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方法と方法の隙間を行く/濱田武志

第七回東京大学南原繁記念出版賞(以下、南原賞)を受賞したのは4年前のことになる。刊行に難渋した受賞作『中国方言系統論──漢語系諸語の分岐と粤語の成立』の瑞々しい薄緑色の表紙は、改稿の過程で受けた恩義とかけた迷惑の記憶を、筆者に鮮烈に思い出させるものであった。ところがある日、本務校の附属図書館の司書さんから呼び止められて、拙著の装丁やデザイン、フォントの美しさを激賞されるという、思わぬ出来事があった。「造りが本当に素晴らしかったので、濱田先生に一言お伝えしなくてはとずっと思っていたんです」とのことだった。研究者の先生方から祝福や激励をいただいたのとはまた別種の、とても大きな喜びを筆者は感じた。お世話になった方々の仕事が、自分を媒介にして掛け値なしに称賛されたことが、純粋にうれしかったのである。玄人がその道のことで褒めてくださったのだから、なおさらである。ちょうどそんな出来事があって、拙著の受け止め方が変わりつつあった頃に、エッセイ執筆のお声がけをいただいた。

拙著は漢語系諸語(Sinitic languages 中国語の諸方言)の一集団である粤(えつ)語(逐語訳は「広東のことば」)および関連する諸変種の言語史について考察したものである。ただ、手法の一部に分岐学(cladistics)という離散数学の背景を持つ方法を含んでいたり、理学的方法を導入することの妥当性を論ずるために植物学の事例を挙げたりと、言語学・中国語学の論著としては変わった構成をとる。なまじ関連する話題の種類だけは多いため、エッセイを書こうにも、とりとめがなくなってしまいそうに思えて、なかなか筆が進まずにいた。そんな折にちょうど、『UP』2021年7月号で南原賞の第四回受賞者の小林延人先生が本誌の連載エッセイ「分野の垣根をまたいで(注1)」で、光栄なことに拙著に言及してくださった。そこで、便乗するようで恐縮ながら、「分野」をこのエッセイの糸口とすることにした。

拙著の目次を見れば、言語史の研究では馴染みのない「中央値計算」などの言葉が出てきたり、巻末の附論を覗けばナンジャモンジャゴケ──念のため申し添えておくと、これは(Takakia lepidozioides ※原文はイタリック体)という実在のコケ植物の和名である──の話が始まったりする。「ナンジャモンジャはこっちの台詞だ」と困惑した読者もいらっしゃったかもしれない。ただ、このような性質を持つ拙著を手にしてくださった理学側の先生方と「分野の垣根をまたいで」交流する機会が増え、多くの貴重な経験を積むことができた。南原賞の威光のおかげで下駄を履かせてもらい、はじめてこのような僥倖に巡り合えたことは、筆者自身が一番よくわかっている。先人の余慶を蒙るとは、正にこのことである。

そういえば、拙著の改稿元の学位論文を執筆する過程で、コケ植物の観察や栽培が趣味の一つに加わったのだが、そのおかげで、面識を得て間もない先生から「お、ボンサイの濱田君!」と呼び止められ、「いきなり罵倒されてしまうなんて、何か失礼をしてしまったのだろうか……」と肝を冷やすという、そんな四方山話の種が得られたこともあった。いや、これは南原賞とは無関係のヨケイ違いのエピソードである。

さて、一人の著者の手による一つの論文・論著に対して「分野間の交流」や「分野同士の融合」という言葉が使われるとき、それはしばしば性質の異なる複数の状況を指示し得るように見える。一つは、ある分野の方法を他分野の対象に適応する場合、もう一つは、一つの研究が複数の方法に依拠して初めて論としての完結を見ている場合、あるいは、近接分野の研究者同士が共著の論文集に個々別々に論文を寄せるような場合もあるかと思う。先の小林先生が強調なさる、研究内容を説明することの重要性は、全ての場合において当てはまっていると筆者は感ずる。異なる方法に拠って立つ者同士の間の翻訳作業では、研究それ自体と同様に、自身の創造性がやはり試されている。

