発情は愛情であった
チバU子です。
数年前からアメブロに「笛裸 千応子」(ふえらちおこ)として性愛やパートナーシップについて記事を書いてきました。
ワタクシのお相手は「萬光斎 舐太郎」(まんこうさい なめたろう)さん。
2016年より共に日々、心や性の探究などに勤しんで参りました。
相変わらずパートナーとは濃厚接触の日々です。
というか、人生に濃厚接触以外に何かあるのでしょうか。
コロナの疫病流行により、
いよいよ、「正解がない世の中」になってまいりました。
人それぞれの正解を考えて生きるしかない。
正解とは普遍的な正解ではなく「その人の愛を生きる」ことです。
自粛が愛という人と自粛しないことが愛という人がいる。
マスクが愛という人もいれば、マスクしないが愛という人もいる。
ワタクシも自分の愛を自問自答しながら、愛を生きています。
さて「発情が愛情である」とは最近、降りて来た言葉です。
若い頃のワタクシには発情は迷惑なもの、男性のグイグイな発情は迷惑で、ともすれば自分が犠牲になってしまうもの、自分の女性としての発情も手に負えない、発情はエゴ、だと認識してしていました。
けれど、今は何だか「発情」は愛しい。
そもそも発情とは植物が実を結び種を落とすような行為、何かを生み出すエネルギーの元になっている。ですから、自らの発情を見落とさないで発情を向ける相手との交流を丁寧に大事にしていただきたいです。
あらゆる現象が自分から発するもので変化を遂げる。
男性も女性も、性の場面において傷を受ける事は多々ありワタクシも例外ではなかったと思います。DVも体験しました。
けれどこの舐太郎さんとの数年間でその傷はいつしか癒されていきました。
「男の傷は男で癒す」「女の傷は女で癒す」しかないと真剣に取り組んできた結果です。
ワタクシだって怖かった。泣きたかった。
けれど、どんなことでもただ与えられはしない。
どんな形にしろ、エネルギーをかけたものが報われる。
夢を見ます。
男性は愛おしく美しい女性を抱き、その女性は男性の愛に守られて心ゆくまで満たされています。
世界中のどこにいても美しい愛の形を見ることができるよう。
子供たちはその愛の姿を見て育ちます。
これまでの経済の在り方は破綻する。
そこで家族の形態も教育も変わっていく。
真の幸せは何か問いかけながら個々に変化を遂げていく時。
素敵なあなたに捧げます。
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