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深呼吸2021夏

どどどどっと落ち着いて考える間もなく
駆け抜けた2021まえだの夏を越えて
ズーンと落ち込む時期がやってきてました。

果たしてこのままでいいんだろうかと、
今の自分のことこれからのこと、
考え直す(途方に暮れる)時間から
一歩足を出した気がするので
久々にブログを書きます。

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今年の夏は久しぶりにハードだった。
(上の写真はまだ余裕があった7月中頃、、)


函館に来て学童保育でバイトを始めて、初めての夏休み。普段は放課後だけ子どもたちを預かるところを、夏休みは一日中預かるので仕事もフルになる。普段の倍くらい子どもたちと関わる時間が増えた夏。

2年前に札幌住んで体調崩した時以来がっつり働いたので、正直体力は最初ついていかず、帰ってきたら気絶だった。(去年はコロナで全然カフェバイト仕事なかったしな…)夜ご飯を作る元気もなく何食べてたのかも記憶にない。(でも毎日身体動かしてたのでそれなりに健康)それくらい、子どもたちのエネルギーはすごい。そして、今年の函館の夏はめちゃ暑かった。毎日水遊び、川遊び、お日様を浴びて過ごした。

長い時間子どもと過ごすと、普段見えなかった内面が見えたり、ちょっと心開いてくれたり、学校通ってる時よりも夏休みの方が生き生きしてる子もいたり、ひとりひとりのちょっとした成長が見られたりして、とってもやりがいだった。今までやってきたバイトとはまた違う。わたしも夢中になって、一緒に過ごしながら働いている。

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カフェや、コールセンターや、事務の仕事は、
やらされてる感みたいなのが強かった気がする。もちろん、やりがいはあったし、それぞれの仕事で考えながら学びながら働いて居たけれど、基本は与えられたことをやればOKだったもんなぁ(むしろそれ以上のことするといろいろ言われることもあったな…)

学童は、子どもたちひとりひとりと向き合う、生身の人間相手の仕事なので、いつも自分次第だった。

何を言うか、どう反応するか、
子どもは敏感だから常に神経を使う。

楽しくて、大変で、
心身ともにパワーのいる仕事だった。
あと、ちょっとなめてた。。。笑

普段は音楽もあるからシフト配慮してもらってて、フルじゃないのだけど、夏休み働いてみて
フルで働いてる人ってすごいな、と思った。
学校の先生も、保育園や幼稚園の先生も、お父ちゃんもお母ちゃんもみんなすごいよ。
子どもと普段関わって生活してる人。
本当にすごいわ。。。

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(蛇と目があった日)

***

音楽の方はといえば、
8月21日に『立葵』というイベントをやった。
先輩のアーティストいめうとかさんと一緒に
絵とうたのコラボイベント。

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こちらは、もうずっと半年くらい考えて準備してきてた日で、とっても楽しみに大切に作ってきたイベントだった。

いめうとかさんが絵を描いて、
わたしがうたを作る。

いめうとかさんの絵の展示の中で、
わたしがライブをする。

『立葵』を通していろんなことと向き合った時間だった。

この状況なので一気にお客さんたくさんは入れないので2部制にしてイベントをやった。函館も少し状況があやしくなってきていて、宣言が出るか出ないか・・・みたいな時期にギリギリの開催。ちょっと心苦しい気持ちと、それでもきてくれる人がいる感謝の気持ちと複雑な気持ちで。楽しかったのに喜びきれないのだ。

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いめうとかさんと一緒に装飾も作って、グッズも作って、いいイベントにライブにしたいけど、でもこの状況でイベントをやるってのはものすごく悩んだ。わたしにとっては、自分のワンマンライブ級のライブの中で、今までで一番心も時間も込めて準備した物だったのだ。なんといってもいめうとかさんの絵のパワーはすごい。わたしも何度も奮い立たされて、何度も磨きなおした。

(曲はここで少し聴けるよ)

実施できてよかった!
いいイベントになってよかった!
と大きな達成感でやり切ったのだけど。
複雑な気持ちも胸から離れなかった。

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これだけのものが作れたんだから、本当はなんの気掛かりもなくたくさんの人に来て欲しかったし、チケット代も安くしてオープンにして開かれたイベントにしたかったなとか。

