小説:プネウマ
EP5 イリ
海岸沿いに女が立っていた。
女は何をするわけでもなく、目の前に広がる海を眺めていた。
女は深く深呼吸をし、海に向かって歩きだす。そしてその姿は、海の中に消えていった。
沈んでいく海の中で女は瞳を開き、空を見上げる。太陽の光が差し込み幻想の中にいるような綺麗な青の世界の中で女は呟く。
「ああ、やっと……」
女は微笑み、そっと瞳を閉じる。
やがて、女の体は、綺麗な青の世界から暗い暗い黒の世界へと沈んでいった。
ーーーーーー
目を開くとそこは見知らぬ場所だった。
暗闇になったはずの私の世界に光が差し込む。私は……生きてるの?
体を起こし、辺りを見回す。周りは木々に囲まれていて上から太陽の光が射している。ここは、どこ? 私、海にいたはずなのに。
ここがどこなのか、わからない……でも……
「とても、素敵な場所」
この幻想的な雰囲気、そして、何故かわからないけどここはとても心地良い。女は立ち上がると深呼吸をしながら辺りを見回す。
ここがどこなのか? わからないがずっとここにいるわけにもいかない。とりあえず。
「行ってみるか」
そう独り言を言うと女はあてもなく、歩き始めてた。
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それからどのくらい歩いたのだろう?
歩けど歩けど周りには木しかなく、ましてやこの森? から抜けれそうな気がしない。
「う〜ん……私、迷子かしら?」
だが、不思議なことに不安な気持ちにはならなかった。澄んだ空気のせいなのか、淀んだナニかを感じないからなのか。それに、きっと私は余程この場所が気に入ったのだろう。いつまでもここにいたいとすら思えた。
「ここは本当に、素敵な場所」
そう思いながらも歩き続けていたら気がついたら森を抜けていた。
「わぁ」
目の前に広がる風景は先程の森の中とはまた違う表情を見せてくれた。
「綺麗」
さっきまでいた森の中とはうってかわって辺り一面に花が咲き乱れている。広い場所に出た。周りは山々に囲まれているのだろうか? とても美しい風景がそこにはあった。
「凄い……この世界にこんな美しい場所があったなんて」
私はしばらくその場で立ち尽くしてしまった、こんな風景が見られるなんて……その時ふと目についた。
その先には何かが動いているように見えたからだ。
「何か、いるのかしら?」
私はそこに向かって歩き出す。近づいて行くとそこには沢山の動物達、そして、その中心には1人の女性が座って動物達と戯れていた。
「人が、いる」
よかった。あの人にこの不思議な状況について聞いてみよう。私は更に女性の方に近づく。
その時、女性や動物達はこちらに気づいた。
「あら?こんにちは。よかった。辿り着けたのね」
女性はニコッと微笑み話しかけてくれた。
辿り着けた? どういうこと?
「こんにちは。ここはとても素敵な場所ですね」
「ありがとう。そう言ってくれると嬉しいわ」
「あの、ここはいったいどこなんでしょうか?私は海にいたはずなんですが、気がついたらここにいて」
「ここは地上と天界の中間にある世界。あなたは今、魂だけの状態でこの世界に迷い込んできたの」
地上? 天界? 魂?
「それって、私は……死んだんですか?」
女性は立ち上がり。
「ここに来たということは、まだ完全に死んでしまったわけではないわ。ただ」
「ただ?」
「体から魂が離れているの状態ではあるから、この先の未来はあなた次第……かな」
「私……次第?」
「とりあえず私達の家に行きましょう。そこで詳しく説明するわ。実は、この島にはもう1人いるの」
「そうなんですか!?」
「うん。今は、あなたを探しに行ってると思う。行き違いになると大変だからお家で待ってましょ。ね?」
「は、はい」
そう言うと彼女はこっちよと歩き出した。
しばらく着いて歩いていくと、一軒の家が見えてきた。
「素敵な家ですね」
「フフ、ありがとう。さ、どうぞ入って」
女性に言われるまま家の中に入り、広間に通され、言われるがままにソファーに腰をかける。
少しして、女性が飲み物を持ってきてくれた。
「よかったらどうぞ」
「ありがとうございます」
頂いた飲み物を口に含む。
「あ、美味しい」
「ホント!?よかった♪おかわりあるから。沢山飲んでね」
「ありがとうございます」
そんなやり取りをしながら彼女は向かいのソファーに座った。
「もうすぐで戻ってくると思うから、くつろいでちょうだいね」
彼女はそう言い私の方をじっと見つめている。あまりにもずっと見つめているので、なんだかこちらが照れてしまう。
「あ、あの」
「ん?」
「そんなに見つめられるとなんか照れちゃうといいますか、なんというか、その……」
彼女は慌てて
「あ、ごめんなさい。あなたがあまりに綺麗なものだから、それに」
「それに?」
「特にあなたの目!!あなたの目が凄く澄んでて綺麗だなって思わず見惚れちゃった」
「いえ、ありがとう、ございます。その……そんなこと言われたことないから、嬉しいです」
私の目が……綺麗?
