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【試し読み】序 「インターセクショナリティ」に何ができるのか(土屋和代)

多様性に満ちた現代社会を理解するうえで最重要概念のひとつと呼ばれる「インターセクショナリティ(交差性)」。この概念=分析枠組みを切口としたとき、さまざま地域・時代の現象をかたちづくる力学をどのようにとらえるができるのだろうか。本書では、インターセクショナリティという新しい分析枠組みを用いることで、各地域の歴史、社会、文化のいかなる諸相が浮き彫りとなるのかを、具体的な事例をもとに学際的に検討する。ここではまずインターセクショナリティという概念が生まれた背景について素描し、つぎにこの概念に対してこれまでにどのような疑問や批判が寄せられてきたのかを論じたい。

1 キンバリー・クレンショーとインターセクショナリティ

インターセクショナリティ(交差性)とは人種、階級、ジェンダー、セクシュアリティ、国籍、世代、アビリティなどのカテゴリーがそれぞれ別個にではなく、相互に関係し、人びとの経験を形づくっていることを示す概念=分析枠組みである。その言葉を編み出し、世に知らしめたのは法学者で活動家のキンバリー・クレンショーである。クレンショーは1989年に発表した論文のなかで、フェミニストの理論と反人種差別闘争の双方の場において、黒人女性の経験が周縁化されてきたことを指摘し、人種、あるいはジェンダーといった「単一軸にもとづく分析」では黒人女性の経験の拡がりをとらえきることができないと述べた。そして黒人女性の原告の訴えに対して、裁判所がどのような判断を下してきたのかを分析し、セクシズムの判例においては白人女性の経験が、レイシズムの判例においては黒人男性の経験が基準となってきたことを示した(Crenshaw 1989; 土屋 2022)。

クレンショーがインターセクショナリティの具体的なイメージとして用いたメタファーのひとつが交差点である。四方向から車が往来する交差点で事故が発生する場合、ある方向から疾走してきた車によって引き起こされるケースもあるし、ときには全方向から交差点へ向かう車が衝突して起きる可能性もある。車の往来と社会に蔓延る差別を重ねて考えてみるとよい、とクレンショーは提案する(Crenshaw 1989)。

複数の道が交わる交差点のイメージゆえに、「人種」「性」といったカテゴリーが、互いに関係なく別個に存在し、それらが交差する場に黒人女性が位置しているという誤解を抱きやすい。しかし、クレンショーは1989年の論文と、その2年後に記した論文(1991)のなかで、抑圧を単一の争点によって区分けできるという考え方そのものが「複合的差別の複雑さ」を見えなくしている点を強調し、「人種と性による従属」を相互に補強し合うものとしてとらえている(Crenshaw 1989, 166–67; Crenshaw 1991, 1283)。クレンショーが目を向けるのは、分かち難いかたちで結びついたレイシズムとセクシズムの闘いから零れ落ちてしまう人びと(黒人女性)の〈生〉と複合的差別を見えなくする力学である。それらの力学に抗い、いかに差別と闘うための「コレクティヴな行動」を想像/創造するのかを問うたのだ。

2 「制度的な記憶喪失」に抗う――「インターセクショナリティのような思想」の歴史

インターセクショナリティという言葉を編み出したのはクレンショーだが、その言葉には、奴隷制下から現代に至るまで、黒人、女性、移民、貧困層、性的マイノリティの権利を求めて声を上げ続けた黒人女性の声が重ねられてきた。「インターセクショナリティのような思想」(Hancock 2016, 24)に注目するならば、そこにはさまざまな人びとが、その時代のコンテクストのなかで相互に形成し合う差別や不平等のあり方を問題にしてきた過程が浮かび上がる。複合的な差別を問うことはブラック・フェミニストの「特徴」であり続けた(King 1988, 43)。「黒人女性の存在を消す、あるいは再・周縁化させる」、ネオコロニアルでポスト・ブラック・フェミニスト的なインターセクショナリティ論が席巻する状況に危機感が表明されるなか、インターセクショナリティに至る歴史を忘却する「制度的な記憶喪失(アムネジア)」に抗い、どのような歴史的背景のもとでこの概念が生まれたのかを考える必要があるだろう(コリンズ&ビルゲ 2021、147)。

たとえば、黒人女性が経験する重層的な差別に目を向け、インターセクショナリティという概念の形成に大きな影響を与えた人物として知られるのが、作家で教育者、活動家のアナ・ジュリア・クーパーである。クーパーは著書『南部の声』(1892)のなかで、「今日の黒人女性は、この国で独特の立場にある。……彼女は、女性の問題と人種問題の両方に直面している。しかしどちらにおいてもまだ知られていないか、認められていない」と語り、黒人女性がアメリカ社会のなかで特有の位置に置かれていることを指摘した(Cooper 1988, 133–34;土屋 2022、230)。

1970年代以降の論考のうち、黒人女性が経験するのはレイシズム、セクシズムといった抑圧の「和」ではなく「積」であり、こうした抑圧がいかに相互に連動し合うものであるのかを明らかにした研究をいくつか紹介したい。

続き(「序章」の全文)は小会HPよりお読みいただけます。インターセクショナリティ - 東京大学出版会 (utp.or.jp)

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