本当にありがたいことに今回、今までお世話になった先輩とかがたくさん見に来てくれた。その中には、もうすぐ赤ちゃん生まれる妊婦さん夫婦とかもいて。後から、その赤ちゃんが無事生まれたよ!って連絡きてほっとしたけど、その時ものすごく怖くなった。

いくら気をつけていても、人が集まる場所は
コロナになる可能性はゼロじゃない。

友達とか知り合いでも、コロナになって生活がめちゃくちゃになっている人がいて、仕事が止まったり、家族や周りの人に負担がかかったり、体調が前のように戻らなかったり、あぁ 、ただ事じゃないなってわかっているのに、
そこまでのリスク背負って、今ライブするべきだったんだろうかと、終わってから胸が痛い。

2週間経って、感染者は出てないのでそれはよかったけど。。(赤ちゃん無事元気で産まれて本当に良かった。。。)

でも、だからよかったね〜と
言い切れる状況じゃないんだ。

いろんなライブイベント、
あちこちで中止や延期になっていて
わたしも楽しみにしていた出演予定の
イベントは3つなくなった。
(発表前のも含めて)

仕方のないことだと思う。
でも、仕方がないじゃ済まされない。

わたしはまだアルバイトと音楽と2本柱で生活してるけど、(それでも結構ギリギリで厳しいけど)お店をやってる人とか、音楽一本で食べてる人とか、仕事がなくなっている人がたくさんいる。そう考えたら、果てしなく苦しい気持ちになった。

イベントをやるのも心苦しいし
イベントをやらないのも心苦しい

正解がないね

音楽関係者じゃない職場の人に話を聞いたら、今はライブとかは怖くて行けないよね(行きたいけど)って言ってた。それが世間一般の意見だって思った。

音楽や芸術、生の感動を日常として生活してきたわたしたちにはライブができない、行けないっていうのは大問題だけど、そうじゃない人もたくさんいる。

生じゃなくたって、サブスクやCDやYouTubeやいろんなので、音楽はいつでも聴けるもんね。

イベントだけにかかわらず、
飲食店に行く、行かないもだし
外食に行く、行かないもだし。

会いたい人に会う、会わないもだし。

日々、選択が個人に委ねられていて
その度に心を痛めていると考えると
今ものすごく緊急事態だよ。
物凄いストレスだもん。
(緊急事態宣言とか関係なくてもね)

そしてそれがいつまで続くのか先が見えない。

緊急事態宣言は伸びそうだし、
このままだと何度も
同じことの繰り返しのような気がする。

人の動きが減って、増えて、
感染者も減って、増えて、
ワクチンがどれくらい機能するか、
まだ希望はゼロじゃないけれど。
(わたしも今月末うけるけど)

SNS特にツイッターはなんだか意見と意見のぶつかり合いだらけで、もちろんぶつからないと本当のことが見えてこないこともあるから大事なことなんだと思うけれど、それでも情報に疲れてしまう。人と人が争わずに、ウイルスと上手に付き合えるような道はないのだろうか。ずっと考えてる。

***

そんなことをぐるぐる考えていたら途方に暮れてしまっていた。

このままじゃわたしも先が危ういので、学童のバイトじゃなく、フルでしっかり稼げる仕事につく方が賢明なのだろうかとか、でもそれだとわたしの性格や今の体調やキャパ的にしんどくなって、音楽をストップしなきゃ行けないなとか。今の学童の子どもたちもう少し見守ってたいなとか。だったら、掛け持ちで仕事増やそうかなとか。今の家から職場通うの往復2時間弱で大変だから引っ越そうかなとか。それ以前にわたしは音楽続ける必要もないんじゃないかとか、今まで音楽を理由にしていろんなこと判断してきたけど、それが間違いだったのかとか、どんどん落ち込みました。いやいや、もうどん底。

なので、少し自然に相談しに行ってきました。
わたしはよく落ち込んだら、(中学生くらいから)海とかに行くんだけど。

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自然はいいよね。本当に何にも言わないんだ。ただただ広くて美しい。それだけなのに、それが全てで、いろんなことを教えてくれる。

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わたしは、ただ好きで歌ってて、今でも続いてて、時には歌うために、他のこと犠牲にしたりしたこともあったけど、でもそれがわたしの道で、わたしの自然なのだなぁ。と思った。

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音楽をやめるとか、そういうの、ちょっと違うな。諦める必要もないもんな。声と心があればいつでもどこでも歌えるんだから。

