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20240527 満月感

たくさんの変化があった5月
そして色々溢れ出すような
満月感が満載だった最近

先日30歳になった。

30歳になる前日、どんな20代でしたか?と聞かれた。すぐに言葉がでてこなかった。ちょっと言葉を探してでてきたのが「面白かったです」だった。
う〜ん。山あり谷あり揺らぎまくりな20代だったなぁと。なかなか一言ではあらわしきれないし、感覚的にはいつももがき苦しんでいた気がするな、という感じ。でもそれって自分にしかわからない感覚で、わかってもらおうとしなくていい感覚なんだなぁと最近感じるようになった。

結構ブログにも赤裸々に書いてきてしまったなぁとも思うけれど、ブログに書ける時って、少しどん底から抜け出してきた感じの時で。リアルなその時々の出来事や気持ち達は、今でもはっきり思い出す瞬間があって、自分だけが知ってる尊い日々だったなぁと思う。前ほど、深々と落ち込んで、消えてしまいたくなることが減ってきた今だからこそ、尊かったと思える。それを味わっていたのといないのでは、違うわたしになっていたのだろうなぁと。宝物だなぁ。

そして今になって、面白い20代だったなぁと面白がれたのは、ずっしりしていたものがふっと軽くなった気がして。なんだか良かったなぁと思った。


学童の仕事を今月いっぱいで辞める。

気がつけば3年働いていた職場。社会人になってから仕事は1年くらいしか続かず転々としていたので、いちばん長い。最初は週に3、4日と少ない勤務だったけれど、だんだん増えてほとんどフルのような感じで働くようになっていた。

旭川から森町に引っ越しをして仕事を探していた時に、声をかけてもらって働き出した。その時はまだ心身ともに絶好調ではなく、リハビリな感じだったので少しずつだったが、子どもたちのエネルギーに圧倒されながらも、気がつけば元気をもらってだいぶタフに動けるようになっているわたしがいた。

音楽との両立も応援してくれる職場で、休みも自由に取らせていただいたりと、本当に至れり尽くせり。人間関係も、あたたかい人情あふれる人ばかりだし、やってみたいことをどんどん挑戦できる環境だったので、いろんなことを経験させてもらった。去年は資格も取って、研修に行かせてもらった。キャンプを企画したり、お祭りをやってみたりと子どもたちと一緒にいろんなことを経験させてもらった一年だった。

子どもたちともようやく信頼関係ができてきて心を開いて関われるようになってきたなぁと思ってきたところ。人と関わることに疲れ気味だったわたしも子どもとならまっすぐ向き合える瞬間もあったなぁと思う。

ずっと学校の先生になりたいと思って教育大に入ったけれど、その時の自分は教員に希望を持てず諦めた。それでも子どもと関わることはしたいと思っていたので、学童保育という学校の放課後やおやすみの日に自由な時間を一緒に過ごせる場で子どもたちに出会えて本当によかったなぁ、大変なこともたくさんあったけど、楽しかったなぁと思った。

本当は、去年くらいから環境を変えて自分で何かに挑戦してみたいと思い始めていて、いついなくなるかわからないですと職場のみなさんにも伝えていたのだけれど、子どもたちをもう少し見ていたいなぁという気持ちで辞める決心がつかないままだった。

だけど、"30歳になったら自分にできることで生きる"みたいなことを5年くらい前のノートに書いていたのを最近発見し、ちょうど流れもきてる感じがしたので、あぁ 、今なんだと思った。さみしいけれど、おかげさまで一歩踏み出せるなあと思う。


波紋珈琲を正式にやってみることにした。

3年くらい前から気まぐれな感じではじめた間借り喫茶。去年の春から波紋珈琲として函館の宝来町のギンザ162というお店で月に何度かやらせていただいていた。最初はイベントでコーヒーを淹れるという感じだったけれど、少しずつたまに会うお客さんや初めましての方も増え楽しくなってきて、カレーもはじめたりとものすごくマイペースにやってきた。

たまにお客さんから、将来お店を持ちたいとかあるんですか?と聞かれても、う〜んそこまではまだ考えてないです。と答えていたけれど、だんだんとお店をやるのもいいかな〜面白いな〜と思ってきた。
お店の店主のおふたりが寛大で力を貸してくださったり、自由にやらせてくださったりしたのも、今思えば本当に頭が上がらないなぁと思う。

今年の4月、5月と試しにほぼ毎週末やってみることにして、カレーも色々試行錯誤でいろんなカレーを作ってみたりした。

何よりも、自分でお店をやってみるのは誰にも文句が言えないというところがすごくいいなぁと思った。全て自分次第。雇われていたり、集団の中にいると、それだけの人が関わればどんなにいい環境でも何かの文句って出てくる。文句が言えるって、楽だけど、文句を言うだけじゃ何も解決しないんだよなぁ、と言う気持ちがどこの職場で働いていてもずっと前からあった。愚痴ばっかりのおばちゃんにはならないようにしようと心に決めていた。

自分でやるのは、責任が全て自分だから、文句を言えない。全部自分次第で良くも悪くもなっていく。それが、大変だけど、やりがいもあって、面白いなぁと思った。

仕事をやめて、生活していけるが心配もあったし迷ったけど、でもきっとなるようになるなぁと思った。たくさんのお金がなくても心地よく暮らせるとここ数年で身についた。大体のものは自分で作れたりするし、本当にいいと思ったものだけ買うようになった。そして、自分の生み出したことでいただくお金ってすごくありがたみがあって、大事に使おうと無駄遣いをすることがほとんどなくなったなぁと思う。

