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緊迫するガザ情勢――示唆される暗い見通し【前編】/鈴木啓之

深刻さを増すパレスチナ紛争を、どう理解すればよいのか。『蜂起<インティファーダ>――占領下のパレスチナ1967–1993』著者の鈴木啓之先生に広報誌「UP」にご寄稿いただいたコラムを公開いたします。第3弾は614号(2023年12月)掲載のコラム前半。現在の状況と背景を描く内容となっています。

2023年10月7日から、ガザ情勢が過去に例のない緊迫状態になった。ガザ地区からイスラエル南部に侵入したパレスチナの武装戦闘員によって、外国人を含めた1400人が殺害された。南部の農村部で出稼ぎをしていたタイ人や、多くはイスラエルとの二重国籍者と考えられるウクライナ人も20人から30人の規模で犠牲になっている。また、200人から250人とも言われる人々が、ガザ地区に人質として連れ去られた。多くはイスラエル人だが、一方で犠牲者や人質の国籍は、欧米と東南アジア地域を中心に20カ国を超える。アメリカやヨーロッパ諸国から素早い反応があったのは、民主主義的価値観や自衛権への支持だけではなく、自国民が犠牲になっていることを重く受け止めた結果でもある。

イスラエル社会は、過去に例を見ない大きさの衝撃を受けている。ベンヤミン・ネタニヤフ首相が、「ホロコースト以来の出来事」と繰り返し述べているのは、決して政治的パフォーマンスのみからではないだろう。当初の数日間、イスラエル軍と警察は、イスラエル領内での戦闘に注力せざるを得なかった。ガザ地区周辺での戦闘は、この半世紀ほどガザ内部でのものに限定されていた。特に2010年代に入ってからは迫撃砲やロケット弾といった飛翔物への対処が主軸になり、これには迎撃システム「アイアンドーム」があてられてきた。1000人から3000人とも言われる武装戦闘員による大量越境と民間人の殺害は、イスラエル政府も社会も想定していなかったことだろう。当初は40人ほどと報じられていたイスラエルでの犠牲者の数は、日を追うごとに遺体の確認が進み、報道のうえでは毎日死者数が増加するような感覚を社会にもたらした。10月22日時点で身元の確認が終わった遺体は1076体であり、うち市民が769人、兵士が307人と報じられている。

一方で、10月7日から燃料、飲料水、食料、電気などの搬入を認めない完全封鎖下に置かれたガザ地区では、イスラエル軍による空爆や地上部隊の展開でパレスチナ人の死傷者が増え続けている。一日あたりの死者数は、200人から500人ほどで推移している。11月4日時点でのガザ地区の死者はおよそ9500人であり、負傷者の数は2万4000人を超えた。また、飲料水や生活用水の不足による保健衛生上の懸念が、10月15日頃から相次いで国際NGOや国連機関から発信されるようになった。避難生活を送るうえでのシェルターも不足している。さらに、燃料不足も深刻である。ヨルダン川西岸地区(以下、西岸地区)の一部とガザ地区で構成されるパレスチナ暫定自治区では、電力の大半をイスラエルの電力会社から購入することで確保してきた。自治区唯一の発電所はガザ地区にあり、2014年のガザ侵攻で大きな損害を受けながらもかろうじて稼働してきた。この発電所の燃料が10月11日に尽きたことで、同日の午後2時からガザ地区では電力の供給が行われていない。病院は備蓄した燃料による自家発電に頼っているが、10月24日には12の病院と32のクリニックが電力不足と医療物資の不足で操業停止に追い込まれた。

現在の事態の深刻さを理解するうえで、参照すべきデータがある。イスラエルの人権団体「ベツェレム」は、過去にもっとも激しい衝突がイスラエルとパレスチナのあいだで起きた2000年代の死者数を公表している。2000年9月のアル=アクサー・インティファーダ発生から、イスラーム抵抗運動(ハマース)などによるイスラエル人を標的とした自爆攻撃が頻発し、イスラエル軍による西岸地区やガザ地区に対する複数回の軍事作戦が展開された頃のデータである。2000年9月から2010年9月までの10年で、イスラエル側で1083人、パレスチナ側で6371人が命を落としたという。その10年間の死者数を、今回は20日ばかりで超えている。現在のガザ情勢が、1994年の自治区設立後で最悪の事態であることは明らかだ。

