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ロシア・ウクライナ戦争と今後の世界を見通す/『UP plus ウクライナ戦争と世界のゆくえ』あとがき(川島 真)

ロシア・ウクライナ戦争以降刻々と変化する世界情勢を、気鋭の研究者が鋭く分析し今後の見通しを示す、8月新刊『UP plus ウクライナ戦争と世界のゆくえ』。執筆者のお一人、川島真先生によるあとがきを公開します。

「長い一九世紀」という言葉がある。エリック・ホブズボームが提起したこの視点は、フランス革命から第一次世界大戦を一つの時代と位置付ける。確かに、第一次世界大戦によって時代は大きく変わり、一九一〇年代はむしろ一九世紀からの連続として捉えた方が理解しやすい面がある。

「長い二〇世紀」、そのような視点がこれから生まれるのだろうか。確かに、コロナ禍とウクライナ戦争とが重なることで世界にさまざまな問いが投げかけられている。来るべき、ポストコロナ、ポストウクライナ戦争の時代は、まさに新たな時代になるのかもしれない。だが、コロナが必ずしも何か新しい現象をもたらしたのではなく、むしろこれまで生じていた問題を大きくしたり、すでに現れていた課題が顕在化したりしたように、ウクライナ戦争もまたすでに生じていたさまざまな問題や課題を浮かび上がらせている面がある。

本書は、ウクライナ戦争が世界に突きつけてたさまざまな課題や問題について、多角的に、かつ「変わらないものと変わりつつあるもの」の双方に焦点を当てる。日本では、ウクライナ戦争に対して、「一本足打法」とでもいうべき、「これが正しい」とされる対処法が念頭に置かれ、それ以外の選択肢や視点が排除されがちだ。だが、ウクライナ戦争への見方、対処の仕方は多様であり、たとえアメリカであってもロシアに対して制裁一本槍ではないし、中国とも対話を継続している。運動会の紅組白組のように敵味方を弁別し、相手と関わらない、ということでもないのである。多角的で柔軟な思考を基礎とし、さまざまな選択を行うことができなければ、むしろ不測の事態への対処能力を自ら切り下げることになる、ということであろう。

本書の鈴木一人論文は先進国による対露経済制裁の効果と限界について、これまでの経済制裁と今回のそれとを比較しながら論じる。確かに、目的が明示されないまま実施された制裁は着地点を見出しにくい。小泉悠論文は、ロシア・ウクライナ戦争の古くて新しい側面に着目する。この戦争は冷戦前の要素と共に、冷戦後の戦争としての新しい側面を有しているという。鶴岡路人論文は、この戦争が欧州を目覚めさせたが、その行き先は見えないという。従来からあるNATOの中心性はむしろ高まり、脱ロシアが進行しているのだが、しかしロシアを包摂する秩序が築かれなければならないとすれば、欧州の安全の根本問題が改めて露呈したということでもある。森聡論文は、アメリカがすでに「ポストプライマシー時代」に入っていることを認識するように読者に訴えているように読める。「プライマシー時代」の発想に基づいてアメリカを見てはならないのはアメリカ国民だけでなく、同盟国、その国民も同様だろう。だとすれば、アメリカから求められる同盟国の役割などについて、従来とは異なる姿勢で考えねばならなくなる。川島真論文は、「専制主義」とか「力による現状変更を行う存在」として括られがちな中露関係について、従来通り、あるいはそれ以上の緊密な関係がありながらも、必ずしも同盟関係には至らない中国の立場を説明する。中国の視線の先にはアメリカと世界の多数を占める開発途上国、新興国があるという。宇山智彦論文は、ロシアと深い関係を持つ中央アジア諸国のウクライナ戦争に対する、「微妙な」態度を明らかにする。ロシアと中央アジア諸国との関係には、軍事面を中心に深い関係があるのと同時に、中央アジア諸国がロシアの大ロシア主義の影響を受けるという二つ側面がある。戦争は中央アジア諸国がロシアとの関係を変えていこうとする機会となっている面もあるという。池内恵論文は、ウクライナ戦争に対して親米中立の姿勢をとりながらも、多極的な世界を想定して、決して「一本足打法」的にならない中東諸国のバランス感覚、多様性を描き出している。

歴史的視点をもって現在を描くことは極めて難しい。半年後には本書に書かれていることとは全く異なる事態になっているかもしれない。しかし、それでも現在において、現状とこれからの可能性を、これまでの経緯や歴史を踏まえて敢えて文章化したのが本書である。連続性と非連続性が折り重なる現状やこれからをどう見据えるのか。読者と共に考えていければ幸いである。

川島 真
二〇二二年七月



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