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脳 No! know?/川合伸幸

ある頃から科学研究費補助金 (科研費) の審査を、この2年間を除いて毎年のように依頼されるようになりました。申請する権利がなかった京都大学霊長類研究所での研究員の2年間を除けば、日本学術振興会の特別研究員をしていた大学院生の頃から、ずっと科研費を獲得しているので、審査をするのは当然だと思っています。審査を嫌がる人もいますが、メリットもあります。依頼されるようになった頃から、自身が代表で助成されているのよりも高額の研究費の審査をすることが多く、私が後にそれらの研究費を獲得するうえで、申請書の書き方の勉強になりました。

また、その研究領域にどのような研究が申請されてくるかもわかります。実験心理学領域の審査をするときは、ほぼ心理学の研究しか応募されません。しかし、認知科学領域の審査をするときには、神経科学の申請が相当数を占めていることがあります。認知科学領域は申請が通りやすい、というデマ?が神経科学の研究者に流れたのかと思いましたが、そうではなさそうです。というのも、それぞれの審査領域で採択される割合は決まっており、学会の規模から考えて、認知科学会より神経科学会のほうが大きいので、神経科学に出すほうが採択される件数が多いからです。申請者の母集団のことを考えると心理学領域のほうが採択件数が多いはずですが、少なくとも実験心理学領域では、ほとんど神経科学の申請がありません。

認知科学講座第2巻の『心と脳』の編集を担当し、序を書いているときに、認知科学と脳研究のかかわりについて調べたところ、いろいろと腑に落ちることがありました。ポイントはふたつあります。ひとつは、認知科学の研究者は意外と脳の研究をしてこなかったこと。もうひとつは、認知神経科学は神経科学の一分野であり、認知科学ではない、ということです。

認知科学は心の働きを調べる学問領域なので、当然心を担う脳の研究をしてきた、と信じ込んでいました。わたし自身が、動物の脳切片を作ったり、脳波や近赤外線分光法で脳の活動を調べたりもしてきたので、余計にそう思い込んでいたのかもしれません。しかし、現実にはそうではありませんでした。ここで序 (「認知科学における『脳』研究の来し方行く末」川合伸幸)に書いたことを振り返ってみます。

まず認知科学を代表する研究機関である Cognitive Science Society の機関誌である「Cognitive Science」誌で、脳 (brain)という言葉がどれだけ出現したか検索してみました。この機関誌は1977年以降毎年4号ずつ発行されています。最初に「brain」という単語が出てくるのは、創刊から10年経った1987年のことでした。しかし、それは「Brain and mind」という本の書評でした。研究論文のトピックとして最初にbrainが現れたのは、発刊から15年も経過した1992年のことです。実に、60号を発刊してようやく「brain」という言葉が登場したのです。しかも、そこでは、「脳のように」と比喩表現として登場しただけで、「脳を模したモデル」や「脳の機能の再現」という、認知科学で期待されるものではありませんでした。その後も、この雑誌で「brain」という語が出ることは多くなく、ある号に掲載された論文の10パーセントを超えて「brain」という語が出たのは、特集が組まれた2001年と2014年だけでした。45年間の総論文数1950編のうち、brainを含む論文は107編、わずか5.5パーセントでした。「Cognitive Science」誌以外にも認知科学の研究は掲載されますが (たとえば「Cognition」)、他でも同じ傾向で、けっして多いとは言えません。

こうして数字にして表すと、認知科学の研究者はあまり脳に言及しない、という私の印象が裏付けられたように思います。認知科学の研究者は、「脳のことはよくわからない」という人が (少なくともわたしの周りでは) 少なくないように思います。動物のものでも人間のものでも、脳を直接触ったことのある(心理学も含めた) 認知科学の研究者はそんなに多くないようです。

認知科学講座の企画をしているときに、「脳」の巻を含めると聞いて少し嫌な予感がしました。それは、誰に執筆を依頼したらよいのか、なかなか思い当たらないからでした(あるいは、思い浮かんだ方はすでに他の巻で書くことになっていました)。「認知神経科学」(「認知脳科学」と言う人もいます)と呼ばれる研究領域があり、多くの研究者がいるから、その方に依頼すればよいと思われるでしょう。認知科学講座の他の編者もそのように考えていたようです。詳細は認知科学講座第2巻『心と脳』の序に書きましたが、Wikipediaで「cognitive neuroscience」の項を見ると、「Cognitive neuroscience is a branch of both neuroscience and psychology, overlapping with disciplines such as behavioral neuroscience, cognitive psychology, physiological psychology and affective neuroscience」と書かれています。つまり、「認知神経科学は、神経科学と心理学が、行動神経科学や認知心理学、生理心理学や感情科学の分野で重なる研究領域」であり、認知科学の一分野というわけではないのです。

このことがわかって、科研費の認知科学領域に神経科学の申請が多いことに合点が行きました。神経科学の研究者から見れば、認知神経科学は自分たちのテリトリーに含まれます。しかし、科研費の分類に「認知神経科学」はありません。いっぽう、「認知科学」と「認知神経科学」は名前がよく似ています(研究のテーマで重なることもあります)。そこで、認知神経科学の申請先として認知科学領域が選ばれるのでしょう。

