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【編集部による新刊紹介】田中久美子 著 『言語とフラクタル』

東京大学出版会

ボルヘスの短編「バベルの図書館」、その幻想の「図書館」には、1冊につき80字×40行で410頁の紙幅に、25のアルファベットの組み合わせで記載可能なテクストのすべてが収蔵されている、という。バベルの図書館の蔵書は厖大な数にのぼるが有限ではある。大多数は無意味な文字の羅列で占められるが、ごく稀に1冊を通して意味が通る本がある。このバベルの図書館には、人間がかつて考えたこともない真理を記した書があると考えて、調査者たちが廻廊をさまよう――

さて、このバベルの図書館の本でも、実際に私たちが持っているどんな本でもいい、1冊を抜き出し、そこに使われている「語」ごとにその数を数えてみる。すると、k番目に多い語は、最も多く出てくる語の数の、ほぼk分の1の数だけ現れる。そのこと自体は、意味が通ろうとも通るまいとも不思議なことに同じく成り立つ。実はバベルの図書館の類全体、アルファベットが25だろうと、27だろうと、128だろうと、数千だろうとも、文字の列から「語」めいた単位を見出し、「語」 について計測するならば、この性質は成り立つ。人間の言語全体、記号使用全体、バベルの図書館全体でもあまねく成り立つこの普遍的性質を「Zipf(ジップ、「シフ」とも)則」という。

George Zipfが1930年代の著作で指摘して以来、多くの同様の事例が報告されてきたが、「それがなぜであるのか」については神秘だとか、人間の効率だとか、言われてきた。本書『言語とフラクタル』は、その謎の解明に、新しい1頁を加えようとする本である。「バベルの図書館」に配架されている本の任意のどれか1冊であれば、いまやコンピュータで生成してみることができる。文字の羅列のうちには、より人間の言語に近い言語モドキで書かれたような1冊も含まれるが、それもコンピュータで生成してみることができる。これら言語モドキの1冊を、本当の言語の1冊と比較してみることにより、厖大な中から真理を記した書を探し出すことができるのではないか。Zipf則は、バベルの図書館の蔵書全てにおいて成り立つため、真理の書どころか、意味が通る本を特定する何の役にも立たない。しかし、近年明らかとなってきた、言語の別の普遍的性質を用いると、バベルの図書館で、調査者が見るべき本の候補は、大幅に狭めることができる。その性質は、書き語る人間自身も意識しない要素の相関についてであり、初出なのになぜか意味が伝わる稀少単語の使用についてでもある。このような人の言語の普遍的性質は、言語の編成にも関わるものである。普遍的性質から、「語」の単位や意味が規定され、また語と語の関わりとしての文法の特性も、その性質に一部由来する可能性がある。人間の記号使用の中にある普遍的性質の数々の先に、「言語とは何であるか」、バベルの図書館の真理の書の在り処が特定される。

真理の書の1冊に向かうために、本書では数多くのグラフが吟味される。どれもとてもシンプルでありながら、人間の言語である具体的な証拠の数々である。人間のこんなにも多様で複雑な実際の言語について、グラフはなぜか、決まった同じきれいな線を描く。ところが、蔵書の大半の文字の羅列や言語モドキのそれはよく似ながらも、どこかで綻びてしまっている。こうした検証を進めてゆく本書の記述は、論理的に厳密でありながら、まるで、バベルの図書館の調査団に加わったかのような、真理の書を求めるなぞ解きのような喜びがある。

このようにして本書が描く言語の姿とは「壊れたフラクタル」である。ここに、プログラミング言語と人間の記号使用とを対比させ、サントリー学芸賞と大川出版賞をダブル受賞した著者の前著『記号と再帰』に通底する示唆を読み取る読者も多いだろう。「壊れたフラクタル」の含意するところはぜひ本書を紐解いていただきたいが、書中に円山応挙からマレーヴィチまで多様な絵画作品をも駆使して「言語なるもの」に迫ろうとした前作同様、「壊れ」ているというそれを通じて、人間の記号が有する「構造」、そしてバベルの図書館の奥義に手が届きそうな感慨を、読者に与える。

本書は著者がほぼ同時に英語で出版した『Statistical Universals of Language-Mathematical Chance vs. Human Choice』(Springer, 2021)の日本語版に相当するが、日本語版には日本語の読者だけが読むことができる3つの章からなる「思索的考察」が付記されている。そこに到る伏線もそれ以前の章に含まれ、これらは日本語版の読者にだけ与えられた密かな醍醐味である。

――バベルの図書館の蔵書の物語を語っている「わたし」とは誰であるのか、ボルヘスの作中には書かれていない。人の考察は言語や記号に依るのでなければならず言語の外に出ることはできない。しかし「わたし」は、真理の書を求めて廻廊をさまよう調査者たちを、バベル図書館の外から、言語を外から、見つめようとする――そこには、孤独な「華やいだ」喜びがあるとして、この掌編は結ばれている。

参考文献 J. L. ボルヘス(鼓直訳)『伝奇集』(岩波文庫、1993年)

文・後藤健介(東京大学出版会編集局次長)

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書誌詳細ページ/ご購入方法


言語とフラクタル  使用の集積の中にある偶然と必然
田中 久美子 著
ISBN978-4-13-080257-4
発売日:2021年05月
A5:344頁
東京大学出版会創立70周年記念出版

【内容紹介】
「壊れたフラクタル」?――これほど複雑・多様かつ変化する人間のことばにあって,どんな時代の,どんな言語の,どんなジャンルでも成り立つという「統計的言語普遍」.現代の計算機言語学が提示する不思議を検証し,その意味を考えることから,人間の記号使用の深奥に迫ってゆく.〈東京大学出版会創立70周年記念出版〉

【主要目次】

第I部 導入
 第1章 はじめに
 第2章 普遍
 第3章 複雑系としての言語

第II部 要素の分布の特性: 開放性・稀少性
 第4章 順位頻度分布
 第5章 Zipf 則の普遍性
 第6章 派生的な冪乗則

第III部 系列の特性: 塊現象・長期記憶
 第7章 単語の出現間隔分布
 第8章 長相関
 第9章 ゆらぎ
 第10章 複雑さ

第IV部 統計的言語普遍から言語の部分構造へ
 第11章 言語要素の分節
 第12章 単語の意味・価値
 第13章 要素の大きさと頻度
 第14章 長期記憶と文法構造

第V部 統計的言語普遍と言語の数理モデル
 第15章 Zipf則に関する理論的考察
 第16章 数学的生成モデル
 第17章 言語モデル

第VI部 思索的考察
 第18章 再帰性・自己相似性と記号
 第19章 言語ゲームと稀少性
 第20章 統計的言語普遍と「構造」

結語
 第21章 結語

付記
 1 用語と記法
 2 数学的補足
 3 データ

Statistical Universals of Language:
Mathematical Chance vs. Human Choice
[Japanese Edition]
Kumiko TANAKA-ISHII

Translation from ENGLISH Language Edition:
Statistical Universals of Language
Kumiko TANAKA-ISHII
Springer International Publishing AG (2021)



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