学問には方法があり、方法には公理系がある。公理系の違いが、分析対象の近接性や類似性と相関関係を持つとは限らない。拙著に引き付けていえば、言語学と中国語学の間にすら深い溝がある。学問に分野の違いがある理由は、学問の対象が持つ不純さにある。一つの事物がある一定の条件下で完全に予測可能な振る舞いや性質を見せるとき、そこに求められるのは学問ではなく処理であり、判断ではなく手続きである。手続きは言語化できるが、判断はそうとも限らない。ゆえに学問はその方法を言語化できない部分を残すのであり、だからこそ、昨今の情勢下で多くの人が痛いほどに実感しているように、指導をパッケージ化して言葉だけで方法を会得させることは難しい。方法が手続き以外のものからも構成されているために学問は学問たり得、そして、あたかも一つの光源が真球を一様に照らすことができないように、夜空で星が星座を描くように、学問は一つには統合されず緩やかに結びつきながら存在するのだろう。

学問と学問の間を論理だけで繋ぎ合わせることができない様は、人間が言葉だけで自分自身の全てを完全には統合できないことと似ているかもしれない。ただ、「何某は人間に似ている」のような便利すぎるたとえ話は、かえって理解を誤らせる危険を孕んでいる。ちょうど、拙著が関心を持つ「系統樹」が、とてもわかりやすい図像表現であるからこそ、読み手側にある種のリテラシーが要求されることと同様である。そこで、先人の言葉を頼りとしながら、学問と人間に共通するある種の不完全性について、思うところを述べてみたい。

チェスタトンは「狂人とは理性を失った人ではない。狂人とは理性以外のあらゆる物を失った人である」と述べている(福田恆存、安西徹雄訳『チェスタトン著作集Ⅰ 正統とは何か』春秋社、1973年)。「清濁併せ吞む」という言葉があるように、そもそも人間は複数の論理を持って生きる能力をもっており、一個人の中でそれらを統合するためのメタ論理は、いわゆる「論理」とはまた別のものである。論理が自分という真球をどの程度まで照らせているかについては、人により感覚の差があるかと思う。ここでもし、数学者の岡潔の「自然以外にこころというものがある。たいていの人はそう思っている。(……)しかし少数ではあるが、こう思っている人たちもある。自然はこころの中にある、それもこんなふうにである、──こころの中に自然があること、なお大海に一漚(いつおう)の浮ぶがごとし」(「こころ」『岡潔集 第三巻』学研、1969年)という言葉を想起するならば、純粋に論理のみによって統御されている人間の活動は、実はごくわずかであることが想像できそうである。ちょうど、人類が森羅万象に対して実に多くのことがわかっていないのと同様に。

岡はまた、学問がそれとして存在する根拠について鋭く分析する。「数学がいままで成り立ってきたのは、体系の中に矛盾がないということが証明されているためだけではなくて、その体系を各々の数学者の感情が満足していたということがもっと深くにあったのです」(小林秀雄、岡潔『人間の建設』新潮社、1965年。この言葉は、連続体仮説の証明と反証がともに不可能であることが証明されたことを踏まえたものと思われる)。小林秀雄がこの対談の最中に指摘している通り、岡が言う「感情」は一般的用例とは異なる意味を持っている。これに関して岡はまた、「その感情の満足、不満足を直感といっているのでしょう」と説明を与えている。学者は、自分が人間であることから逃れることができないのである。

そもそも方法はただ単に、それが科学的であるために個々の学者によって受け入れられ、方法としての生命を保っているわけではなく、学問ごとに推論の根拠に対する信念が一つのセットとして存在していて、その学問の方法がある分析者に使用されるとき、分析者はその信念のセットを受け入れている(「卵が先か、鶏が先か」の議論は、今は置いておこう)。拙著の第三章第三節でも似たことを述べたが、方法間での判断の違いは「白か黒か」で説明される性質のものではなく、暗黙知・経験知としか呼びようのないものに基づき、判断の根拠に対して価値判断が行われている部分があり、それによって学問の間で「信頼の濃淡」の違いが生まれている。

