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ロシアの今 強まる監視と締め付け/小泉悠

ロシアがウクライナに対する軍事侵攻に踏み切り、現地では今もロシア軍とウクライナ軍の戦闘が続いています。ロシアの軍事・安全保障政策を専門とする小泉先生が、軍事侵攻の直前、2月5日発行の『UP』2月号に寄稿された「ロシアの今 強まる監視と締め付け」を以下で公開します。

「点」でみるロシア

「ロシアの今」といっても、これを5000字で語るのはなかなか難しい。ロシアは冥王星の表面積に匹敵する約1700万平方キロメートルの国土を有し、そこに住む人々の人種・宗教・文化も気が遠くなるほど多様であるからだ。地域ごとの差異も大きく、サンクトペテルブルグのような洗練された欧州の都市から、シベリアの真ん中に作られた核開発のための人工都市(ソ連時代には地図にさえ記載されず、現在も自由な出入りが制限された閉鎖行政領域体とされている)、どこまでも無限に続くかのようにさえ思われる広大な農業地帯、少数民族の暮らす自治地域……と様々である。したがって、これらすべてを網羅して「ロシアの今」を語ろうとすればアカシック・レコードのごとき人間離れした情報量がもとめられよう。

そこで本稿では、ロシアの政治を中心として与えられた課題に応えてみたい。社会や経済というものがおよそ人間の存在するどこにでも発生する現象であり、それゆえに「面」的な広がりを持つのに対して、政治は少し異なった発現の仕方をする。政治もまた、「人間の存在するところどこにでも」という性質を持つのは同様であるとしても、その基本的な方向性はある程度集権的に(つまり「面」でなく「点」で)決定される。特にロシアという国家の場合、それがかなりの程度までクレムリン宮殿の中にあるウラジーミル・プーチン大統領の執務室で(あるいはノヴォオガリョヴォにある同氏の公邸内で)決定されており、それがより下位の意思決定中心(連邦政府を構成する省庁等)へと降りていく。したがって、これらの「点」を巡る動きについて描くことで、「ロシアの今」についてある方向から光を当てられるのではないか、というのが本稿の目論見である。

プーチン権力のジレンマ

既に述べたように、本稿のアプローチにおいて最も重要な「点」はクレムリンに……というよりも、プーチン大統領その人にある。1999年に大統領代行、2000年に第2代ロシア連邦大統領に就任した同人は、途中で首相に退いていた期間(2008-2012年)を含めて実に22年に渡って大国ロシアの舵取りを担ってきた。これほどの長期にわたって権力を維持し続けたロシアの指導者は、ソ連時代から数えてもほとんど見当たらず、わずかにヨーシフ・スターリン書記長(在任30年間)の例があるだけである。これに次ぐのは同じくソ連時代のレオニード・ブレジネフ書記長の在任18年であったが、プーチンの在任期間はすでにそれ以上に及んでいる。

ただ、大統領就任前のロング・インタビューにおいて、プーチンが次のように述べていたことは興味深い。すなわち、西ドイツのヘルムート・コール首相は実に16年もの長期政権を誇ったが、これはいくらなんでも長すぎた。いかに安定を好むドイツ人でも、これほど長く同じ指導者の下にあれば飽きてしまう……というのが当時のプーチンの見解であった。この発言だけを見れば、プーチン自身は当初、それほど長く権力の座にあるつもりはなかったのかもしれないが、現実はそう綺麗にはいかなかった。

当初、プーチンが掲げたスローガンは「垂直的権力構造の回復」であった。ソ連崩壊後に弛緩し切った国家の構造を引き締め直し、蔓延する公的セクターでの汚職や地方有力者たちの不服従を一掃し、あるいはチェチェンでの独立闘争を鎮圧する。そのためには少々の強硬手段を用いることもやむなし、というのがプーチンの姿勢であり、混乱にうんざりしていたロシア国民もこれを概ね支持した。いうなればプーチンは、ソ連崩壊という災厄に見舞われたロシアの秩序を非常手段で回復する任務を担った戒厳司令官のような役回りを自らもって任じていたのであり、それがある程度の成功を収めたからこそ現在の圧倒的存在感を享受するに至ったと考えられよう。

