11月26日 神戸理化学研究所 研修
先日の産学官共創学習ゼミでご講演をいただいた辻孝先生のご厚意で、デリゼミ生数名が神戸にある辻先生の研究室の見学をさせていただきました。
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先週のゼミの続き 辻先生のキャリアについて
先日のゼミだけでは語りきれなかった辻先生の波乱万丈な人生についてのお話をお聞きしました。ただその時に何をしただけでなく、そこから何を学んだのかを教えていただき、とても価値のあるお話でした。
学生時代 研究と塾経営
辻先生は新潟大学の理学部に入学されました。学生時代は研究にハマり、ひたすら研究に打ち込んだ生活を送っていました。大学の講義はつまらなかったが、研究はとにかく楽しかったそうです。そしてただ研究を楽しむだけでなく、自分が研究で得たものを誰から見ても分かるような実績にするために、学生時代から論文の執筆を行なっていました。研究者にとって論文はその為人を表すと辻先生は言います。本当にその研究に興味があって論文を書いたのか、教授の研究を手伝わされただけなのか、その人がどうやって論文の書き方を学んだのか、論文に対する審美眼がある人から見ればすぐ分かるそうです。こういった論文に対する姿勢は修士の時に指導に当たった教授から学んだそうです。この時の教授は非常に教育熱心な方で、論文の書き方や研究に対する基本的な姿勢を徹底的に叩き込まれたそうです。そんな地道な修行があったからこそ、研究の基礎を固めることができ研究者としてのキャリアのスタートラインに立つことができました。
また研究の傍ら、自ら学習塾を立ち上げて経営も行なっていました。学生時代に優秀な能力を持っているけど仕事がないいわゆるワーキングプアーといった方が困っている姿を見てそれなら自分で塾を作れば良いと思い至り、学習塾を立ち上げました。そこで雇われる立場でなく、雇う側の立場の大変さを学んだと言います。この時の経験が今のオーガンテックの経営に役立っていることも多いそうです。辻先生は学生時代に色々と行動すること、アカデミアの世界に行きたい人は研究の基礎を身につけることが大切だとおっしゃっていました。
製薬会社での研究 民間企業を知る
大学卒業後は製薬会社で研究員を務めました。大学に残って研究するという選択肢もあったそうですが、一度民間企業を知ることが大切であると考えたためこのような選択をとったそうです。辻先生の経験上、内部構造や人間関係、所属している人間のレベルといった、その組織がどんな組織なのかは大体3年で分かると言います。大学の研究とは異なり、企業での研究は既にテーマが決められている受動的な研究でした。そのような研究に面白みを感じることができず、辞めたいと思うことはたくさんあったのですが、最低でも3年は続けないと企業のことが何も分からないと思い、3年間務め続けました。そしてその後辻先生は退職され、博士課程への道へと進みました。このとりあえず3年間やってみるという姿勢はやりたいことがコロコロ変わってしまいまだ自分の軸がブレブレの自分に刺さりました。
博士課程 挫折を経験
製薬会社を退職後、肝臓細胞の増殖因子であるHGFの研究の第一人者であった中村敏一先生がいる九州大学の博士後期課程に進みました。周りはずっと大学で研究を続けてきた学生が多い中、社会人経験のある辻先生は研究室の実務や他学部の研究室との連携といった役割を担当するようになり、その功績が認められて中村先生から肝細胞の増殖を抑える調節因子という重要な研究を任せられ、2年目に発見、一流科学雑誌に論文が掲載されました。しかし期待が高まった分、その後は中村先生のより高いレベルの要求に応えることができず、博士号の習得ができず失意の中で九州大学を去る結果になってしまいました。その後出身大学の新潟大学に戻り、血を作る幹となる細胞である造血幹細胞の研究をすることになりました。骨髄を模した環境で細胞が様々な血液の細胞を作るのをひたすた観察する中で、生命活動の原点を感じ、再生医療をライフワークにすることに繋がったといいます。そして博士号を獲得し、造血幹細胞の研究をしていたJTに就職することになりました。
JT時代 突然の研究打ち切り
博士課程で研究していたテーマである造血幹細胞の研究ができるということで就職した辻先生ですが、またしても悲劇に襲われます。突然造血幹細胞の研究が打ち切られ、別の研究に回されることになったのです。もともと造血幹細胞の研究は白血病の治療薬開発のために進められていたのですが、薬品による感染リスクを恐れた上層部の判断でした。前回の製薬会社と同様、民間企業での研究の限界を感じ、この経験が起業することにつながったといいます。
大学教員時代
