2024/4/16

 近況報告、というよりは、現在差し迫って問題となっている事態を言語化しておく。
 離人症とうつ状態の問題。離人症にはずっと悩まされてきた。子供の頃からずっと、何にも興味が持てない、現実感がないと言った問題に、意識的ではないにせよ苛まれてきた。最近は特にひどい。現実と夢の区別がつかない。それも何か劇的なものが現実に流れ込んでくるというよりは(それはそれで大変困った事態であるが)、現実も夢ものっぺりした白さに覆われ、そしてすべてが手許から逃れ去っていく。記憶することが何かを掴むことを意味するのであれば、全ての問題の根源は記憶力にあるのかもしれないとさえ思われてくる。
 記憶力の悪さが最近は顕著に酷い。数秒前に聞いた人の名前や会話の内容が、すっぽりと抜け落ちてしまう。こんな体たらくでは本を読むことや、講義を聴くことさえままならない。全て退屈な夢のようである。精神科医はいよいよまずいと思ったのか、いつものように僕に苛立つのではなく、厄介者に触るみたいにやけに丁寧で、嘘くさかった。
 僕は変化することを是としていた。同じところに留まっていることがつまらなかったし、見たことのないものを見ること、そして自分が見たこともないものに変わっていくことが楽しかった。しかしこれらの傾向も、記憶力の悪さによって説明がつく。全て逃れ去ってしまうということ、何も手許にとどめておけないこと、要するに蓄積することができないこと、常にゼロから始めないといけないことが、僕の理想の根底にある欠陥だったのだ。
 こんな体たらくでまともに仕事に就くことができるのだろうか、という疑念は、恐らくうつ状態によるものであろう。記憶力が悪くなるとき、決まってうつ状態であるようだ(去年の6月頃だったかと思うが、記憶力の顕著な低下が現れたのもうつ状態と並行してのことだった)。
 最近特に懸念しているのは、記憶力の悪さが事務連絡の類を処理するのに非常に大きな問題があるのではないか、そしてまた人間関係において問題が生じ(てい)るのではないか、ということである。
 離人症の問題が、これに深く関与しているように思われる。離人症は、使い慣れていない竹馬を覚束なげに上部から動かそうとする感覚に似ている。この場合、竹馬が身体や知覚に当たるのだが、僕の方では操るのに精いっぱいでそれを記憶することができない。いつも経験の一歩手前にあって、現実から何も取り出すことができないままでいる。
 どうしたらこの傾向が治るのかわからない。ともかく、治癒を願うしかない。

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