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「休むこと」についての意識は変わってきたのか?/保坂 亨

学校に行かないことが不登校として「問題」だと言われるのはなぜか? そのように問う『学校と日本社会と「休むこと」』(保坂亨著)が刊行前から注目を集めています。序章の「『休むこと』についての意識は変わってきたのか?」をご参照ください。

日本社会において現在、「学校を休むこと」、そして「仕事を休むこと」についての意識が変わりつつある状況が生まれていると私は考えています。今まで日本社会は、具合が悪くてもがんばって休まないことを美徳としてきました。ところが、新型コロナウィルス感染症によるパンデミック(以下コロナ禍)によって、具合が悪いとき、例えば37.5度以上の熱があれば、休むことが求められるようになりました。こうした生活が2020年当初から続いてきたことが大きな契機になったように思います。そして、ようやく2023年5月に新型コロナウィルスもインフルエンザと同じ感染症法上5類へと移行し、パンデミック収束後の生活が始まりました。「アフターコロナ」と言われるこれからも、具合が悪いときにはきちんと「休むこと」が当たり前の社会になってほしいとの願いから本書執筆を思い立ちました。

私は、これまで学校の「欠席」にこだわり続けて調査研究(注1)をしてきたものです。それをふまえて、コロナ禍によって「学校を休むこと」についての私たちの意識が変わらざるを得ないのではないか、と考えていました。これまでの学校教育は、1日も休まないことを賞賛する皆勤賞(注2)をはじめとして「具合が悪くてもがんばって休まないこと」を奨励してきました。それが、先に述べたように一転してコロナ禍では「具合が悪いときはちゃんと休むこと」を求めるようになったからです。新型コロナウイルス感染症への対策として、発熱など具合が悪いときには会社を休むこと、そして学校を休むことが新たなルールとなりました。私はコロナ禍当初、こうした行動様式が続くのか、あるいは元に戻ってしまうのかは、私たち次第かもしれないと書き記しました(注3)。

しかし、その後コロナ禍の3年間を経験して、そう簡単には変わらない日本社会のあり様にも驚いています。例えば、私は当然なくなるだろうと考えた皆勤賞はコロナ禍でも残り続けています。新聞への投書などを見ても、皆勤賞がなくなることへの反対意見も目につきます(注4)。「休むこと」についての意識も行動も、そう簡単には変わりそうもないと考えを変え始めたところです。

一方、日本社会ではコロナ禍前から「働き方改革」が叫ばれていました。しかし、過労死・過労自殺が喫緊の課題と認識されるようになってから約30年、遅々として進まないようにも見えてしまいます。日本社会の働き方、特に長時間労働を変えるのにどうしてこれほど時間がかかるのかという疑問と、コロナ禍を経験しても「休むこと」についての意識・行動が変わらないことが私の中で結びついていきました。わかりやすく言えば、学校教育に原因があるのではないかということです。本書は、日本社会の長時間労働と学校教育の「欠席」を結びつけて考えるようになった道筋を記すことになります。

(注1) 保坂 亨『学校を欠席する子どもたち』東京大学出版会(2000年)、『“学校を休む”児童生徒の欠席と教員の休職』学事出版(2009年)、『学校を長期欠席する子どもたち』明石書店(2019年)など。

(注2) 広辞苑によれば、「皆勤」とは「一定の期間内、休日以外に一日も欠かさず出席・出勤すること」を意味する。従って、「皆勤賞」は、「一定の期間内、休日以外に一日も欠かさず出席・出勤すること」に対する賞である。加えて、それぞれの学校の規定で「遅刻、早退もなし」とする学校が多いので、遅刻や早退をしてしまうと皆勤賞にはならない。また、体育を見学したり、授業中に保健室にいったりすると皆勤賞とならないなど学校により細かい規定は異なる。さらに、欠席日数が学校の規定以内(例えば欠席3日など)であれば、皆勤賞に準ずる「精勤賞」の対象となる場合もある。なお、学校によっては「皆勤賞」と同じ意味で「精勤賞」としていることもあるが、本書ではそれも含めて「皆勤賞」と統一して使用する。

(注3) 保坂 亨(2021年)「連載『休むことをめぐって』」学事出版月刊生徒指導4月号、40-44頁。

(注4) 2023年6月29日付朝日新聞「声:皆勤賞の廃止 必要だろうか?」、同7月14日付「声:褒めて育てる 皆勤賞も大切」、同8月23日付「声:どう思いますか 皆勤賞の廃止」(6月29日及び7月24日の投書を受けて「オピニオン&フォーラム」で8人の投書が紹介された)

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