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岩手県コロナ感染者数ゼロの謎に迫る!

岩手県ではいまだにコロナの感染者数がゼロ!
諸説ありますが、ワタクシなりの見解です。

実は岩手県は私の故郷。
と言っても、実際に住んだのは盛岡市に0〜3歳と久慈市に小学校3年〜6年まで。
あとは実家に帰ったりお墓参りに行く場所として岩手県が機能しておりましたが、
年齢を経るごとに「岩手県人の特殊性」に気づいて来ました。
「当たり前」と認識して来たことが実にかなり特殊だった!と。
その特殊性がコロナ・ゼロと繋がるのではないかと仮説を立ててみました。

あるTV番組で都道府県別の実験がされていた記憶があります。
道を歩いている人が持ってる袋からリンゴがゴロゴロ落ちる。
道に迷った人が通りがかりの人に尋ねる。
その町に住む人がどのような反応を示すか?という「やらせ実験」
岩手県での実験では、周囲のみんなが一生懸命にリンゴを拾う。
道を聞かれたらその場所まで歩いて最後まで案内する。
そう、困った人がいたら知らん顔などしない、
岩手の人たちは実に「善良」「世話好き」なのです。

エレベーターに乗ると「何階ですか?」は普通です。
お互いに手助けし合う、というのは当たり前。
その代わりに「人の迷惑をかける」ことにも非常に敏感だと思います。
「人に迷惑をかけるくらいなら死んだ方がマシだ!」という岩手県民の陰の雄叫びが聞こえてくるかのようです。

そして、岩手県人といえば、「宮沢賢治」
私の祖母が近所に住み、「けんつぁん」と呼んでいましたので、まさかこんなに偉人とは知りませんでした。
一説によると、賢治は死ぬまで童貞で、性欲がたまると畑で黙々とクワを振るったと言います。(ガセネタでしたらすみませんが、十分有り得るお話です)
「黙ってる」「我慢」は当たり前を通り越して、普通すぎること。
「主張する、目立つ、何かを疑う」そんなことは岩手県人の辞書にはありません。
「言われたことをただひたすら黙々と守る」
手を洗えと言われれば洗い、マスクしろと言われたらマスク、言われたことに逆らうなどは岩手県人の辞書にはないのでは?と推測します。

私の両親は岩手出身でしたが、二人とも善良そのものでした。
引越しの時、運送会社のトラックが何かに乗り上げて壊してしまい、父が弁償する、と言い出しました。引越し会社の方が「お客さん、そんなことするの馬鹿ですよ、こっちで保険入ってるから大丈夫です」と言って苦笑してました。
また、母は粗大ゴミを捨てに行った際、それが欲しいと言って来た見知らぬ図々しそうなおばさんに「家まで持って行ってあげましょうか」などと言って私の度肝を抜きました。
近所の方が足の悪い母のために、玄関先まで雪かきをしてくださってました。
人を疑わない正直さや責任感が一般レベルより高いような気がします。

また岩手県は日本のチベット、と言われ、辺鄙な土地、田舎、遅れている、という意味ですが、逆に今は「聖地」ではないかと感じます。
岩手は交通の便も悪く、「中央の魔の手」が入りにくい状況だったせいもあり、何かが温存されているのでしょう。

都市伝説的には、都会から引っ越したばかりの方が原因不明の火事で亡くなって「岩手焼き討ち説」なども出ていましたね。
岩手県人にも実は裏と表があるのかもしれません・・・・。

いずれにせよ、「岩手県からは一生、感染者は出ないだろう」とすら思います。
県知事が「感染者を責めません」という見解を出しましたが、それでも出ないような気がするのです。

ぶっちゃけ、そもそもコロナのエネルギーと合わないというか?

とにかくメチャメチャ、謎な岩手。
仮説は立ててみましたが、謎は謎のままでも良いのかもしれません。

写真は私の産土神社の「櫻山神社」
なかなか素敵な社ですよ。

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