問題は、プーチンが「戒厳令」を解除できなかったことである。やむなしとして導入された強硬手段は、時に不当な捜査や逮捕、場合によっては暗殺や武力行使をも含むものであった。こうなると、ひとたび権力を手放したが最後、過去の行いによる復讐をプーチンが受ける可能性は非常に高い。2024年に任期切れを控える現在のプーチンにとって、この可能性は次第に不気味な現実味を持って迫りつつある筈である。「わかっちゃいるけど辞められない」というジレンマに囚われているのが現在のプーチンだと言えるのではないか。

プーチン終身制に道を開いた憲法改正

プーチンという「点」の上で交錯するこのようなジレンマは、権威主義の広がりという形でロシア社会全体に広がっている。これを最も端的な形で示すのが、2020年7月の憲法改正であった。1993年に制定されたロシア連邦憲法では、大統領の任期を「連続2期まで」としていたが、今回の改正ではこの規定が「これまでの任期を除いて生涯2期まで」と修正され、したがって2024年の大統領選にプーチンは改めて立候補することが可能となった。2012年以降、大統領任期は1期6年とされているので、2030年の大統領選にも立候補して当選すれば、実に2036年までプーチン政権が続くことになる。この時点でプーチンは83歳になるはずであるから、事実上の終身制に道を開くものといえよう。

しかも、2020年の憲法改正キャンペーンにおいて、プーチン政権は巧妙に煙幕を張った。任期の話にはほとんど触れず、経済、教育、年金など、人々の生活に直結する領域を改善するために憲法を改正するのだというナラティブが展開されたのである。また、この憲法改正においては結婚を「男女の営み」とする規定、領土の割譲を禁止する規定、ロシアを「千年の信仰に基づく国家」とする規定(キエフ・ルーシ以来のキリスト教信仰を示唆する)など、保守的・愛国的路線が前面に打ち出された。社会のマジョリティにとって耳障りのよい内容とプーチン権力の終身化をセットで提示し、ほとんど国民的議論を経ないままにジレンマを解決しようとしたのがこのたびの憲法改正であった。

プーチンが本当に2024年以降も続投するつもりであるのか、あるいは院政や引退を目論んでいるのかははっきりしないが(憲法にはこれらのオプションを可能にするための仕掛けも盛り込まれている)、何らかの形で現在の政治指導部が権力を握り続ける布石が敷かれたことはたしかである。

「外国のエージェント」

同時に、プーチン政権は、社会に対する締め付けを顕著に強めつつある。強硬手段は社会の安定を回復するための一時的な非常手段であるという建前はもはや捨て去られ、現在の権力に対して批判的な言論そのものが目の敵にされつつあるようだ。

例えば2020年以降、一部のロシアメディアのTwitterアカウントには「当該の記述(資料)は外国のエージェントとしての役割を果たす外国のマスコミ及び(または)外国のエージェントとしての役割を果たすロシアの法人によって作成され(または)頒布されたものです」という文句が表示されるようになった。

外国から資金援助などを受けた団体はその旨を申告せねばならない、という法律(いわゆる「外国エージェント法」)にしたがってこのように書くことが義務化されているのだ。ロシア語の「エージェント(アゲント)」には「スパイ」というニュアンスが非常に強く、政権に迎合しないマスコミを外国の手先であるかのように印象付けようとする狙いは明らかであろう。2012年にこの法律が制定されて以来、プーチン政権は主に民主化NGOを標的とする嫌がらせ的な家宅捜索や罰金刑を乱発してきたが、2017年には外資の入ったマスコミにもこの規定が適用されるようになった。しかも、以上のような長ったらしいお役所的文言を書き込むとTwitterでは投稿制限いっぱいとなってしまい、肝心の記事がどんなものなのかはリンク先にしか表示されない。政権に対して批判的なメディアはこのようにしてじんわりと声を上げられないようにされつつある、というのが情報空間における「ロシアの今」である。

抑圧される「記憶」

さらに本稿執筆中の2021年12月には、市民団体「メモリアル」への弾圧が本格化した。「メモリアル」はスターリン時代の大粛清を記録するためにソ連末期に設立されたNGOであり、のちにチェチェン戦争におけるロシア軍の人権侵害の記録なども公開するようになった。それゆえに「メモリアル」は保守派から「西側の手先」などとして目の敵にされ、関係者の失踪、殺害、あからさまな不当逮捕といった事案も相次いでいる。