波紋珈琲を初めてよかったのは、力が抜けた状態って気持ちがいいなぁと気が付けたこと。
その状態の方がいろんなことが心地よく進んでいくと体感した。

コーヒーは、落ち込んでいた時にコーヒー屋に勤めていたのと、せめて自分を保つためにも毎朝コーヒーを自分で淹れて飲むくらいは続けないとと思い、訓練のような感じで習慣になったこと。

カレーも、元気がなかった時に食べた友達のカレーが美味しくてお腹の底から元気が出て、その時からスパイスカレーに目覚めて作りはじめたのがきっかけだった。毎週カレーを飽きずに作っていた。今も家で作るのもほぼカレー。ほかの料理はほぼ作らないので料理上手ではないけど、カレーは好きなので追求できる。

お菓子作りはもっともっと前から好きで、小学生くらいの時からたくさん作っては配っていたのを思い出す。高校の時は大量のアイシングクッキーを焼いて、何かの時には配ってたなぁ。(友達に配りたい癖はきっとばあちゃんの遺伝)
学童のオヤツ作りで何十人分ものおやつを毎週考えて作ったのもとてもいい経験だったなぁ。


意識はしていなかったけれど、自分の日常というか、そばにあった習慣の延長が今の波紋珈琲に繋がっていた。

この感覚のまま、力は抜けた心地よい感じで、その時のできることをやっていけたらいいな、とわくわくしている。

音楽は、ずっと迷っていた。

ライブのお誘いをいただいても、先のことがわからずお断りしてばかり。新しい歌ができないと進めないなぁと思いながらも、なかなか向き合うことができずに時間が過ぎていった。

でも最近、コーヒーを飲みにきてくれた先輩から「自分がやることはすべて表現なんだから、コーヒーと音楽を分けて考えなくてもいいんじゃない?」と言ってもらって、すごくホッとした。モヤモヤが晴れたような。

喫茶でコーヒーやカレーを食べてもらうのって、”今の自分”を届けられるなぁと感じていた。その時の、いちばん!をお客さんに届ける。自分が美味しいと思うものを作って、食べてもらう。食器など、お店で使うものも自分が気に入ったものたち。言葉ではないけれど、別の感覚で伝わる表現の仕方ができる。だから面白いなぁと思っていた。

音楽は、少し"今の自分"と届ける時の自分で時差が生まれてしまう。曲を作った時のいちばんホットな温度がいちばん美味しいのだけれど、ライブで歌おうをした頃には自分的には冷めてしまったり。リリースをした時はホットでも、時間が経てば今の自分とは違うなぁと思ってしまったりする。それを割り切ってできたらいいのだけれどできない性分なので、自分の納得できる形を今探していたところだった。

今の目標は、いろんな曲をたくさん産んでみて、その中で冷めてもおいしい曲を見つけること。
あとは、すべて即興でやっても良い感じになるくらいの自分の状態を保つこと。

全部が冷めてしまうわけではなく、今でも歌いたいなと思える曲もいくつかあるからそんな曲を増やしていきたいし、すぐに旬がすぎる歌も、その時はすごく良かったりするから、結局はどれも大事なのだとはおもう。

今までは迷いながら泣きながら書いていたことも、少し自分なりに見つけたこととして深呼吸の状態で歌えそうな気がしてきている。

先日、音楽活動始めた頃の自分と同じような年の若者にあった。とっても上手で、そしてとっても透明だった。あの頃の自分もそうだったかもしれない。

だけどきっといつか、壁にぶつかる時が来るんだろうなぁとキラキラした目を見てぼんやり思った。キラキラした時に応援してくれる人ってたくさんいる。たくさんいたんだ。若い希望にこちらまで元気をもらえるから。だけど、どん底の時見守ってくれる人ってぐっと減って、心細かったのを思い出した。そりゃそうなのはしかたないのだけど、あぁ、明るい自分がみんなは好きで、暗い自分は求められていないんだという気持ちになった。

20代半ば、どん底の時にいた時、自分を励ますように思っていたのは、もしこの苦しさを乗り越えられたら、いつか同じようにひとりどん底で戦っている人に寄り添える日が来るかもしれないと思っていた。暗さも肯定してあげられるようなことをやりたいと。

前に、カフェのマスターに自分の使命は何かと聞かれたことがあって、その時は思いをまとめて答えられなかったけれど、そういう人に寄り添えるような表現をすることと今なら答えるかもしれない。

自分が体験したことを糧にするのがきっと生きることだ。体験をしてないことを無い物ねだりしたって何にもならずもがき苦しむだけ。自分の歩いてきた道で拾った宝物を使ってどんどん前に進む。それだけなんだなぁと今なら。

行動はすべて表現
うたも、波紋珈琲も、暮らしもすべてつながる
まだまだ迷いながらだけれど
ずいぶん前よりも生きやすくなった

30代はじまりの目標は浮遊感

地に足をつけることが大事だ!と思い込んでいたけれど、ちょっと浮かんでるくらいの方が重くならなくていいなと今は思っている。放っておけば、すぐ重たくなりがちだから、ふわっとしていたいな〜

三十路ロードゴーゴー

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