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20231129 架け橋

先日リリースライブ函館編をした

なんだか、ライブの前の数日眠りが浅かったりと、不思議な感覚だったけれど、ふわっとしているのに、心と体は調和していて、いままででいちばん気持ちよく歌えた2日間のライブだった。

高校の時から尊敬してた久保勝大と、リリースイベントが出来たのも心強かったし、会場に並んだ久保の作品からは確かにそこに生きたちからが宿っていて、空間全体がパワースポットとなっていた。

いつもコーヒーを淹れさせてもらっている、庶暮書房や晴耕雨読でできたのも、安心してリラックスして歌えたように思う。お店のふたりには本当に感謝しきれないほどサポートして頂いた。

言葉にしたらかっこ悪いけど
本当に生きててよかったなと心から感じた
タイミングだった

作品を世に出すこと
人に聴いてもらうこと
怖い気持ちがものすごくあったけど
わたしがただ気持ちよく歌えば
歌を聴きに来てくれた人たちも
キラキラして帰っていって下さった

ものすごく胸いっぱい
身体いっぱいにエネルギーが湧いて
それが溢れ出して
またあたらしいうたがうまれる

いままでも感じたことが
あったかもしれないけど
久しぶりだったのもあるし
新しく切り替わったからか
それをたっぷり受けとったなぁと
まだあたたかさに包まれている

コーヒーの仕事も学童の仕事も好きだけれど
この感覚は歌でしか生まれないんだなと
やっぱり歌が歌いたいなと思った


今回、久保と沢山話す時間があって、出会った高校の時から、これまでの事を色々話をして、やっぱり、生きる姿勢を尊敬できる、信頼出来る人だなぁと思った。ものすごく真っ直ぐであったかい。子どものような純真なパワーが作品に出ている。

その話の中で、わたしがこれから歌っていきたいこと、わたしはどうありたいのか見つめることが出来た気がする。


今ぼんやり思っているのは
わたしは架け橋になりたいなということ

サリンジャーだったら
キャッチャーインザライ
ライ麦畑で遊ぶ子ども達
崖から落ちていってしまいそうな子たちを
キャッチするキャッチャーになりたいと
言っていたけれど

たぶん同じようなことなんだと思うけれど
わたしは架け橋になりたい

まとも世界と
まともってなんだろうな世界とを
繋ぐ架け橋になりたい

どちらを否定するでもなく
行ったり来たりして迷う人が
嫌になって落っこちてしまう前に
そっと抱きしめて
手を振って見送る橋になりたい
ふとした時にかかる虹みたいな

ミヒャエル・エンデの
はてしない物語だったら
アイゥオーラおばさまの家のような

いままでも、自分の友達関係や、恋愛関係をふり帰った時に、あぁ、わたしって架け橋だな、と思うタイミングが何度もあった。仲の良かった友達を別のグループの輪に入っていくのを見送ったり。親友が私の好きだった人と付き合ったのを眺めていたり。付き合ってた人が元カノとよりを戻して結婚したり。仲の良かった人が大きな舞台に進んでいったり。

いつだって結局ひとりぼっちで切ないし、ちょっと寂しかったりもしたけれど、それでもいつだって行ってらっしゃいと手を振るような気持ちだったなぁと。いまは、それがわたしの役目だったんだなぁと感じている。前までは強がっていたけど、今は強がりとかではなく、なんか納得してしまったというか。

もっと広々とこの胸に溢れてる温かいものを届けていくためにはそれがぴったりな気がする

道を歩けば
ちいさな妖精たちが声をかけてきて
教えてくれる
歌になっていく
歌を歌っていれば
さらにどんどん溢れていく
だからわたしはきっと大丈夫
わたしがわたしでいれば大丈夫だから
架け橋になろうと思う


ずっと、自分の中の使命ってなんだろうと思っていたけれど、ようやく見えたなぁという感覚

見つかると、どんどんうたいたいことが溢れてくる

月曜日の満月の夜にひとつ
またあたらしいうたが出来た

まだまだ生きていたいと
歌っていたいと
あふれている

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