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オンライン・マザーズ

わたしがまだ血だらけの母で
我が子が赤子だった頃
恐る恐る 乳を含ませ
噛まれる痛みと吸われる不快は感じながらも捨て置いて
目を瞑り ちいさな口を懸命に動かす生き物の温もりに
この子を 守らなくてはならないと 一層強く 腹を決め
体から ごくごくと 力が抜けて行くことにおのの
守れるだろうか 育てられるだろうかと
泣きそうな焦りに 身をやつしていた

その頃スマホがあったなら
わたしは片腕に赤子をのせて
片手でスマホを持ったろう
無力な愛し子の今と未来を
より輝かしく安全なものにするために
調べ 尋ね 読みふけり
世界とつながろうとしただろう
なかなかうまく飲みません、なかなか体重が増えません、
炊飯器や給湯器のメロディでびっくりして泣きすぎて吐きます、
眠っていても外を通る車のエンジン音で起きて泣き出します、
どうしたらいいのでしょう、どうしてなのでしょう、
この子は生きていけるのでしょうか、
この子はうまくやって行けるのでしょうか、
この子を世界は受け入れてくれるのでしょうか、
誰か、誰か、教えてください、と
スマホで世界に問いかけただろう

現実には 手のひらにそんな扉を持たず
雨戸もカーテンもしめきった薄暗い部屋で
わたしは壁一枚隔てた向こうの昼の社会に思いを馳せて
暮らして幾らか 歳をとり
どうにかこうにか愛し子と生き延び
生き延び
生き延び
ここに居る

あの頃 スマホがあったなら
わたしは孤独でなかったろう
思い悩んで吐くことも
しかめっ面をすることも
きっと少なくて済んだろう
子どもに より合う環境を
足を休めて目で探し
ちゃんと診てくれる小児科も
立て看板ではなく検索し
見つけることができたろう

あの頃の 育児日記を引っ張り出せば
震える筆跡で真っ黒な、記録、記録、悩み、悩み
かくも孤独に戦っていたかと
我が事ながらしんみりする

いま
見渡せば そこかしこ
乳児を抱く母たちの片手にスマホを介した世界
あのように 繋がれた 彼女たちにはおめでとう
しかばねのわたしは安堵する
孤立の減るのを望んでいる
知識も想いもあの扉から
直接 脳に流れ込んでくるから
片腕に赤子をいだき
乳から根こそぎ力を吸われ
多忙と寝不足に病めるすべての母たちの
片手にスマホのあらんことを祈っている

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