JTを退職後、東京理科大学の助教授に就任しました。当時に助教授になるためには40本くらい論文を書くことが必要でしたが、辻先生はその半分以下である18本で助教授になれました。それは大学時代から博士課程にかけて論文を書く力が鍛えられ、論文1本あたりの質が高かったからだといいます。論文が為人を表すという哲学がここでも役立ったのです。
そしてここでオーガンテックの代表取締役を務め、研究に励んでいる小川先生と出会いました。当時学生だった小川先生は辻先生の最先端の研究や洗練された授業スタイルに惹かれ、辻先生の研究室に入りました。そこで辻先生からみっちり研究の基礎を叩き込まれたそうです。毎日とても辛かったけど、そのお陰で今のオーガンテックがあると小川先生は言います。
ベンチャー設立 器官原基法を確立
2008年に今の会社の前身であるオーガンテクノロジーズを設立しました。設立に至ったポイントは2つ。1つ目は歯の再生に成功したことです。再生医療を志した際には臓器の再生を目指していましたが、難易度が高い上に倫理的な問題も孕むため、まずは体表面に近く、生死に直接影響しにくい毛や歯の再生を目指すことにしました。当時は歯の発生に関する知識が皆無であった辻先生は歯学部の教授に相談し、知識を蓄えていきました。意見交換を重ねるうちに、器官の基となる原基細胞を人工的に成長させれば歯を人工的に発生させることができると確信したのです。歯学部の教授に最初この話をした際には全く理解されなかったのですが、実際に歯の培養に成功してからは掌返しで歯学部の大きな学会に特別講師として呼ばれるまでになったといいます。この瞬間はとても気持ちよかったといいます。
最初に適度な刺激を与え、後は遺伝子に組み込まれた設計図を元に成長させる、まさに人間の技術と神秘的な生命力の融合こそがこの器官原基法の原理なのです。そして実際に歯の再生に成功し、歯の次には毛、唾液腺、涙腺と次々に成功させていきました。この素晴らしいアイデアをストックしておくための箱として会社を設立しました。
2つ目はエンジェル投資家との出会いでした。大塚化学の社長である戸部さんは辻先生の情熱と勢いに感銘を受け、古い体制の会社に新しい風を吹かせるためにはこのような情熱的な研究者を支援しないわけにはいかないと感じたそうです。その結果、大塚化学から資金援助をいただき、研究開発に集中することができました。戸部さんのすごいところは辻先生の研究に何も口出しをしないことです、一般的な投資家は投資に対するリターンを得るために、成果の出やすい研究をさせたり、研究を急かしたりするものですが、戸部さんは何一つ口出しせず、辻先生が元気で研究しているかどうかだけを見守ってくれたのです。このような人に出会えたのはやはり辻先生の人柄の良さと研究への情熱だと思います。
理化学研究所 2つの悲劇
2014年に故笹井先生の誘いで理化学研究所へ移りました。決め手になったのは若手が基礎研究を担い、シニアがその応用をするという笹井先生の理念に共感したことでした。幼い頃から理研の自由な雰囲気に憧れていた辻先生にとってはこの上ないお誘いでした。しかし、そんな辻先生をまたしても大きな悲劇が襲います。STAP細胞の捏造疑惑による責任問題として笹井先生が自ら命を絶つという事件がありました。理研に移転しこれから頑張って行こうという矢先の出来事でした。失意の中、それでも笹井先生から託された産学連携のミッションを果たすべく、辻先生は奔走しました。ずっとアカデミアの世界を生きてきた研究者が多い中、辻先生は民間企業で働いた経験を活かし、研究者と企業の橋渡し役として活躍しました。
理研での研究も順調に進み、大塚化学の戸部さんの個人的な支援も受けながらいよいよ臨床試験に移るという時期に差し掛かった時、コロナの不況に襲われました。完璧な研究計画が整い、後はスポンサーを集めるだけといった状態でコロナに襲われて、スポンサーから1円も集めることができず、研究が継続できないという事態に陥ってしまいました。
そして2023年オーガンテックの代表取締役の近藤嵩さんと出会います。近藤さんは敏腕の経営者であり、オーガンテックの素晴らしい研究を企業に分かりやすくプレゼンし、多くの企業からの資金を集めてきました。コロナ禍の時と研究内容は全く同じにもかかわらず、近藤さんが加わってから豊富な資金援助を得ることができました。なぜ近藤さんがこのように多くの企業から支援をいただけるかというと、辻先生の研究を論文を読んできちんと理解していることです。経営者や投資家はあまり理系の論文が読めず、なかなか理解できない人が多い中、近藤さんはきちんと辻先生の論文を読み、理念まで理解しているからこそ、投資家にオーガンテックの魅力を伝えることができているのです。次回のデリゼミ(2023年12月11日)では近藤さんにご講演いただく予定です。参加希望の方は下記のリンクをご参照ください。