「そう?あなたの目は凄く澄んでて綺麗よ。まるで宝石みたい」
彼女はそう言うと、フフっと笑った。でも私には。
「そんなこと…… ないですよ。私には、そんなこと言っていただける資格なんて、ありません」
そう、私にはそんなこと言ってもらえる資格なんてない私の目には、この世界は歪んで見えてしまっているから……
しばしの沈黙……やばい、この間は苦手だ。
どうしようか。そんなときだった
「ただいま〜〜」
「あ、帰ってきた。ちょっと待っててね。いま紹介するから」
そう言い、彼女は玄関の方に向かって行った。
そういえばここにはもう1人いるっていってたな。あの声の感じだと男性かな?
少しして彼女と共に男性が入ってきた。
「よかった。無事に着けたんだね」
男性はホッとしたような感じで声をかけてくれた。
「あ、お邪魔しています」
「どうぞどうぞ。ゆっくりくつろいでいってね」
「そういえば自己紹介がまだだったわね。彼はハーレット、私はリッカよ」
「私は、イリです」
「イリ……素敵な名前ね。ねぇ、ハーレット。イリは瞳も綺麗なのよ」
リッカはそうハーレットに促して……
「ッ!!」
気がつけばハーレットは私の眼をじっと見つめていた。
「本当だ。とても澄んだ素敵な瞳だね」
ハーレットはそう言うとニコッと微笑んだ、なんとなくこっちが照れてしまう。
「ほ」
「?」
「本当にそんなことないです。私には、そんなことを言ってもらえる資格はありません。だって私の瞳はとても濁って……いるから」
イリはそう言うと下を向いて俯いてしまった。
「イリ……」
ハーレットとリッカはその沈黙の中を優しく見守ってくれた……
それから少しして、リッカからとりあえずお茶やお菓子などのおかわりをいただいた。その時に色々な説明を受けた。
ここは地上と天界の間に存在している不思議な場所であるということ。
何かのきっかけに私の魂は肉体から離れてこの島に彷徨い込んだということ。
そしてここにいるということはまだ肉体は完全に死んだわけではないこと。
この先は私の生きたいという願い次第であるということ……
私は自分で海の中に入っていった……
それはこの世界が歪んで映るようになったから……
それなのに……私は、まだ、生きられるの? 私は……生きたいの? 生きて……どうするの?
私の想いを察してくれたのか、ハーレットとリッカはここで少しゆっくりしていくといいと伝えてくれた。
私の中の答えは決まっていた……
だけど……この世界を知ってみたいと思い、お言葉に甘えて時間の許す限り居させてもらうことにした。
それからの数日間は本当に穏やか日々を過ごした。澄んだ空気、綺麗な景色、無限にある時間……そしてここには
「絶望が……ない」
ここには絶望も、恐怖も哀しみもない。全ての負の感情から解放された、静かで穏やかな……場所、そして、時間。
「こんな悩まなくていい世界なら、ずっと、居たいな」
「イリーー」
声のする方を見ると、リッカが手を振りながらこっちに近づいてくる。
「リッカ」
「お菓子とお茶を持ってきたの。よかったら、どう?」
「わぁ〜。嬉しい。ありがとう」
「よかった。一緒にお茶しましょ♪」
リッカがニコっと笑う。私達はシートを敷き、リッカが作ってくれた。お菓子とお茶を頂く。
「美味しい。これ凄く美味しいわ。お茶もいい香りだし」
「フフ♪ よかった。沢山あるから食べて」
リッカの言葉に甘えてどんどん食べる。やばい。止まらない。結局、ほとんど私が食べてしまった。
「ごめんなさい。美味しくて、つい」
「いいのよ。はい。お茶もどうぞ」
「ありがとう」
リッカが淹れてくれたお茶をひと口飲み、ふ〜っと、一息つく。
「フフ」
突然リッカが微笑んだ。
「どうしたの?」
「余程、ここでの生活が気に入ったんだなって思って」
「え?」
「ここに来てから貴女がよく、笑うようになったなって思って」
言われるまで気づかなかった。私、そんなに笑ってたっけ?
