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【21世紀を照らす】『日本政治思想史十七~十九世紀』(2010年)/解題:渡辺浩

未読者 17世紀から19世紀の日本の「思想」と言えば、儒教などでしょう? ひからびた、お説教じみたものばかりなのではありませんか。

著者  とんでもありません! あの大胆な構図の浮世絵や、自由自在なストーリーと演出の歌舞伎、そして、あの洗練された美意識を生み出したのが徳川日本ですよ。人々の思考・思索だけが、退屈なつまらないものであったはずはありません。

未読者 ああ、それでは、「それなりに「近代的なもの」の「萌芽」もあって、捨てたものではなかった」とか言うのですか?

著者  いいえ! 私は「近代的なもの」を尺度にして、昔の人を採点したりはしません。歴史家は教師ではありませんし、昔の人も生徒ではない。正と負の両面において「近代」を知っているからといって、我々がえらいわけではない。数百年後の今でも名の残っている学者・思想家などは、本当に頭が鋭いです。御自分の書いた文章が数百年後にも読まれるという確信のある方以外は、謙虚に昔の人々に接するべきですよ。

未読者 でも、同時代のヨーロッパの絢爛たる哲学・思想の歴史から見ると、この小さな列島内の思想の流れは、所詮は、起伏の少ない、ささやかな小川ですよね。

著者  まず、18世紀初め頃で3千100万余という日本列島の人口は、当時のヨーロッパのどの国よりも大きい。そして、江戸の100万余という人口は、当時のロンドンやパリよりもはるかに大きい。しかも、大坂・京都という性質の違う大都市もある。つまり、徳川日本は、当時の世界標準では、高度に都市化した大国です。

未読者 そうは言っても、貧しい。

著者  産業革命が日本で自生的には起きなかったのは事実です。つまり、蒸気機関と電気の利用は日本では始まらず、その結果、19世紀になると欧米との間で経済力などでかなりの差がつきました。でも、元来、商品経済が発達し、印刷・出版も極めて盛んです。幕末に来日した欧米人は、しばしば日本人の識字率の高さと広範な読書習慣に、自国以上だと驚いています。当然、思想的な交流・論争も盛んでした。欧米とまったく異なる、それでいて精緻な思想の、劇的な歴史が展開したのです。
 しかも、そういう諸思想の交流・交錯が、徐々に徳川体制の崩壊を準備しました。さらに、「文明開化」と独特の国民国家建設という急激な大変革を導きました。徳川の世に育った人たちが、積極的に欧米の思想・制度を摂取し、独自に解釈し、進んで拡散し、実現していったのです。そのようなことが全世界で最初に起きたのが、この日本です。なぜそのようなことが起きたのか、不思議ではありませんか。その原因を知りたくありませんか。私はそれが知りたかったのです。この本は、その解答の試みでもあります。

文・渡辺浩
初出:創立70周年記念リーフレット第2弾「21世紀を照らす」(2021年8月)


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