うたとおどり
昔、インドで修行していた時、【覚醒状態】がマックスになった瞬間があった。
世界は素晴らしかった。
喜びに満ちていた。
どんな人をも、動物も植物も、見えない微生物たちも、愛しい存在だった。
光であり
自も他も完璧な存在でしかなかった。
その張り裂けそうなマックスな状態になった時、
私の奥から出てきた、世界に働きかけたい抑えがたい非常に強い衝動は
「ねえ、みんな、うたおうよ、おどろうよ❣️
このからだまるごと、ひびきにふるわせ、とびはね、まわろうよ❣️
せかいにみずからのひかりをわかちあおうよ❣️」
あの瞬間のことはよく覚えている。
私は魂の乗り物の、この身体というツールを使って世界に話しかけ、世界と溶け合いたい、と思った。
それは、プロもアマもスキルも経験も、全く関係ない。
うたとおどりは人類の基本の「き」なのだ、と感覚で理解した。
音楽の本質の伝え手である堀江秀一先生に
自宅にお越しいただいてのグループや個人での声楽レッスンを始めて一年近く経つのだろうか。
先生は欲もなく、ぽんと、呼ばれた場所に降りたってピアノに触れる。
私は繊細な芸術の入り口に招かれた。
初めはこれまで全く接することがなかった音楽の真実に「ポカン」とすることももちろんあった。
その中で、歌に関するこれまでの思い込みがどんどん外れていって
私の当時得た確信は深まるばかりなのである。
「響の本質」とは
「声の本質」とは
すべて真理に通じる
声を通して自分の本質に触れた時の「悦び」は
何にも変え難い。
そこに到達したら
もう「ごまかし」はできないのだ。
声は人生とリンクする。
先生のレッスンを通じて
大切な領域に、触れたような、触れないような、触れた、と思ったら遠ざかる
この繰り返しの中で
ようやく、おぼろげながら、掴みつつあるような
そんなこの頃です。
歌えない人も踊れない人もいない
もし、歌えない、踊れない、としたら
大切な何かを忘れているだけ
ここに存在する、ただの歓びだけに
なりたい
いや
なれる
毎月、月末の土日が定期的なレッスンなのですが
ワタクシは場所を提供している特典で、皆さんの歌が聴くことができる。
どんな方の歌声も、それはとてもとても、優美です。
皆さんの響きはこの土地を癒す、世界を癒す、人を癒す
わたしたちが全員がそんな存在である、ということを
みんなで思い出していくことをやっていきます。
歌声響く美しい街角を夢に。
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