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マスクに埋もれていた目を開いて

マスクの暮らしは視界も狭くしているのかもしれない。
感覚に服を着せられている私達、子どもたち。

生徒一人をレッスンしているとき、その子が楽譜を目で追えていない、ということに気がついた。

ねね、だれとだるまとって覚えてる?
にらめっこ。
私のほう、まっすぐ向いて、あれやろう。

だれとだるまと、は幼児さんのときのあそびでにらめっこ、
変顔は一切しない。ただ、しっかりと目と目を合わせるだけ。

生徒と向き合って、
「しっかり目を開けて、顎を引いて、こっちを睨んで。」
と、いうと
いままで、マスクに埋もれてそこに目がなかったのか、というくらい、目がいきなり輝いて大きく見開いて、私もおなじようにしっかりと目を開けて、おたがい穴が空くくらいしっかりと見つめ合い、そうして、本番。

だれとだるまと
きつねとたぬき
わろたらげんこ
あぷ。

沈黙と、今ここでしっかりと出会ってるこの感じ。
生徒だけじゃない、そうだ、私もちゃんと目を開けていたのか?
こんなふうにちゃんと目の前のものを見ていたんか?

むしろ、そうだ、子どもの目を借りて、
今目を開かせてもらっているのは私のほうかもしれない。

じっとこちらを笑わずに照れずに見れた生徒の頭をなで、
ゆっくりとしかできないドローイングをやって、
今度はしっかりと音を追う練習。
(これは深めるコースの記事にしよう。)

感覚は誰のものでもない、自分自身のものなのに、
ときにどこかに置いてけぼりになってしまうものでもあったのね。

乾いていたなにかが潤い始める。

ふたたび、ピアノの前に座った生徒に
今あらためて、楽譜を見てピアノを弾く前に
少しきつく
ちゃんと見ること、ちゃんと聞くことを注意する。

生徒は準備ができている、とばかりに、
おう、と、弾き始めた。

今度は楽譜から目がそれない。

ほらーだからさー、君楽譜ちゃんと理解はしてるんだよね。
ちゃんと読めばいいだけじゃないか?今みたいに。
というと、そーなんよねー。もう楽勝やん。
と、嬉しそうだった。

次にきた生徒にも同じ傾向が見られ、同じようにやってみた。
うわ、おおきな目!人の目ってこんなにものいうものだったか。
その子は帰る前に、大きな声で「毎日れんしゅうする !」と嬉しそうに言い残して帰って行った。

ちゃんとみなさい、ちゃんとききなさい、
じゃ、何も伝えたことにはならない。

感覚がよみがえってきたら、自然、音は耳に入るし、みたいものが見れる。
感覚が蘇る、って、うれしいことだし、うんと能動的になれる。

感覚が奪われがちな、この時代だから、
こうやって、時々掘り起こしてみておこう。







愛媛の片田舎でがんばってます。いつかまた、東京やどこかの街でワークショップできる日のために、とっておきます。その日が楽しみです!