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情報を用いた「悪」の変遷を追う/坂井修一

1月下旬に刊行を予定している、坂井修一『サイバー社会の「悪」を考える――現代社会の罠とセキュリティ』。その「まえがき」をいち早く公開いたします。


20世紀末に、パソコンとインターネットが世界中に広まり、急速に情報社会が立ち上がってから、わずか四半世紀の間に、地球は以前とはぜんぜん違う星になってしまった。ネットショップ、検索エンジン、スマホ、SNS、プラントの自動運転、スマート農業――世界は、ソフトウェア(コンピュータのプログラム)に目鼻(センサ)と手足(アクチュエータ)がついたものになったのである。

ソフトウェアは、センサと人間を〈目鼻〉として世界を探り、これらから膨大なデータを受け取り、これを処理して、情報として発信したり、プラントや乗り物を〈手足〉として動かしたりする。ビッグデータやAI(人工知能)の技術の発達などもあって、実世界はどんどんと情報化され、自動運転や遠隔医療など、以前には考えられなかった社会展開が行われようとしている。

狩猟採取社会、農耕社会、工業化社会、情報化社会に続いて人類の作る5番目の社会、いわゆるソサイエティ5.0(Society 5.0)と呼ばれる超スマート社会(=サイバー空間と実空間が融合した社会)は、もう目の前に来ているのだ。

私は今、東京大学で情報理工学の教鞭を執る傍ら、科学技術振興機構(JST)の戦略的創造研究推進事業で「Society 5.0を支える革新的コンピューティング技術」の総括を拝命している。超スマート社会を実現するための新しいコンピュータを作る。そういう研究を推進する立場だ。人々にとって、超スマート社会をよりよいものとして実現するためのお手伝いをしようというわけである。

一方で、情報社会という言葉には、恐怖感を覚える人も多いだろう。バグや操作ミスによる事故。SNSの炎上。フェイクニュース(偽ニュース)の氾濫。ネットを使った犯罪。個人情報の漏洩。AIが人間を支配するなど、SF的なテーマも盛んに議論されるようになっている。

特に、サイバー攻撃は、毎日のようにメディアを賑わす21世紀の中心問題の一つだ。以前は、個人やハッカーグループの攻撃が注目されていたが、昨今では、国家間の争いやテロリスト集団の動きが目立ってきている。地球規模のサイバー空間の攻防――これが高じたものが、いわゆるサイバー戦争である。われわれの世界は今、目には見えにくいが、恒常的なサイバー戦争状態にあると言ってもよいだろう。

この本では、サイバー戦争を筆頭とする情報社会の「悪」について、長くこの分野に携わってきた人間として思うところを正直に記してみたい。「悪」の根源が人間の心にあることは言うまでもないが、なぜそれがかくも広範かつ瞬時に人間(社会)を襲うのか。技術的な問題と人間的な問題の両面からできるだけ簡潔に述べてみたいのである。

本文に入る前に、以下のことを注意・確認しておこう。

第一に、この本は、情報社会の問題点や危険をことさらに煽り立てることはしない、ということだ。サイバー世界戦争が勃発して人類は滅亡する。技術的特異点を超えたAIが人間を奴隷化する。そういう終末論をいきなりふりかざすのではなく、この世界の現状と近未来を落ち着いて展望し、考えるべきことは何かを記しておくのが本書の目的である。

第二に、この本では、特定の国や政治勢力、個人に対して荷担も、誹謗中傷もしない。インターネットやコンピュータを介した諜報、攻撃、破壊などは、多くが違法なものであり、また倫理的に許されないものである。過去に起こった事例では、個別に特定の国家や政治勢力が批判の対象となってよいのだが、今ではどの国も真っ白とは言いがたいものを持っている。歴史を振り返ってみても、こうした暗い行為は、どちらの勢力だけが悪いということはなく、関係する国のほぼすべての間で、途切れることなく延々と続いているものだ。こうした行為への批判は、法律学者・政治学者・倫理学者にお任せし、ここでは何が行われているか、何が可能となっているかを中心にお話したい。その過程で、私自身の感情を吐露することなどもあるかもしれない。そのような場面でも、特定の国・政治勢力・個人を批判するというよりは、人間という動物の欲望の果てしなさについて物思い、人間社会のあさましさを嘆くという形をとることになるだろう。

第三に、特にサイバーセキュリティについて研究するときの態度について。世の中では、軍事に少しでも関わる研究をするべきではないという意見がある。一般論としてこれは正しいが、軍事に転用できる研究をすべて禁止すると、現代文明は成り立たなくなる。コンピュータ、インターネット、センサ、ロボット、暗号、無線通信、半導体、レーザ、飛行機、船、自動車、人工衛星、レーダー、医薬品、農薬、遺伝子組換え。すべて軍事転用が可能なのである。サイバーセキュリティもその例に漏れない。

サイバーセキュリティと軍事研究について、私自身の考えを以下に記す。

(1)サイバーセキュリティの研究は、一般論として日本の大学や公的研究機関でも必要である
(2)軍事を目的とした研究、軍事への転用は、(1)の機関ではやるべきではない
(3)サイバーセキュリティの研究成果は、すみやかに公開されるべきである

サイバーセキュリティは、技術的には、個人や会社を守るものと、国を守るものの間で差がない。したがって、(1)は、たとえ戦争や軍備を放棄した国であっても行う必要がある。その結果、これを軍事転用できてしまうという問題が生じる。そこで、(2)の軍事への転用は、大学は行わない、(3)研究成果は必ず公開する、という2つの規則を設ける。

(3)で公開された成果を軍事転用することは、世界中の国でできるが、これを監視するなどは、国際的な機関で行うべきだろう。

21世紀の情報社会の「悪」は、技術的にはかつて人類が経験したことのなかったものである。しかし、これは、人間社会が1万年以上にわたってやってきた愚かしい「悪」を引き継いだものであり、人々がやっていることの本質はなんら変わっていないと思う。

「起きるべきほどのことはすでにシュメル社会では起きていた」(小林登志子『シュメル――人類最古の文明』中公新書、2005)

世界最古と言われるシュメル(=シュメール)の文明。メソポタミアのチグリス川とユーフラテス川の間で起こった文明社会で何千年も前に為されていたことと比べて、新しいことなど何もない。実際、この本でも述べるように、古代メソポタミアでは諜報戦が行われていたのだ。

「情報」が一瞬で人を殺すことができるようになった21世紀の今日でも、このことは、変わることのない真実なのであり、私たちはこれを幾度反芻しても足りるということはないと思う。


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