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ドイツ歌曲の楽しみ Freude am Lied㊾

生のコンサートでは“今まさにここで生まれる音楽”を共有していただける喜びがあります。その時間を1曲1曲切り取って“今まさに”のひとかけらでもお届けできたら!とお送りするドイツ歌曲の楽しみ Freude am Lied…

49曲目もプフィッツナー♬…ひとかけら、届くかな?

ハンス・プフィッツナーHans Pfitzner(1869-1949)作曲
捨てられた娘Das verlassene Mägdlein Op.30-2

                 ソプラノ 川田亜希子 ピアノ 松井 理恵

朝未だき雄鶏が鳴くころ
星が消える前
私はかまどの前に立って
火をおこさなくてはならない

燃える火の美しいこと
火花がぱちぱち飛んでいる
私はそれに見入る
悲しみに沈みながら

そのとき不意に思いおこされるのは
不実なあの人のこと
夜に夢見た
あなたのこと

すると涙があとからあとから
ぽろぽろとこぼれ落ち…
こうして夜が明けてゆく
ああ 夜なんて明けなければいいのに!

 ドイツの詩人メーリケEduard Mörike(1804-1875)による詩。ヴォルフHugo Wolfの付曲で有名な詩。

 カロン、カロンと冷たく響くピアノの音は、季節が冬だとしたら、桶に張る氷の音でしょうか? ピンっと張りつめた空気の中、一人の女中の姿が台所に見えます。かまどに火を入れるなど毎朝のことです。動作は感情無く自動的に行っているはず… ただこの日の炎はいつもと違って見えたのです。
 ピアノの前奏の音を模倣したメロディで歌声部は訥々と始まります。「まだこんなに早い時間なのに」とつぶやいているようです。続く「火をおこさなければならないmuss ich…」は恨み言をいっているように、にじり寄るようにじわりとした上行形で歌われます。次の節ではピアノパートの三連符に炎の揺らめきが聞こえます。炎が手招きをしているようです。炎にじっと見入るところはFの音の連続で平らに歌われます。ググっと意識が炎に引きつけられているのです。次の瞬間、刺すようにある感情が襲います。夕べの夢にでてきた、彼女を捨てた不実な男treuloser Knabeのことを思い出したのです。見開いた瞳からぼたぼたと涙がこぼれる様が一小節の短い間奏で描かれます。涙越しの炎の揺らめき(ピアノの三連符)は外の空が白み始めるのと同時に収まっていきます。ピアノの右手に単独で響くDのオクターブのアルペジオは台所に差した一筋の光です。彼女にとって耐えがたい一日の始まりです、だって夜だったらまた夢で彼に会えるかもしれないのだから!「ああ、昼など来なければいいのに!O ging er wieder!」と嘆きます。心の慟哭はこだまのように後奏に響いて消えていきます。
 歌っていても聴いていても、心が痛くなる曲です。面識もないのに、彼女を捨てた不実な男treuloser Knabeが憎らしくなるくらい、引き込まれてしまいます。こうして辛いことも、そして幸せなことも追体験nachvollziehenできるのがドイツ歌曲の醍醐味! たまらない世界です。


以前プフィッツナーの歌曲を歌ったときの解説から少し抜き出してみました↓ 鑑賞の参考になさってくださいませ。

ハンス・プフィッツナー Hans Pfitzner (1869-1949)

 ドイツの作曲家(モスクワ生まれだが1872年にはドイツに家族で移住)。“20世紀のロマン主義”の代表とされるプフィッツナーは、モダニズムを徹底して嫌い、政治的にも文化的にも保守主義者を押し通そうとした。そのあまりに反動的な言動から、プフィッツナーはボイコット運動をおこされるなど、生涯にわたってアウトサイダーとしての人生を送った。その一方で、ワーグ ナーの流れを汲み、戦前においては非常に高く評価され、彼の音楽協会が設立され、彼のための音楽週間が開催され、また各種の勲章を受けるなど、非常に高い評価を受けてもいた。
 ドイツの作家トーマス・マンはプフィッツナーの作品について「私が昔から知りつくして深い親しみを感じているもの」と述べているが、これこそ、プフィッツナーが創作の中で求めて止まなかったロマン主義にほかならなかった。彼の歌曲は穏やかで淡々とした、聴くほどに味わいが増す渋い作品ぞろいである。
 人間プフィッツナーの真ん中を貫いていた「ドイツ精神」について語るとき、ともするとナチスとの関係に焦点をあてられてしまう。しかし彼が第一にしていたものは、ベートーヴェンに始まりワーグナーへと至るドイツ音楽の歴史であって、ナチズムとは無縁であったことは明らかだ。こうして純粋な音楽に、様々な歴史的事情が上塗りされてしまうことが何よりも悲しい。



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