ガザ地区で何が起きていたのか

イスラエルは、2005年の入植地撤去から、ガザ地区との経済的、社会的関係を絶ってきた。本誌2021年7月号で論じたように、西岸地区での分離壁の建設(2002年開始)と並行して、ガザ地区は徐々に封鎖されていった。イスラエルによってパレスチナ社会との「分離」が行われた結果である。背景にはアル=アクサー・インティファーダでの激しい衝突があった。さらに2007年6月にハマースが、パレスチナ解放機構(PLO)主流派であるファタハとの選挙後の対立からガザ地区を実効支配するに至ると、封鎖はより強化された。それから15年近く、ガザ地区では人工的な最貧状態が続き、国連や国際NGOなどが提供する人道支援が社会を支えてきた。

ガザ地区の壊滅的な経済状況を表す数字がある。国連機関やパレスチナ暫定自治政府の中央統計局が出しているデータに依拠すると、ガザ地区の失業率は2022年に47%であり、若者世代では64%に達する。また貧困ライン以下で生活する住民の割合は65%であり、住民の80%は何らかの人道的支援に頼って生活している。もちろんガザ地区にも富裕層はいるが(映画『ガザ:素顔の日常』で描かれた通りである)、圧倒的な数の住民は、難民を中心とした困窮家庭が占める。経済社会学者のサラ・ロイは、このガザ地区の経済状況を指して「de-development」と呼んだ。開発が人工的に否定されてきたのがガザ地区だと言う。ガザ地区を取り囲み、コンクリート壁とフェンス、100~200メートルほどの無人地帯を設けて封鎖を続けるイスラエルと、シナイ半島とガザ地区の往来を厳しく制限しているエジプトが、ガザ地区の困窮を生み出している。

この10月の出来事で、繰り返し問われてきた疑問がある。武装戦闘員の越境攻撃は、なぜこのタイミングで行われたのか。明確な答えは、まだ導かれていない。ただ、10月12日にハマース軍事部門イッズッディーン・カッサーム旅団の報道官が発表したビデオ声明が示唆するのは、タイミングについて問うことは生産的ではないということだろう。外部の観察者としては、第四次中東戦争勃発の翌日、しかも今年が開戦50年の節目であることが、何らかの象徴的意味を持つのではないかと考えがちである。ところが、ビデオ声明では第四次中東戦争への言及はなく、タイミングについては気象や地理的条件を考慮した結果であると手短に語られるのみだった。より重要な点は、この計画が2022年始めから立案されていたことが明らかにされ、さらにイスラエルによる占領の継続やパレスチナ人収監者の存在、エルサレムや聖域アル=アクサー・モスクが脅かされているといった、中長期的な動機が語られていることである。先ほど見たガザ地区の長年にわたる――しかもコロナ禍を経た――経済的困窮は、今回の出来事の背景として、やはり押さえておく必要があるだろう。

一方で、中東情勢全般での変化が影響していたとの指摘も多い。特にブリンケン米国務長官は、10月8日という早い段階で、「サウジアラビアとイスラエルを結びつける取り組みを妨害することが、今回の攻撃を動機づけた一つであったとしても不思議ではない」とCNNのインタビューに回答している。10月20日にはバイデン米大統領が、より直裁的に「イスラエルとサウジアラビアの関係正常化を妨害することが狙いだった」と発言した。実際、サウジアラビアはガザ地区へのイスラエルによる攻撃が継続され、アラブ世論がイスラエル非難に結集していくなか、イスラエルとの関係正常化に向けた動きを凍結したと報じられている。ただ、事態の結果と動機を結びつけるためには、より慎重な分析が必要だろう。ハマースはイスラエルでの「過激シオニスト右派」による政権参加――宗教シオニスト系政党のネタニヤフ政権への参加を指すものだろう――には言及しているものの、サウジアラビアの動きについては少なくとも明示的な言及を行っていない。今回の事態の背景を理解するためには、やはりガザ地区がこの15年ちかくにわたって置かれてきた封鎖、さらにはイスラエルとパレスチナ社会の長期にわたる歪な関係を念頭に置く必要がある。

鈴木啓之(地域研究[中東地域]、中東近現代史)

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