見出し画像

『ヒト、イヌと語る』まえがきより

今月刊行の菊水健史・永澤美保 著『ヒト、イヌと語る』はすべてのイヌ好きに読んでほしい、感動の科学エッセイです。著者の一人である菊水先生が本書執筆の経緯を語っているまえがきから、一部抜粋を以下に公開します。
※小会HPで第3章のPDFも公開しています。ぜひ合わせてお読みください。https://hondana-storage.s3.amazonaws.com/131/files/63956_3.pdf

私は小さいときから田舎で育ち、周囲の環境は鳥と魚と動物、そして森であった。そこには当然のように大きな自然があり、自分がその一部であることなど、考えもせずに体に染みついていた。自然の中で、このまま死を迎えるかもという場面にも数回遭遇した。それでも気が向けば山や川へと出かけ、昼飯などは自分でとった魚を焼いて、木の実と家から持ち出したにぎり飯、という半野生生活は、都会を知らない少年に動物や植物との知恵比べをする格好のチャンスを与えてくれた。気がつけば、動物の行動の不思議にとりつかれ、大学人としての研究人生も半ばを過ぎ、終わりが見え始めた感がある。小さいときは『シートン動物記』『ファーブル昆虫記』を読みあさり、ご多分に漏れずローレンツ、ダーウィン、ダビンチの発想の大きさに感銘を受けてきた。大学時代はリチャード・ドーキンスと養老孟司に刺激を受けた。そして、動物行動学という生物研究の中の小さな一部になっていた。動物の不思議を知りたかった。それだけが出発点である。

イヌはほんとうに不思議な動物である。なにが不思議かといえば、その立ち姿から行動、表情、そしてその兼ね備えた未知なるパワー、いずれもが不思議である。肉食の四足動物、本来ならヒトの天敵でもおかしくなかったはずが、たとえばハウンド・ドッグの立ち姿はあまりにも優美であり、フレンチ・ブルドッグのそれはかわいさにあふれている。どうしてこのような多様な容姿を手に入れることができたのだろうか。地球上に存在するありとあらゆる生物の中で、イヌほど多様な種はいるまい。話しかけるとじっとこちらを見てくるし、わかったような顔さえする。飼い主の様子をうかがいながら、自分の行動を選択し、ときには飼い主を出し抜くことさえある。散歩に出ると、普段は話すこともないような人たちが挨拶してきて、一気に場が和む。イヌはどうしてそのような身につけたのだろうか。
 
(中略)
 
本書は研究者としてではなく、私がボストンにいたときに迎えたコーディーを中心に、彼の行動の背景にある進化的要因や認知機能を、飼い主の目線と、そしてイヌからの目線を妄想して記した。イヌからの目線に関しては、自分でコーディーの気持ちを書くと、あまりにも恣意的になる。そこで、コーディーをよく見て、研究の立ち上げを支援してくれた同じ研究室の永澤美保先生にお願いした。コーディーのよさはラボ内に限らず、散歩中や家の中でもたくさんあったが、研究室内の彼のイキイキとした生活ぶりを中心に記載してもらった。コーディー自身の目線からの文章を読むと、今でも彼の姿が思い出されてしまう。

朝、目を覚ますと最初にイヌとの挨拶が始まる。若いケビン=クルトは短い挨拶で、まずは部屋をあちこちと調べて、新しい朝のにおいを楽しんでいる。ケビン=クルトの母、情緒豊かなジャスミンは物陰からそれらの様子を眺め、ソファーで横になりながら、目だけで私の動きをうかがっている。ジャスミンは、私が散歩にいこうと思うその直前に、「さて私もそろそろ出番かしら」と歩み寄ってくる。たわいのない毎日のできごとである。このイヌたちも私の飼い始めたスタンダード・プードルのコーディーとアニータの孫とひ孫である。そして、みな同じような温かい視線で、愛を注いでくる。イヌとの生活はなかなかたいへんである。朝夕の散歩はもちろん、旅行に際して不在にできないし、かといってどこにいくにも一緒にいけるわけでもない。しかし、帰宅時に出迎えてくれる、あの喜びの様子、遊んでいるときのうれしそうな顔、それは一緒にいることをこのうえなく楽しく幸せな気分にさせてくれる。ヒトとイヌがともに目覚めるようになってから二万年から三万年が経とうとしている。長い共生の歴史を、その歴史の中で働いていた分子の力を、今この目の前で実感し、体感できる感動が胸を満たす、そんな朝を迎えることができる。地球で生まれた生命体が長い時間をかけて育んだ関係性、その神秘に感謝し、本書を書き上げることができた。みなさんもぜひイヌとの不思議な関係を、自分の経験と重ねながら読んでいただけると幸いである。


本書の書誌情報/購入ページ


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?