人間が己の中に統合し切れぬ多様さを抱え込みながらも人格を唯一のものとして持っているのと同様に、学者が複数の方法を用いて一つの研究を成そうとするとき、一種の飛躍がそこには不可避的に入り込む。その飛躍の後でソフトランディングするための大道具こそが分岐学であった。言語学と中国語学の間にある信念の不一致が、無効化されるとまではいかなくとも、いくらか弱まる程度には議論を抽象化する必要があったということである。

拙著の目標は、現代の粤語の諸変種の姿かたちという実際に観測可能な対象を根拠として、それら全てが遡り得る「共通祖語」(粤語の諸変種の共通祖語なので「粤祖語」と呼ぶ)という仮定上の一つの体系を復元することである。それに伴う具体的問題を一つだけ挙げるならば、「粤語」という分類群を定義するための、言語学者と中国語学者の両方を納得させられる内包を、議論に先立って提示することが恐らくは不可能だということが、最大かつ最初の障碍であった。中国語学は「粤語」に対して一定の定義を与えてこそいるものの、しかし分類体系の「運用」は厳格でない場合も多い。言語学者がもし中国語学を頼ることなく「粤語」の明瞭な境界線を得ることを欲するならば、中国大陸の膨大な数の変種の情報を、一度に、徒手空拳で相手にせざるを得なくなる。一方、中国語学側にも比較研究に対しては言い分がある。詳しい話は割愛するが、系統樹のかたちで描かれた言語史は「中国語の歴史の現実から乖離した」ものと見られ、考慮の埒外に置かれがちである。

言語学からも中国語学からも手が届きにくい場所にある問題を扱うために、拙著は「粤語」を出発点としながらも「粤語」を疑うことを自らに課したわけだが、そのうえで、その成果をあえて言語学や中国語学の領域に再び持ち帰る(翻訳する)ことにこそ大きな意味があると筆者は考えた。自分の直感を恃めない未知の領域の中で新世界を作ろうともがくよりも、往路と復路で二倍の距離がかかったとしても、自分が全身で責任を引き受けることができる環境で研究対象と向き合った方が、はるかに大きな成果を得られると信じたためである。「帰るまでが遠足」とはよく言ったものだと思う。確かに、例えばアリストテレスが取ってこられなかった月の石を現代人が持ち帰ったように、分岐学的手法は粤祖語の再建に対して、従来では成し遂げるすべがなかった寄与を果たした部分もあったかもしれない。しかし、そのことは言語学や中国語学の敗北を意味するわけでもなければ、筆者が先人よりも賢いことを意味するわけでもない。ゲーテの言葉を引くならば、「われわれよりも上にあるものなど一切認めないから自由になれるのではなく、われわれよりも上にあるものを尊敬して、はじめて自由になれる」のであり、「そういうものを尊敬すれば、われわれ自身そこまで昇ってゆくことができるし、そういうものを承認してこそ、われわれ自身の内部にもより高いものがひそんでいて、そういうものと同等になる資格のあることが、明らかになる」のである(エッカーマン著、伊藤武雄訳「ゲーテとの対話抄」菊池栄一ほか編『ゲーテ全集』第11巻、人文書院、1961年)。これはもちろん権威への追随や方法への妄信とは真逆の行為であって、そして、チェスタトンが言う「狂人」にならないための有効な方法である。