「そう……かも。ここは本当に素敵な場所なんだもの。それに」
「それに?」
「ここは凄く、心が落ち着くの、だからここは、とても好き」
「それは良かった。ここを好きになってくれて、嬉しいわ」
微笑むリッカ、色々助けてくれるハーレット、2人を見てると人って良いなって思える。この2人は他の人とは違う。
「私……私ね、以前、世界が濁って見えるって言ったでしょ?」
「ええ」
「私、15歳の時にお母さんが死んだの。それから暫くして、お父さんが病んでしまって、自ら命を絶ったの」
「そう……だったの」
「その時から私は……命ってなんなんだろうって思うようになったの」
「命?」
「生きたいのに死んでしまう人、死にたいのに生きなければいけない人、幸せな人もいれば貧しい人もいる、罪を犯してるのにのうのうと生きてる人もいれば望んでいないのに罪を犯さないと生きていけない人もいて、この世界には病気や犯罪に災害。どうにもできないことが沢山ある」
あれ? どうしよう。言葉が、止められない。
「人間は好き勝手に生きて世界を汚し、自分の為に、人も動物も植物も殺して、殺されて……そんな私達全ての生き物に、生きる意味はあるのかなって、いつも考えちゃうの」
「イリ」
「虫や、植物達だってそう、ただそこにいるだけなのに、ただそこに咲いてるだけなのに、彼らだって、殺されたり、食べられたり……そんな人生を過ごす為に生きてるわけじゃないのに……」
「でも、私達人間もその殺した動物達を食べないと生きていけない。とても弱い生き物」
「神様がいるのなら……なんでこんな世界にしたの?皆んなが幸せで悩まなくてもいい世界にしてくれればよかったのに、生きる為に罪を犯さなければいけないのなら、そうしなくても生きられる世界にしてくれればよかったのに……って」
「でも……それに甘えて生きてる私もイヤなヤツだなって……思うの……」
リッカは何も言わずに只々、耳を傾けてくれる。
「そう思い始めたら虚しくなっちゃって、何もかも、この世界や私達全てに意味は無いんじゃないかって、むしろ苦しみしかないんじゃないか?って、考えて考えて、そしていつの間にか、考えられなくなっちゃって、何も楽しめなくなったし、何かをする気力も湧かなくなってた」
「そしたら何も考えたくなくなって……無になりたいって思ったの。そして気がついたら、自分から海の中に入って行ったの……」
「そうだったの、それで此処に流れついたのね」
イリの手に雫が落ちる
「どうしようもできないことも変えられないことも分かってる。でも、でも」
リッカはイリを後ろからそっと抱きしめる。
なんだろう、そのときフッと私の中で何かが切れたような気がした。からだの中から何かが込み上げてくる。
「ウッウウウ。 どうして世界はこんなに残酷で苦しいの……神様がいるなら、皆んな幸せにしてくれれば良いのに、」
リッカは何を喋るわけではなく、只々、私の気がすむまで、待っていてくれた。
それからどれくらい経ったのだろうか……
私が少し落ち着いてきたときだろうか、リッカは私に
「貴女はやっぱりその瞳の持ち主だけあってとても優しい人よ」
「え」
「そんな風に、人間以外の動物や植物にも考えてあげられる人はそんなにいるわけじゃないもの」
「そんな、私は」
「辛いわよね。自分達が生きていくためには動物を殺したり、植物の居場所をなくしたり、人間同士の争いだって絶えることはない……ホント、私達人間って身勝手よね」
「私も神様がどうしてこのような世界を作ったのかはわからない。でも、それでもこの世界には貴女のような人もいる。この世界の理を変えることは不可能に近いけど、それでも貴女のような人には生きていてほしい」
「リッカ」
「自分勝手なことを言ってるのわかってる。それでも私は貴女に、そんな自分自身を信じて、愛してあげて生き抜いてほしいなって私は思う」
「さっ、気分転換にお茶でもしましょ。新しいお菓子も用意するわね」
そう言うとリッカは私から離れてスッと立ち上がった。
「行きましょう。イリ」
リッカは私に手を差し伸べる。
「うん」
リッカの手を取り、私は起き上がる。なんだろう。いつもより踏み込む足に力が入る気がする。心の中の黒い霧が晴れていく。そんな感じだ。それは正に光に向かって行く感じだった。
