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ネガティブなもののなかの生命

日本はいつの間にか、ネガティブなものを避けるようになっていた

そんな気がするのです

優しくなりすぎて、着地点がわからないまま大人になっていく

大人も着地点のないまま今日のまま、明日が続いているように振る舞う。

いつも、ひなたに向いて、笑顔で。

満たされていて、自然なままで、そのままでよいよ、と。

ホームページのほうにずーっと前にかいた「ピアノに向かない子」という記事が未だにヒットしていて、毎日誰かが読んでくれています。それはもしかしたら、その問に返事が帰ってくる場所がないから、うちなんかみたいな地味なところへたどりつくんじゃないかな、と。落とし所のないしぼんだ思い。世の中の音楽教室のHP「楽しいレッスン」で満ち溢れていて。

今回ホームページの冒頭にこんなふうに書きました。

「音楽が荒廃するとき、人も荒廃する」

と。

逆も然り。

人が枯渇するとき、音楽もしおれていく。

物事には裏と表があって、表だけを磨いてきたのが今の日本の有りようではないかな、と思うのです。

豊かっていうのは、ネガティブなものの情報の中へも踏み込んでいって、そこにたちどまってみれる、ということが、全体性のなかで、なくてならないものを広げてくれる、そういうものだと思うのです。明るさやポジティブに振る舞うことを否定するのではなく、物事は双方に広がっていて、世界はくらがりの中にも広がっていけるし、闇の中にも世界がある。

闇の中に、投げた小石がチャポン、と、鳴って、そこに空間があること、水があることを教えてくれる。そこに埋もれている情報が浮き上がってきて、もしかしたらそこにこそ答えってあるんじゃない?

そこへ、降りていけるかな。

苦手なものからすぐ逃げたがる子どもたち。

もう一息、目を凝らしてそこをみてご覧。

そうだ、植物も根を張るところは土深い暗い場所だ。

*写真は庭に咲いたやつ、何だっけ、と忘れたときはつぶやいたら誰かおしえてくれるかなー。








愛媛の片田舎でがんばってます。いつかまた、東京やどこかの街でワークショップできる日のために、とっておきます。その日が楽しみです!