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香港政治危機はなぜ起きたか/倉田徹

このほど刊行しました『香港政治危機 ~圧力と抵抗の2010年代~』から序章を公開いたします。

2010年代、香港では激しい「政治化」が進んだ。それは、世界から平穏な返還や「一国二制度」の成功を称賛された、1997年から2000年代までの状況からは想像もつかないような、あまりにも大きな変化であった。

1989年の天安門事件発生以来毎年行われてきた追悼集会は、2000年代には参加者の減少、記憶の風化が言われていた。しかし、2009年に突如史上最多の参加者を集めた後、2010年代を通して10万人を超えるような大規模集会が毎年開催された。2012年には、若者が政府前の広場を占拠して「愛国教育」の必修化に反対する抗議集会(反国民教育運動)を行い、政府はこれに屈して必修化を断念した。2014年には民主化を求める「雨傘運動」が発生し、催涙弾の使用で香港中心街が大混乱した後、長期にわたって幹線道路が占拠された。2016年には九龍の盛り場・旺角(モンコック)で、投石や放火、警察の威嚇射撃を伴う騒乱が発生し、極めて異例の「暴動罪」が適用された。従来ほぼ存在しなかった香港独立の主張に火がつき、政府は独立派の団体をヤクザと同様に非合法化した。そしてついに2019年、「逃亡犯条例」改正反対の巨大デモに端を発した抗議活動は、香港のほぼ全土で催涙弾の発射を伴う衝突を発生させた。半年以上にわたって暴力化した衝突による混乱が続いた上、事態は米中をはじめとする世界を巻き込んだ政治危機にまで進展した。

筆者が香港政治と向き合って四半世紀になるが、これは完全に筆者の想像を超える展開であった。イデオロギーの多様性を内包しつつも、大規模な国家間紛争が40年以上発生していない平和な東アジアにおいて、グローバル化の恩恵の下で経済的な繁栄を極める裕福な国際金融センター・香港は「ノンポリ経済都市」と見なされがちであった。香港政治の研究は主に、香港人はなぜ政治に関心がないのか、香港はなぜ、非民主的な体制であるにもかかわらず、安定を維持してきたのかというような問題意識に基づいて行われてきた。しかし、2010年代の香港政治の展開は、そうした過去の香港政治研究の問題意識をほぼ無意味なものにした。筆者を含む研究者たちも、この状況に困惑し、悩みながら、この現実をどう理解し、説明すべきか、模索してきた。

本書は、そうした2010年代の香港の「政治化」を主な対象とし、その原因を探ることを目的とする。過去10年、筆者は怠惰にして単著の研究書を完成させることはできなかったが、幸いにして多くの研究者や研究機関・報道機関からのお招きにあずかり、様々な形で香港の政治現象や政治構造を論じる機会を頂戴してきた。その際の議論を部品としつつ、筆を加えて一冊の書籍としたのが本書である。

結論から言えば、「政治化」の原因を単一の事象・現象等に求めることはできない。例えば、「反中感情」、「習近平の強権化」、「貧富の格差」、「米国の煽動」などが、それぞれ立場の違う論者によって犯人扱いされてきた。いずれも一面においては事実であろうが、それだけでこの「政治化」を説明するのに十分要因とはなりえない。しかも、こうした各種の要因は相互に作用して、鶏と卵のように、原因ともなり、結果ともなっている。香港・中国・世界のレベルで、政治・経済・国際関係などの多くの側面で起きた変動が、いずれも香港の「政治化」を加速させる方向に作用した結果が、2010年代の劇変であり、2019年以降の政治危機であった。

したがって、問題意識に迫るためには、こうした絡み合う多様な要因を、糸をほぐすようにより分けて、様々な側面から論じることが必要となる。本書も概ねそういった章立てをとっている。第一章では中央政府の対香港政策の変遷を、「一国二制度」方式による香港返還を決定した鄧小平から、江沢民・胡錦濤を経て習近平に至る各指導者の時代ごとにたどる。第二章では、「政治に関心がない」と言われた香港人が、大規模な民主化運動に没入するに至った価値観の変化を検討する。第三章は「中港矛盾」と言われる、中央政府或いは大陸の人々に対する香港市民の反発の現象の原因を考える。第四章では選挙制度の民主化を検討し、英国や中国、そして香港市民の思惑通りには進まなかった民主化の過程の複雑さを論じる。第五章は、自由貿易や脱政治化などの構造の下で育ってきた香港の自律的な市民社会と共産党政権が、互いにどう向き合ってきたのかを検討する。第六章では、2019年の巨大抗議活動の発生後に起きた、香港をめぐる国際社会と北京の鋭い対立の背後にある構造変化を分析する。