辻先生のキャリアにおいて、ピンチに陥った時はいつも素晴らしい仲間に出会っています。この辻先生のキャリアが、まさに情熱が優秀な人に伝播し動かすということを体現していると感じました。
研究室見学
一通り辻先生のお話を聞いた後は、研究室を見学させていただきました。研究室というと様々な物が散乱していて汚い研究室を想像しがちですが、辻先生の研究室はとても綺麗に整理されている上に、細部にまでこだわったデザインでおしゃれな空間でした。メンバーが新しいアイデアを考えついたり、気持ちよく研究に集中できたりするような環境を意識して研究室をデザインされたとおっしゃっていました。ここで私も研究したいと思えるような魅力的な空間が広がっていました。
また最先端の顕微鏡で時間軸を含めた4次元撮影を行い、細胞がどのように増殖していくのかという研究もしていました。細胞別に綺麗に色分けしてマッピングするプログラムが組み込まれ、とても興味深かったです。
実験体験
研究室見学の途中に実際にラボでしている実験の体験をさせていただきました。まずは小川先生の要領の良い操作の見本を見せていただき、メンバー全員が挑戦しました。顕微鏡を覗きながらピペットマンで幹細胞を吸って培養液に移すという体験をさせていただきました。私はピペットマンを使った実験は大学で何回かしたことはありましたが、顕微鏡を覗きながら使ったのは初めてで、繊細な動きが要求されてとても難しかったです。
この繊細さを要求される操作ができる小川先生をはじめとした研究者がいるからこそ、オーガンテックの画期的なアイデアを実現させていることがわかりました。
その仕事ぶりはまさに匠と呼べるようなものであり、この高い技術力が日本の研究が世界と戦っていく中で重要な鍵になるのではないかと感じました。
若者へのメッセージ
研究室を一通り見学させていただき、小川先生や近藤さんと昼食を食べた後、最後にまた辻先生のお話をお聞きしました。私が特に感銘を受けた内容を2つ書かせていただきます。
10年後のなりたい自分像から逆算する
辻先生の研究が成果を出す秘訣は徹底的な計画を立てることだと感じました。まずは10年後のなりたい自分像をなるべく明確に考える。Natureに幹細胞の記事を掲載されたい、神経細胞のin vitroの培養を成功させたいなど、このビジョンがきちんと考えられないとふわふわした人生を送ってしまい、成功することができません。まだ学生で将来像が決まっていない場合は、優秀な人にたくさん会ってみて、こういう大人になりたいという像を形成していくのが良いと教えていただきました。
そしてその10年後の自分像に到達するために3年後までに論文を10本書く、5年後に自分の研究室をもつといった計画を立てる。そしてその計画のボトルネックを見つけ、その計画が上手くいかなかった時にどうするかの迂回路を可能な限り考える。この迂回路の考察が甘いと計画は崩れてしまいます。高学歴で仕事のないワーキングプアーの人はこの迂回路を十分に考えられていない結果、仕事が見つからない状態になっているといいます。ポスドクになれなかったらどうするか?別の大学で探すか?生計を立てる術はどうするのか?といったことを事前に考えることが足りていないからそのようになってしまう。非常に納得のいく説明です。なりたい自分を真剣に目指すからこそ、別の手段も考えておく、一つのことを極めることと視野狭窄は別問題であることを学びました。
そして立てた計画を今度は1週間単位で常に見つめ直す。計画は計画通り進むことの方が少ないため、随時修正していく必要があります。この修正作業を怠ると計画倒れになってしまうのです。辻先生はこの一連の計画をエクセルできちんと管理していたそうです。辻先生の成功の裏にはこのような緻密な計画があったことを知り、自分も計画を立てるための自分像探しに積極的に動いていきたいと思いました。
俺はバカだから
これだけ成功している辻先生ですが、お話の途中に何回も「俺はバカだから」という発言をされていました。バカだからこそ人一倍時間をかけたり、計画を綿密に立てるといった行動に移したといいます。努力することは当たり前、結果を出すことが一番大切。この謙虚さと勤勉さも成功の秘訣だと感じました。
このような貴重な機会をいただき本当にありがとうございました。今回学んだことを活かし、実際に行動に移すことが一番の恩返しだと思います。今後の私たちの活動を温かい目で見守っていただけると幸いです。
文責 副代表
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