こうしたなかの2021年11月、ロシア連邦検察庁は「メモリアル」の解散を要求する訴訟を提起した。連邦検察庁側は、当初、「メモリアル」が「外国エージェント法」の規定を完全に遵守しておらず、出版物などにその旨明記されていないと主張した。しかし、「メモリアル」側がこれらの手続的な不備を早々に修正して罰金の支払いにも応じる姿勢を見せると、今度は「ソ連を恐怖政治国家として描き、国家の名誉を毀損している」という主張が登場する。さらに「メモリアル」の公開していた大粛清犠牲者のリストの中にナチス協力者であった人間が3人含まれていたこと(ただし300万人中の3人である)を理由として、「メモリアル」はナチスの犯罪を漂白しようとする組織であるとの主張もなされた。

いずれにしても検察側の主張はかなり苦しいように思われたが、12月29日、モスクワ地方裁判所は「メモリアル」の中核組織である人権センターの解散を命じる判決を下した。また、その少し前には、「メモリアル」人権センターの活動家としてカレリア地方での強制収容所や集団処刑の実態を調査していた歴史学者ユーリー・ドミトリエフ(児童に対する性的虐待容疑で2016年に逮捕)の刑期が延長されている。「メモリアル」と関係の深いウェブサイトも閉鎖(一部は海外サーバーに移転)ないしその危機に晒されており、2021年末はロシア政府が「メモリアル」潰しを本格化させた転機として記憶されることになろう。

萎縮する軍事専門家たち

弾圧を受けているのはマスコミや人権団体ばかりではない。筆者はロシアの軍事政策を専門としているが、こうした観点からも締め付けの強まりは日々実感される。

全体的な情報の流通量という観点から言えば、ロシアの軍事情報はソ連時代のように閉ざされているというわけではない。ロシア軍の機関紙『赤い星』はインターネットで閲覧できるし、かつては機密扱いであった軍事科学アカデミーの紀要『軍事思想』のような部内誌でさえ同様である。また、2000年代に設立されたロシア国防省のテレビ局「ズヴェズダ」は実に凝った番組を制作しており、最新鋭原潜の内部からタジキスタンの宇宙監視施設まで、日々無料でインターネット番組として閲覧することができる。どれも、かつてなら考えられなかったことだ。

他方、以上はロシア国防省が「見せたいもの」に限られていることは注意せねばならない。10年ほど前までであれば、軍事政策の方向性に関する軍内部での軋轢は普通に報じられていたし、軍の汚職やスキャンダルを暴く調査報道も行われていたが、近年ではこうした内部事情についての報道が次第に減少する傾向にある。ロシア軍の精強さをアピールする公式情報は充実していくが、その内部における実際の状況がどんどん分かりにくくなっているのである。

そのはっきりした理由は明らかでないが、政府や軍がメディアに圧力を掛けていることはおそらくたしかであろう。特に2020年7月には有名軍事記者であったイワン・サフロノフが国家反逆罪(正確な容疑は不明)で逮捕されるという事態が起きており、これ以降、軍絡みの調査報道には二の足を踏むジャーナリストが顕著に増えた。在野の軍事専門家たちも自由な議論を恐れるようになっており、筆者の個人的な知り合いの中にも「外国人とはもう話したくない」と口にする者も出てきた。

さらに2021年10月には「外国のエージェント」の具体的対象に関するFSBのリストが更新され、外国人を含めた個人であっても軍事や軍事技術に関する情報収集を行う者が該当するとされた。こうなると、外国から資金援助を受けているという「外国のエージェント」の基準はもはや無意味であり、ロシアの軍事に関心を持って調査研究を行う者はいつ言いがかりをつけられてもおかしくない。

筆者自身も、ひとりのロシア軍事研究者として、この国を訪れることは当面諦めざるをえないだろう。このように決断することはなかなかに残念でもあるし、それがロシアという国の全てではない。同時に、監視と締め付けの強まる昨今の状況も、やはり「ロシアの今」の一断面であると認めなければ不誠実であろう。せめて「ロシアの明日」がこのようでないことを祈りながら、本稿を終わりたい。

(こいずみ・ゆう ロシアの安全保障政策)

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