何度も、思い出すのに、何度も忘れるんだ。
いろんな不自然に囲まれていると。人間。。。

飛生芸術祭たまたまタイミングがあって、
毎年行きたかったけど行けずにいたので、
導かれるかのように向かってた。
休みが合って、即決してた。

白老の、田舎の小さな町の、森の中に、小さな校舎と森。


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その中にはいろんなアートがあった。
自然の中にアートがあるってものすごくいいね。

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アートは人間が作った人工物なんだけど、
でも自然に溶け込むのは
アートも自然なんだなと思った。

芸術はきっと自然なんだ。
だってわたしも歌ってる時、
丸裸みたいな気持ちだもんな。
必要もないのに必然のように歌ってるし。

自然を思い出すための、
自然になるための歌やアート、
芸術なんだなぁと思った。
(わたしにとっては)

先が見えなくて、自分の音楽の必要性まで考えてしまうくらい途方に暮れていたけれど、ものすごく大事な根っこの部分思い出させてもらった気持ち。

森の中で、子どもたちがうたを歌っている映像が流れていたのだけど、もうそれが胸に刺さった。地球だ。と思った。

わたしもこんな気持ちになるために、歌ってたんだったなって思い出した。向かう方向というか、自分にとって大事なもの。

いつのまにか、
だったらどうしようかって考えてた。


だからさ、やっぱり芸術はすごいよ。
人の力はすごいよ。本当に。
コロナだしやめよっか!と
もし誰も動いていなかったら、
わたしは救われてなかった。

たくさんの努力と苦労に
本当に感謝だ。。。


そう、奈良美智さん、
わたしファンなんだけど、
飛生に自然といた。
ねんどで作品作ってた。

青森の美術館に行って奈良さんの作品に感動したこととか伝えたいことも浮かんだのだけど、あまりにも奈良さんが飛生に溶け込んでて奈良美智としてというよりも、ひとりの人間としてそこにいて。

廊下ですれ違った時会釈して、カフェでコーヒー飲んでた時もドキドキしたけど、なんだか、あまりにも自然だったので、勝手に嬉しくなって話しかけなかった。

奈良さんの絵に引き込まれる訳がなんとなく分かったなぁ。

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今回は洞爺湖で車で寝て、飛生に行って帰ってきたけど、行きと帰りじゃだいぶ心持ちが違った。わたし自分で自分の魂生き返る術知っててよかったねと思った。

先が見えないのは変わらないし
何をするにもまだ息苦しいけどもさ

でも自分の内側には関係なかったのだ実は
わたしのこころもたましいも
わたしだけのものだし
どう感じていてもどう表現しても自由

それは、どんな時でもおんなじなのだ。

だったら何をしようかって、
もう答えはひとつで。

曲作ろう、作品作ろう。だった。
歌もギターも磨きたい。
運転してて歌いたいこと降ってきたので
何度か車を止めて書き留めた。

わたしこんなこと思って生きてるんだけど
まだまだ全然表現しきれてないんです!
のままでは死ねないのだ。ほんまに。

まだまだまだまだやれるのだ。
何度でも越えられるし、
何度でも新しくなれる。

そう思えるうちはずっと歌っていよう。

その作品を通して、
誰かと分かり合えたら嬉しいな
それが今の目標にしよう。

ゼロから次のアルバムを作っていこう。

空っぽの元気じゃ何にも満たせないから。
そしてすぐにバレるから。

元気が湧かない時は
元気なふりしないでとことん落ち込もうね。
どん底まで落ちたら後は上がってくるだけ

ふとさ
峠を走ってると
このまま崖から落ちたら
死んでしまうなぁとか
絶対痛いし苦しいなぁとか
できれば苦しい思いしないで
死にたいなぁとか思う。

でもさ
苦しい思いをしないと
生き返れないんだもん
嫌になっちゃうけど

その痛みを受け止めてまで
死ぬことを選んでる人もいる
生きることを選んでる人もいる

もう遠い話じゃないんだよ
いつだって隣り合わせで。

できればわたしも生きるから、
まわりにいる友達家族犬猫みんな
元気で生きていて欲しいなと思う

また、重くて長いブログ書いたけど
でも本当にそう思っているよ

今しんどいけど、みんなしんどい。

歌なんかなんの意味もないけど
歌だから届くこともある
がんばるよわたし

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