領域を超えるための最大の武器は、自分が生きている領域の方法に対して謹厳であることであると筆者は知った。だからこそ、「こんなに恵まれた環境で、たくさんの素晴らしい先生に教わりながら研究ができるなんて、何て幸せなんだろう」と、学生の身分を終える前に気づくことができたのである。当然、「自分が恵まれている」ことなど学部一年生の頃から頭ではわかっていた。岡の言う「感情」のレベルでこれを理解できたことが、筆者にとっては尊い経験だったのであり、そしてこれが、学者としての今の自分を支え続けてくれている宝なのである。

その宝を手にして、それでは今は何をしているかと言うと、宋代頃の音韻に目を向け始め、新たな分野の論理を静かに吸収する作業に注力しており、分岐学は次の出番を待っているところである。実はこの研究課題もまた、方法と方法の隙間にあるものである。こちらも書き始めればきりがないが、宋代前後といえば、音韻学(漢字音の伝統的な分析手法を基礎に持つ分野。言語学の音韻論(phonology)とは異なる)が隋唐代の音韻体系とされる「中古音」を復元する方法が、直接及び得る年代の下限であると同時に、方言学が現代語から出発して時代を遡る多くの場合において、ギリギリ手が届くかどうかという時代でもある。仮にどちらか一方から接近できたとしても、その先に待っているのは、今日のものとは異なる当時の独特の方法をとる音韻学、および、その方法によって残された、実に一筋縄ではいかない音韻資料である。拙著の研究が、暗闇の荒野に進むべき道を切り開くようなものであったとすれば、今回はあたかも、岩壁に隧道(すいどう)を穿つために、鑿や鎚から、いや、その工具を作る熔鉱炉すら手作りするような、従来と大きく異なる戦術を要する研究といえる。

ただ、今日の大学が研究機関としての使命を放棄させられつつあるなか、教員である自分にとって、「熔鉱炉」の製作に従事するために必要な、精神の独立や自由を守ることがとても難しく感ずる。憂いに沈み込まぬよう努力しながら日々を過ごすようになって久しく、「学者の幸せ」について考えて思い詰めることも多かったように思う。しかし、先に引いたチェスタトンは、こうも言っている。「生真面目ということは、実は、自分のことをことさら重大視するという、人間の陥りがちな悪癖に落ちこむことでしかない。というのも、それは何より容易なことだからである。『タイムズ』の気の利いた社説を書くほうが、『パンチ』に気の利いたジョークを書くよりはるかに容易なことである。荘重さは人間から自然に流れ出してくるが、笑いは一つの飛躍にほかならない。重々しくするのはやさしい。が、軽々しくするのはむずかしい」。確かに、楽観的になるにも技術が必要で、人により得手不得手の差が大きいようである。残念ながら筆者は苦手な方である。「そんなもの気持ちの持ち様だ。得手不得手などあったものか」と呆れる人もいるかもしれないが、「笑いには技術が必要だ」ともし言い換えたならば、より多くの人が納得してくれることだろう。

このチェスタトンの言葉や、冒頭に述べた喜ばしい出来事などを道標として、現代を生きる人文学徒として学問と向き合う方法の輪郭が、筆者にも少しずつ見えてきたように思う。「熔鉱炉」なだけに、どうせ滅びるならばターミネーターよろしく、サムズアップでもしながら燃え尽きる姿を後生に遺した方がよい。もちろん、それによって本当に、学問を愛して楽しむ国としての日本が「I’ll be back」してくれるかはわからない。だが、よく笑い、よく笑わせること、そして、ふざけることへの真剣さを持つことで、末世の学者として正気を保ちつつ力強く生きていく道が、そして、よりましな未来を残すための方策が、少しは見つけやすくなるのではないか。

しかし遺憾なことに、肝心のこのエッセイを笑って締めくくるオチが全く思いつかなくて困ってしまっている。そんな未熟者の筆者を、授賞というかたちで力強く応援してくださった東京大学出版会の皆様ならびに選考委員の先生方に、最後に厚く感謝を申し上げて筆を擱かせていただく。

(はまだ・たけし 言語学・中国語学)

初出:『UP』591号 (2022/1)

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