しかし、複雑なのは、こうして腑分けした一つ一つの要因でさえも、二律背反的な説明が可能になるという点である。例えば、中央政府の態度である。習近平体制のあまりの強権が、香港を「政治化」させたとの説明は妥当に見える。しかし、そもそも大規模なデモ・抗議活動を起こさせない中央政府あるいは大陸の人たちにとっては、政府が弱腰で、抗議活動を抑え込めないことが問題の原因である。したがって、香港市民は抑圧の不自由のゆえに抗議活動をおこしたと認識するが、大陸の立場では抗議活動の発生は「過度に」自由だからである。また、中央政府や大陸の人々は、住宅難や若者の社会的地位上昇の困難といった経済問題を「政治化」の根本原因と論じる傾向が強い。しかし香港の若者は、香港人がそうした物質的価値よりも、民主・自由・環境などといった非物質的価値を追求するようになったことを「政治化」の要因として強調する。中国政府は「愛国教育」の不足が若者の反中感情の原因と見るが、香港の専門家は問題をむしろ「愛国教育」が生んだアレルギー反応と考える。激しい抗議活動は平和と安定の喪失として、少なからぬ人々の不安を呼んだ。他方、抗議活動は大量の死者を出すような事態には至らず、市民生活や経済活動への影響は限定的でもあり、その点では香港は相変らず平和でもある。中国は米国の煽動を介入の根拠とするが、米国は中国の強権化を介入の根拠とする。こうした事態は、大国が香港を翻弄しているように見えるが、香港の事態が大国を巻き込んだということも可能である。

結局のところ、「一国二制度」というシステムの下にある、香港そのものが二律背反的で逆説的な土地なのである。したがって、最終的に本書は「政治化」の原因について明快な結論には至らない。しかし恐らくこの際、問題が複雑であると指摘することもまた、一つの仕事であると筆者は考える。というのは、香港の政治問題は現在、その複雑性にもかかわらず、経済問題と外国の干渉が混乱の原因であると一方的に診断する中国中央政府によって、荒療治に着手された状態にあるからである。2020年の「香港国家安全維持法(国安法)」制定と、2021年の選挙制度の変更による民主化の頓挫は、本書が扱う香港の、様々なアクターによる対立と妥協の積み重ねで作られてきた制度と状況を、根本から覆しうるインパクトを与える。本書の執筆中に、本書が扱う現状分析のかなりの部分が過去形になってしまった。この先の事態の展開は容易には想像できない。したがって本書は結論に替えて、2020年代に入ってからの香港政治の変化がいかに衝撃的なものであるかを、終章において強調して終わる。

文・倉田徹
(倉田徹著『香港政治危機』より 序章「香港政治危機はなぜ起きたか」)

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本書のご購入方法/書誌ページ

香港政治危機 圧力と抵抗の2010年代

倉田 徹 著
ISBN978-4-13-033110-4
発売日:2021年09月
四六判、464頁

[内容紹介]
自由都市・香港はなぜこのような事態に陥ったのか――.一国二制度で高度な自治権を有していた香港が,2020年の7月に「国家安全維持法」の施行によって大きく変質した.この状況を,香港政治研究の第一人者である著者が,あらゆる角度から分析し,香港危機の深層に迫る.香港情勢分析の最新成果.〈東京大学出版会創立70周年記念出版〉

[主要目次]
序 章 香港政治危機はなぜ起きたか
第一章 中央政府の対香港政策――鄧小平の香港から,習近平の香港へ
 はじめに
 1 鄧小平の香港――「資本主義の香港」
 2 江沢民の香港――「相互不干渉の香港」
 3 胡錦濤の香港――「和諧社会の香港」
 4 習近平の香港――「国家の安全の香港」
 おわりに 
第二章 香港市民の政治的覚醒――経済都市の変貌
 はじめに
 1 政治的無関心論の再検討
 2 政治的覚醒の背景
 3 雨傘運動とその限界
 4 雨傘運動後の若者の運動と思想
 おわりに
第三章 「中港矛盾」の出現と激化――経済融合の効果と限界
 はじめに
 1 「中港融合」とその副作用
 2 香港人意識の強化
 3 価値観の相違
 おわりに
第四章 民主化問題の展開――制度設計の意図と誤算
 はじめに
 1 香港民主化問題の特徴
 2 「基本法」の枠組み――北京の意図
 3 返還後の制度変更――誤算と対策
 おわりに 
第五章 自由への脅威――多元的市民社会と一党支配の相克
 はじめに
 1 自由な社会とその起源
 2 中国共産党政権と香港市民社会
 3 抵抗と弾圧
 おわりに
第六章 加速する香港問題の「新冷戦化」――巻き込み,巻き込まれる国際社会と香港
 はじめに
 1 香港「一国二制度」の外部環境
 2 急激な外部環境の変化
 3 「新冷戦」下の香港危機
 おわりに
終 章 「国安法」後の香港
 1 「国安法」の衝撃
 2 「中国式」選挙制度の導入
 3 「国安法」後の香港の未来像

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