんでしたが、しかしこの洗練さをもたないことによって、建築の背景である社会性の変革という別の解放性・循環性・総合性をもっていました。このことを、古代と、一定程度社会性を断絶して、その制約の上でより鮮明さを増した中世・近世の洗練さを同時に見ていかないと、建築を指標にして私たちが何かを発言していくことにはならないと思います。
黒書院のすばらしさを理解しようと思えば、そのすばらしさは建築のすばらしさなのです。これは何も歴史的な建築だけの問題ではなく、現代建築にもそういう問題意識をぜひもってほしいものです。
日本建築では、それが「居ながらにして」考えることができるように思いますが、世界の建築ではそれ以上の総合性・複雑性・混沌性があります。世界に出ていくときには、これまでお話ししたような方法で建築を考えることができるのか、そのためにはどうしたらいいのかという問題に直面します。とても難しいことですが、どこかに「野心」をもっていたいと思っています。
(続く)

(2022年1月15日・21日収録)

世界史のなかにおける日本建築の特質とは何か、日本建築が世界の建築研究に対してアピールできることとは何か――。座談の全文は、本書『世界建築史ノート』を手にとってお楽しみいただけたら幸いです。

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