海外や国内での認知神経科学の現状はこのようになっていますが、興味深いのは、最初は認知神経科学も認知科学の研究から展開しようとしていたことです。認知神経科学は流行っていて、「cognitive science」という言葉をタイトルに含む書籍は200冊以上もあります。その最初の「Handbook of cognitive neuroscience」(1984年)を見ると、ザ・認知科学というべきテーマが扱われているのです。この本はタイトルに「Handbook」とありますが、19章からなる通常の書籍と同じ構成になっています。いくつか章のタイトルを挙げると、第1章「認知科学」、第2章「文化の起源としての教育論と美学」、第3章「認知発達」、第7章「視覚情報の初期処理における計算と機構」、第17章「コンピュータメタファーの不適切さ」、第18章「演繹的思考」、第19章「形式的学習理論」などがあります。これらは、認知科学の教科書にありそうな章と言えます。どうして「認知神経科学」が「認知科学」の一翼を担うようにならなかったのかはわかりません。ただ、なんとなく認知科学の研究者の「脳嫌い」というか苦手意識が関係しているような気がします。このエッセイのタイトルは、認知科学者が脳のことを苦手(No!)と感じているらしいことを、ご存じ(know?)ですか、という意味でつけました。もちろん、とても詳しい方もおられますが、わたしもなんとなく脳の研究は敷居が高いように感じていました。

大学院生の頃は動物を相手にしていたので、正月を除いて、ほとんど毎日実験をしていました。実験の合間に、関連する論文を読むのですが、土日は研究室も静かで後輩たちの面倒も見なくてよいので、普段は読まないような論文を読むことにしていました。当時はPDFファイルなどなく、論文はすべて紙の雑誌で読むのですが、図書室で目をつぶって雑誌を抜き出し、開いたページの論文を読んでいました。わたしのいた研究室は雑誌をとにかくたくさん取ってくれていて、ほとんどの心理学系の雑誌は図書室に揃っていました。また神経科学の雑誌もある程度入っていましたが、異彩を放っていました。学術雑誌は毎年製本されて、一年でどれだけの量の論文があったかが、それぞれの冊子の背表紙の分厚さを見ればわかりました。神経科学系の雑誌は、心理学系のどの雑誌よりも分厚く、年々論文が増えていることが見て取れました。

やがて大学院を出る頃に、行動を指標とした神経科学者に必携の書となっていた『メイザーの学習と行動』を翻訳していたこともあって、いくつかの神経科学の研究室からポスドクや助手として声をかけていただきました。しかし、考えた末にどれもお断りしました。大学院を出てから、それまで向き合ってこなかった脳の勉強を始めて、それから研究を組み立て、毎年あれだけ発行される神経科学の研究論文として爪痕を残せる仕事ができるか、と考えたときに、(職を得ることを考えると) ちょっと時間がかかりすぎる、と判断したのです。それよりは、得意な行動科学の研究で斬新な研究をしたほうがよいのではないか、と考えて、チンパンジーの研究に携わることになりました(Kawai & Matsuzawa, 2000)。すでに脳の研究もしていましたが、それでも無意識のうちに、勢いがあり難しそうな神経科学に怯んでいたのかもしれません。当時のわたしと同じように認知科学の研究者、特に工学系の出身者は、非線形の振る舞いをする、複雑な構造の脳に苦手意識があるのかもしれません。

ここまで書いたような事情で、第2巻はまさに認知科学の研究をしている人ではなく、認知科学に密接に関連する研究をされている方々に執筆を依頼することになりました。その結果、『心と脳』というびっくりするくらい陳腐なタイトルの本 (2022年の6月に調べたところ、64冊もタイトルに「心と脳」を含む本がありました) にしては、想像できないくらいユニークな本になりました。


本書の書誌情報/購入ページ

第1章「知覚の神経基盤」は心理学と神経科学の重なる領域をうまくまとめており、少なくとも知覚に関する認知神経科学のことは、これを読めばわかるというような章になっています。第2章「恐怖学習と脅威検出の神経機構」は、依頼していた原稿が得られなくて、本当にギリギリになってわたしが実質3日で書いたものです。第2巻の発行が遅れたのは、そのせいです。第3章「深層学習による脳機能の解明」は、実際の脳と深層ニューラルネットワークの関係の最新の知見を描き出したものです。認知科学が人工知能と同時に発足したことを考えると、別々の道を歩んで、このようにうまく融合したと感慨深くなります。第4章「脳と社会的認知」は、認知神経科学の書籍でも取り上げられていそうですが、さまざまな発達障害を持つ人の認知を調べることで、社会性のスペクトラムから人の社会性を捉え直そうとしている点で、類書とは一線を画しています。第5章「脳─環境─認知の円環に潜む人類進化の志向的駆動力――3元ニッチ構築の相転移」は、神経科学者が自身の研究や化石データなどから、人間はなぜこのような複雑な認知をできるようになったかを本気になって考えた壮大な理論です。第6章「意識の神経基盤――クオリア構造と情報構造の関係性を圏論的に理解する」は意識という主観的な体験を、圏論の構造を用いて理解しようとする試みが描かれ、第7章「心の自然化」では、哲学者が形而上の問題として扱われてきた意識を、自然科学の俎上に載せるために必要なことを論じています。

タイトルだけ見ると、すでに持っていると思われるかもしれませんが、認知科学が脳の研究にどう取り組んでいるかがわかる、これまでにない本となっています。

文・川合伸幸(かわい・のぶゆき/名古屋大学大学院情報学研究科教授)

引用文献
・Kawai, N., & Matsuzawa, T. (2000). Numerical memory span in a chimpanzee. Nature, 403, 39-40.
・メイザー、J・M 磯博行・坂上貴之・川合伸幸(訳)(1996)。メイザーの学習と行動 二瓶社

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