それからどれくらい経ったのだろう。私はひたすら自問自答を繰り返していた。
今、この瞬間にも人や動物、植物達が殺されていく。私だって生きる為に彼らを殺すことをこれからも続けていかなければいけない。
人の欲はどこまでも深く、それに抗えず罪を重ねて行く……
弱者は強者に奪われていくだけの存在なのか?この世界は変えられないのか?それでも私は生きていくのか? 生きて、私は何がしたいのか? できるのか? また、目を背けたくなるかもしれない。やはりこの世界は絶望と苦しみしかないのかもしれない。
やはりこの世界には救いはないのか? ただ、生き、ただ死ぬことすらできないこの世界で私は生きるのか……
いや、それでも一生懸命生きている命もいる。負けないで生きている命達。私は、私は。
イリは顔をあげ、空を見上げて立ち上がる。その決意を後押しするように優しい風が彼女体を突き抜けていく。
「イリ!!」
声の方を見るとそこにはハーレットとリッカがいた。
「ハーレット。リッカ」
2人は優しく微笑む。
イリは口を紡ぎながら。
「私、怖かったんだと思う。勝手にこの世界に絶望して、何もできない自分に虚無感を感じて。どうしようもなくて、変えることもできなくて。ただただ、怯えてた」
「でも、こんな私にもできることはあるんじゃないかって。少しでも、この世界を、絶望を感じている人や、動物達を救ってあげたい。私は、もう逃げたくない」
「自分から命を捨てようとしておいて、勝手なのはわかってる。でも、それでも、我儘でも、私は、私は!!」
「生きたい!!」
その瞬間、イリの体を光が包み込んだ。
「え?」
「よかったね。イリ」
「これ……は?」
「イリの生きたい気持ちに体が応えてくれたんだ。よかったね。まだイリは、生きられる」
「それじゃ……」
リッカはイリに近づきギュッと抱きしめる。
「よかった」
「リッカ……」
「これからも、貴女には辛いことや、逃げ出したくなることが起こるかもしれない。でも、今の貴女なら大丈夫。貴女のその綺麗な瞳で少しでも世界が良くできることを祈ってます」
「リッカ」
イリもリッカを抱きしめ
「ありがとう。私、負けない。リッカやハーレットのことも忘れない」
一瞬、リッカは悲しげな表情を作り。
「ごめんなさい。貴女が行ってしまうとここでの記憶は消えてしまうの」
「え!!嫌だよ。そんな」
イリの瞳から涙が溢れてくる。
「泣かないで、哀しいけど、私達は絶対に貴女のことを、忘れない。イリの幸せを祈っているわ」
「リッカ……」
イリの体が宙に浮きはじめる。
「イリ、幸せになって。そして貴女の周りの人間や、動物、全ての生き物を幸せにしてあげて」
「私、負けない!!頑張ってみせる」
そう言うとイリの体は光の中に消えていった。
「行ってしまったね」
「ええ」
「いつもだけど、寂しくなるね」
「そうね」
リッカは瞳を閉じ、しばらくしてから
「さ、ハーレット。戻ってお茶にしましょうか」
「そうだね」
イリ、貴女ならきっと大丈夫……元気でね。
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「お〜〜相変わらずここは賑わっておるの〜〜」
ここはある場所にある、ある建物。
沢山の植物に彩られたその建物には、孤児や身寄りのない子供達や動物達を保護しながら治療も行う女医がいた。
「先生、ありがとうございました」
「いえいえ。お大事になさってくださいね」
患者と入れ違いに子供達がワイワイとはしゃぎながら入ってくる。
「先生!!遊ぼう!!」
「ハイハイ。今準備したら行くから、外で待ってて」
「はーーい!!」
「フォフォ、相変わらず賑やかでいいですな」
「すみません。診察が終わったばかりなのに」
「イヤイヤ、いいんじゃよ。先生のおかげでワシらは救われているんじゃから」
「ありがとうございます。そう言って頂けると嬉しいです」
「さて、行くかの〜〜今度、ではまたの」
そう言い残し、老人は部屋を後にする。
女医は眼鏡を机の上に置き、一息つきながら窓から空を眺める。
あの時、死ななくてよかったな。
「イリ先生!!まだ〜〜??」
「ああ、ごめんごめん。今行くわよ」
女医は子供達の元へ向かっていった。
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