(読書記録)大人は泣かないと思っていた
「大人は泣かないと思っていた」集英社(2021 寺地はるな)を読んで
今じゃないんだな
母が育児の合間に、と大好きな小説を貸してくれた。
最初のページを開いてみたはいいものの、数日間、なかなか読む気分になれなかった。
これは、本の面白さなどに関わらず、「今じゃないな」という時が時々あって、その時は読まないで閉じることにしている。
なぜなら、「いまかも!」ってときに読むと、本当にその時必要な言葉がするする沁みるように、わたしのなかに入ってくることが分かっているから。
とらわれていたものから、1gでも自由になれる
本を読むぞとなったら、2日くらい熱中して読みきるまでやめられない。この本は、その熱がとても強かった。
男だから、女だから、という価値観に私はとらわれていないと思い込んでいた。
でも、子供ができて、自分の中の常識人が「こうあるべき、こうあるべき」と事あるごとにうるさく主張してくる。結婚して二人でいるときは、あまりそんな風に思わなかったのに。
「母はいつもこうしていたよ」
「あなたも同じようにやった方がいいよ」
誰からもそんなことを要求されていないのに、私の中でそんな声がする。
そしてそれは、私を苦しくさせる。
でもその声は、消えることはない。
この本は、いや寺地はるなさんは、そんな声を優しく撫でて、ふんわりとそこから自由になれる景色をチラッと見せてくれる。
男の人が読んでも、女の人が読んでも、きっと1gでも重りがとれると思います。
私が自由になりたいこと
主人公たちはかなり田舎文化の濃く残った地域に暮らしていて、年代による価値観の違いや、多くの人が当たり前と思っている常識から自分達のやり方で、正直に寄り添ったり反発したり、ちょうど良い距離を模索したりしています。
私は幸運なことに誰からもそういった「こうあるべき」を押し付けられる環境にはいませんが、私自身の「こうあるべき」から自由になりたい。
具体的には、
家事のできないことを責めること
収入のない自分を恥じること
いつも子供に笑顔でいなきゃと思うこと
かなり正直に書いてしまって恥ずかしいけれど、正直に書かないと後で読み返したとき、自分のためになるように書いておきました。
いまわたしは、「母ってこうあるべき」という価値観と向き合わないといけない状況にきています。
特に、働いていない母って、どうあるのが心地よい状態なんだろうとよく考えます。
「何者でもない自分になる」
この言葉は去年まで所属していたオンラインサロンで、主婦ってなんなんだろうと、皆で話し合ったときに出会った言葉ですが、当時わたしは子供が生まれたばかりで、この言葉を自分事として向き合えてなかったように思います。
でもまた、この言葉と向き合うときがきています。
「母としてどういう状態が心地よいか」は、
「役割をとっぱらった、何でもない素っ裸の自分自身をどういう風に受け止めるか」ということと正面から向かい合えば、自然とわかるような気がします。
母でも主婦でもない、素っ裸の私。
正直今はその私を大事だ!!!!抱き締めたい!!と思えない。
ナオちゃんはこの言葉にであうために、サロンにいたんだとわかったと話していたけれど、裸ん坊の自分を抱き締めることができたんだろうか。
できたんだろう。いまも、抱き締めているんだろう。
そして、それはきっとたくさん自分自身と対話して、仲良くなったんだろうな。
自信がありそうでないわたし。
普通に暗いとこある、わたし。
生真面目すぎる、わたし。
バナナの皮をむくように、わたしを一枚、一枚と剥いてジー~っと観察するときがきたようです。
ゆっくりやろう、わたし。
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