見出し画像

犬という形をした愛。


犬、それは愛。

ふとタイムラインで流れてきた言葉。
「犬っていうものの正体は“犬という形をした愛”なんです。」
糸井重里さんの言葉だった。

ちいさい頃から犬が飼いたかった。ただ弟が動物の毛のアレルギーということで泣く泣く飼えず。
兄と家の2階で壁をぶち抜いて飼えるんじゃないか?と考えたことを思い出す。

そのまま全く犬と関わらないまま大人になり、「犬を飼いたい」という気持ちはなくなり、むしろ接し方が分からず吠えられたこともあり、いつの間にか苦手になっていた。

「接し方が分からない」という意味では赤子も私は同じ感覚を持っている。犬や赤子に対してカワイイ〜!と黄色い声を出して近づく人たちをすごいなぁと遠くから見つめるような可愛げのない女になってしまっていた。

そんな私が30を超えて犬を飼うことになった。
夫が東京から地方に転勤になったタイミングでまず「これは犬を飼うタイミングではないか???」と真っ先に思った。
縁もゆかりもない地方なのでもちろん友達もいない。孤独まっしぐら。その孤独を埋めるためというと聞こえは悪いが、直感的に思ったのだった。

そしてペット可の物件に引越し。しばらくして妊娠発覚。からの流産。
人生で一番辛かったかもしれない。大切な命が育たなかったという喪失感。
私は大好きな夫と何かを育てたり、愛でたりしたかったのだと気づいた。

そこからは早かった。ブリーダーサイトでミニチュアシュナウザーで検索し、しっかり迎えられるかどうか夫婦で話し合い、1ヶ月後には迎えていた。
幸い私はフルリモートの在宅勤務。この条件がなければ迎え入れる勇気はなかったかもしれない。

改めて書くと衝動的な気もするが、この愛しい存在がいない世界があったことがもう考えられない。

犬を飼うのははじめてなので、最初の夜鳴きや噛み癖など苦戦したが、9ヶ月経った今は全てが可愛くて仕方ない。

リードに繋いで散歩するなんて人間のエゴじゃないかな?我が家に来て君は幸せかな?ドッグランは怖くない?何をしてる時は一番楽しい?在宅ワーク中は背中を向けて無視してる形でごめんね。


先日初めて犬が体調を崩した。明らかに元気がなくぐったりしている。
日曜日でも空いている動物病院に駆け込んで血液検査をしてもらった。結果が分かるまで気が気じゃなかった。体内で炎症を起こしていたという結果で、点滴を打ってすぐ帰ることができた。今はすっかり元通りになっている。よかった。


少しの体調不良でこんなに胸が苦しくなるほど辛いなんて、お別れの時はどうなってしまうんだろうと考えてしまう。
この前猫を看取った人の繊細すぎる描写のnoteを読んだ。泣きすぎて目がぱんぱんになってしまった。
動物を飼った人はどうしても切り離せない問題だと思う。

「犬っていうものの正体は“犬という形をした愛”なんです。」
この言葉を見て、しっくりきた。本当に愛のかたまりなんだよな。過去とか未来とか関係なくて、いま目の前のことしか見てなくて、真っ直ぐに愛情を向けてくれる。

いつかお別れする日がきても、この愛と過ごした日は私の人生でスペシャルな日々になるだろうな。

ずっと大好きだよ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?